黒崎幸吉
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荘内中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1911年(明治44年)7月に東京帝国大学法科大学政治経済学科を卒業。帝大在学中に内村鑑三の聖書研究会に加わり入信する。同年8月に住友本社に入社[3]。住友家嗣子の教育掛となり、1915年(大正4年)にこれに随行し渡米留学する[2]。その後、大阪、東京、別子に勤務。1921年(大正10年)の妻の死をきっかけとして、住友製鋼所副支配人を最後に住友を退社[4]。無教会の伝道者と聖書学者として歩み出す[3]。
1922年(大正11年)から1925年(大正14年)までドイツ、フランス、イギリスに留学。この間、イングランドバーミンガム郊外の「セリオーク・カレッジ」(セリー・オーク・カレッジズ)へ滞在したことが、後に登戸学寮の着想につながった[5]。
帰国後、鶴岡に帰郷し聖書研究会を主宰する傍ら、旧制山形高等学校で語学講師を務めるが、健康を害し、1931年(昭和6年)に兵庫県に転居した[2]。太平洋戦争中には著した『永遠の生命』が反戦思想にあたるとして発禁処分を受け[3]、戦後は日本の再建は教育にあるとして著作に専念する[2]。1960年(昭和35年)8月から5ヶ月間に渡ってアメリカやヨーロッパ諸国を伝道して回った。
1970年6月6日、84歳で死去する[3]。