黄金の床几
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歴史上の紛争
玉座の所有をめぐって何度も戦乱が起こっている。1896年、アシャンティの王プレンペー1世は戦争に負けて玉座も失うことを怖れて国外に退去した。1900年に英領ゴールド・コースト総督であったサー・フレデリック・ホジソンは黄金の床几に座ろうとし、床几を捜索するよう命じた。このせいで黄金の床几戦争と呼ばれる武装蜂起が発生し、結果としてアシャンティ王国は大英帝国に併合されたが、黄金の床几の聖性は保持された。1921年にアフリカの道路工事業者が床几を見つけて金の装飾を剥ぎ取った[2]。犯人は英国により保護観察下に置かれた後、地元の習慣にのっとった裁判にかけられて死刑宣告を受けたが[2]、英国が介入してこの一団は死刑ではなく追放処分となった[2]。 この時、床几について介入をしないという保証が英国から出たため、床几は隠し場所から出されることになった[2]。1935年、黄金の床几はプレンペー2世の戴冠儀礼に用いられた[3]。

