鷹留城
From Wikipedia, the free encyclopedia
(群馬県) | |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 長野尚業 |
| 築城年 | 明応年間(1500年頃) |
| 主な城主 | 長野氏 |
| 廃城年 | 1566年(永禄9年) |
| 遺構 | 本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切 |
| 指定文化財 | 高崎市指定史跡[1] |
| 位置 | 北緯36度23分40秒 東経138度53分24秒 / 北緯36.39444度 東経138.89000度座標: 北緯36度23分40秒 東経138度53分24秒 / 北緯36.39444度 東経138.89000度 |
| 地図 | |
鷹留城(たかとめじょう)は、群馬県高崎市下室田町にあった中規模な日本の城(山城)。箕輪城の西方5キロにある箕輪城の支城の一つ。各種の遺構が原形に近く残っている点で、群馬県内でも稀な城跡である。高崎市指定史跡に指定されている[1]。
現代
鷹留城は、 明応年間(1500年頃)、当地を支配する長野尚業によって築かれた山城である。長野尚業の子、憲業が本拠を1512年(永正9年)に築かれた箕輪城に移すまでの間、長野氏の本拠であった。その後も1566年(永禄9年)に落城までの間、箕輪城の有力支城の一つである。『日本城郭大系』には 「箕輪城と相助ける別城一廓の関係にある」 と記されている。城の規模は、南北430メートル、東西300メートル、本丸の高さは東側の谷から70メートルといい、群馬県内でも有数な中規模な山城である。現在にのこる遺構として、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切の跡が認められる。また、元城下に長野氏の菩提寺の室田山長年寺があり、「長野氏累代の墓」(長野業尚、業正、憲業、業氏、業固、業茂、業続の7基の五輪塔)がある。
