鹿村美久
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現在の愛媛県宇和島市に生まれる[2][3][4]。1901年に東京府城北中学校(現・都立戸山高校)を卒業[5][注釈 1]。1905年に東京高等商業学校(現・一橋大学)本科を首席総代で卒業し[7][6]、岩崎久弥の知遇を得て三菱の海外研究生として[8][4][6]、3年間欧米に遊学した[9]。帰国後、三菱合資銀行部に入行した[2]。豊川良平初代銀行部長の娘婿となった[6][10]。
1909年に富士瓦斯紡績に入社[2]。同社小山工場庶務主任、営業部次長を経て、1913年に川崎工場が設立されると、工場長に就任する[10][3]。営業部長(1919年)[4][3]。常務(1920年)を経て[2]、1925年如水会理事[11]。1927年には富士電力の専務となる[2]。1930年に富士瓦斯紡績の専務に就任した[2]。1935年には青木均一とともに資源局専門委員に就任する[12]。1938年に富士瓦斯紡績社長となる[2]。
東京商工会議所常議員、日満実業協会理事、全国産業団体連合会常務委員[10]、日本工業倶楽部評議員なども務めた[3]。1936年時点で東京府立四中城北会評議員[5]。1939年に病没し[8][13]、従六位に叙された[14]。告別式は青山葬儀所で行われた[13]。性格は温厚[10]、寡黙で、読書家として知られた[4]。趣味は俳句、漢詩、囲碁で[10]、俳号は菱川[4]。