黒木親慶
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宮崎県西諸県郡飯野村(後の飯野町、現・えびの市)に大河平親貞の長男として生まれ、黒木実幸の養子となる[3]。
熊本陸軍幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1904年(明治37年)11月、陸軍士官学校(16期)を卒業。同期生に、岡村寧次、小畑敏四郎、永田鉄山らがいる。同年12月、歩兵少尉に任官し、歩兵第46連隊付となる。1905年(明治38年)5月から12月まで、日露戦争に出征。1912年(大正元年)陸軍大学校(24期)を卒業した[4]。
陸軍士官学校教官、参謀本部部員、ハルビン駐在を経て、1916年(大正5年)第一次世界対戦下のロシア軍に従軍。1918年(大正7年)6月参謀本部付、9月第3師団司令部付。ザバイカル・コサック、グリゴリー・セミョーノフの支援にあたる[4][5]。
1919年(大正8年)9月、少佐進級。1920年(大正9年)5月、陸軍兵器本廠付。同年7月、依願予備役編入、9月、依頼退役。