威穆帝
大越後黎朝(前期)8代皇帝。憲宗の次男
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生涯
憲宗の次男。弟の粛宗の死後即位したが、酒色に溺れて暴政をほしいままにした。母の昭仁皇后の兄弟である阮種・阮伯勝を重用して自身の即位に反対した祖母の徽嘉皇太后や朝臣・宗族を多く殺した。明から冊封使として訪れた許天錫は威穆帝を「鬼王」と評した。
威穆帝の残忍な統治は多くの人心に反感を引き起こした。威穆帝に投獄されていた従弟の簡修公黎晭(聖宗の子の建王黎鑌の子)は獄吏に賄賂を渡して脱獄、清化に逃走し、そこで兵を挙げた。端慶5年(1509年)11月に反乱軍は都昇龍に迫ると、威穆帝は逃亡した。その後黎晭に捕まり鴆毒を飲んで死んだとも(『大越史記全書』)、逃亡中に殺されたとも言われている。威穆帝に一族を殺されていた黎晭は大砲でその屍を粉々にし、愍厲公に落とした。
清化出身の軍人の支持を得た黎晭(襄翼帝)が代わって即位した。