黒い瞳
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歴史
「黒い瞳」は初め1843年1月17日に「Литературная газета」(文学新聞)に詩として発表された。作者はウクライナの作家、詩人のイェウヘーン・フレビーンカ(ウクライナ語: Євге́н Гребі́нка、ロシア語: Евге́ний Гребёнка、エヴゲニー・グレビョンカ)である。フレビーンカはポルタヴァ州の貴族の出身であり、古典的なジプシー歌謡の作者の多くがそうであるように、教養のある人物である。フレビーンカによる初稿は、区切りのようなものも設けられていない実質3連程度の作品で、わずかにロマンティシズムの香りが漂うだけの簡素なものだった。
この詩が最初に歌曲として発表されたのは、1884年3月7日のことだった。これはフレビーンカの詩をС. ゲルデリがフローリアン・ヘルマン作曲のワルツ「Hommage」(オマージュ)にあてはめたものである。ヘルマンはロシア化したドイツ人であり、この有名なロシアのジプシー歌謡は実際には、ウクライナ人とドイツ生まれのロシア人によって作られたことになる。
この歌を世界的に有名にしたのは、バス歌手のフョードル・シャリアピンである。シャリアピンはこの歌に自ら詩を書き足してレパートリーに加え、革命後の1922年に出国して事実上の亡命者となってからは世界各地の公演で披露した。これによって、「黒い瞳」は世界で最も有名なロシアの歌の一つとなった。
