黄金山 (広島市)
広島市南区にある山
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概要
地名
歴史
広島市中心部(太田川下流のデルタ部)の大部分はかつては海であった。黄金山もその当時は江波、比治山、宇品島(元宇品)、向洋などと同様、広島湾に浮かぶ島のひとつで、仁保島と呼ばれていた。仁保島は広島湾に浮かぶ要害の1つとして重要拠点になっており、現在の山頂には仁保城(仁保島城とも)が築かれていた。江戸時代になって広島湾の干拓が進み、1662年、東新開(現在の東雲)の造成によって仁保島は比治山・段原などと地続きになった。明治以後、黄金山は行政上安芸郡仁保島村の村域であったが、1929年、同村が広島市に編入合併されてからは「仁保町」の一部となった。
第二次世界大戦後の黄金山は、1956年の市営住宅の建設など一方で山腹の宅地化が進行した。と同時に1958年には登山道路が開削、1959年には山頂にTV塔が設置されるなど、黄金山は公園(黄金山緑地)として整備され、山頂には展望台やレストハウスなどが設置された。1966年9月1日には町名が変更され、黄金山緑地を中心とする地域は仁保町から分離されて「黄金山町」となった。黄金山町は当初仁保小学校の学区であったが、1977年仁保小から分離して黄金山小学校(南区北大河町)が開校すると同小の学区に編入された。その後1986年〜1992年の仁保南団地の造成により、2000年8月には登山道から仁保中学校前を経由して同団地を通り「仁保車庫」に至る広電バスの路線(仁保南経由4号線)が新たに開業した(#交通参照)。
交通
施設
黄金山の山頂近くは自然公園「黄金山緑地」として整備されており、山頂には展望台、トイレ、黄金山ハウス(レストハウス)、および地上アナログテレビジョン放送送信所(後述)などが設置されている。また仁保城本丸および二の丸の石垣が残っている。黄金山緑地入り口手前には黄金山住宅(市営住宅)および黄金山配水池がある(以上、いずれも黄金山町内)。
山頂に連なる周辺の丘陵には観音寺(黄金山町)、仁保城出丸跡(北大河町?)、案内地蔵(本浦町)、邇保姫神社(西本浦町)などがあり、麓の旧道沿いには竈神社(仁保一丁目)、西福寺(仁保二丁目)、大銀杏(仁保三丁目)、住吉神社(仁保四丁目)などの寺社・旧跡がある(仁保地区および本浦地区参照)。
観音寺(観音堂)
山頂北側に位置し16世紀末、毛利氏時代に仁保城主となった三浦元忠(兵庫頭)の菩提寺として建立された。寺の山号は「黄金山」であり、黄金山の名が史料に現れる最初期のものである。境内には元忠のものと伝わる墓所が残されており(現在は碑銘が摩滅)、かつては元忠の法名を記した位牌もあったという。現在は無住となり、観音堂と墓石のみが残っている。なお、隣接する仁保中学校の校地(仁保一丁目)は山腹を切り開いて建設された。
