黒又山
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概要
本宮神社縁起
考古学的発見
黒又山は1992年から1994年にかけて、同志社大学の研究グループを中心とした「黒又山総合調査団」によって考古学的調査が行われた[2][3]。黒又山遺跡の出土遺物には、石器や石造品、土器、土製品の基本的遺物があげられる。また、鉄釘や古銭なども出土している。特筆すべきなのは、石英安山岩からなる刻文石製品で、山頂部、斜面、山麓部から16個ほど出土している。
刻文石製品は縄文時代に小型のものが若干調査例があるが、大量に大型のものが狭い区域に集中して出土するのは、極めて特筆すべきことである。大湯環状列石という縄文時代後期初めの宗教祭祀遺跡から直線距離で2km内外にあることも考えると、この黒又山も山岳宗教祭祀の場であったと考えられる。
発掘された石は岩偶と思われる物も含まれており、最大で42×25×18cm、最小で8×4.5×4cmで、いずれも人頭大前後ばかりのもので、ちょうど人が持ち運びできる程度の重さである。刻まれた「文様」は黒又山の南西にある猿賀神社の「御神体石」に刻まれた文様と酷似している。
また、地中レーダーによって、山頂の地下10mの地点に何者かが埋葬されているであろう空洞と石棺のような物が発見されており、黒又山全体が石で造られた7段から10段のテラス構造になっている事が確認されている[4]。これらは2022年にテレビ番組で行われた企画で、東北大学の協力で行われた最新のレーダー機器での調査でも観測されている[5]。
第2次調査のトレンチにより、山頂部からは「烏帽子状の立石」が発見された。立石は頭部の部分は表面の自然石が剥離していて、何らかの強い衝撃によって破壊された跡が残されている。立石はほぼ四面体になっており、第1面には「目の形」に刻まれた跡が、他の面にも蛇の様な盛り上がりや、小さな円形状の文様が刻まれている。目のような文様は、国道103号沿いにある(国道を造るために移動させられているという)通称「おなご石」にも刻まれている。この立石を中心に岩が半円状に配置されていたと思われる。
