黄文氏は「黄書」とも表記し、『日本書紀』巻第二十二によると、
是の月(九月)に始めて黄書画師(きふみのゑかき)・山背画師(やましろのゑかき)を定む
とあるのが初出で、『新撰姓氏録』山城国諸蕃では、「高麗国人久斯祁王」が出自であると言われている。同族に『薬師寺仏足石銘』に唐へ赴き仏足石を模写し、『日本書紀』巻第二十七によると、天智天皇に水臬(みずばかり=水準器)を献上したとする[1]黄書造本実、壬申の乱で活躍した黄書造大伴がいる。山城国久世郡を本拠地とした渡来系氏族で、元は「造」姓であったが、『書紀』巻第二十九によると、天武天皇12年(683年)連姓を与えられた[2]。