初代正玄は、元々武士で丹羽長重に仕えていた。しかし関ヶ原の戦いで丹羽氏は西軍に付き改易、浪人となったために剃髪して大津に移り住み、竹細工職人となった。評判の竹細工師となった正玄は小堀政一(遠州)からの注文を受け、茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。
以後明治維新に致るまで、歴代三千家・将軍の御用達柄杓師となる。
10代正玄は9代正玄の早世により急遽婿養子となった人物だが、家督相続が明治維新と重なり、庇護者である幕府が崩壊、茶道も衰退する中、家業の保持に苦心した。その後を嗣いだ11代正玄も早世、12代正玄は周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えた。