齊藤哲也 (競輪選手)
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競輪学校は適性試験で合格。同期に松本整、佐古雅俊、三ツ井勉ら[注 1]がいた中で、卒業記念レースで優勝。
1980年6月7日、小倉競輪場でデビューし1着、そして同開催では完全優勝も果たした。1982年、特別競輪(現在のGI)初参加となった日本選手権競輪(大垣競輪場)で準決勝進出を果たす健闘を見せる。以後、決勝進出は一度も果たせなかったが、GI、GIIは1997年のふるさとダービー(防府競輪場)まで、常時出場していた。
ところが40歳のとき、悪性リンパ腫を発症。その後は抗がん剤治療を続けながらレース参加していたが、再び発症したため、現役引退を決意。
2003年7月31日、選手登録消除。通算戦績1475戦183勝、優勝25回。
現役引退後に移植手術を施し、その後、2006年3月開設のサテライト阪神のアドバイザーとなったが、同年12月18日、3度目の再発と診断され、同職から一時退かざるを得なくなった(2010年4月5日に復職)。
その後、夫人が中心となって生体骨髄移植のための『哲ちゃん基金』[2]を呼びかけたところ、賛同者が現れ、施されることになった。
晩年は2005年より担当していたスポーツニッポンのコラムに、不定期ながら(主にGI開催時に)執筆者として登場していた。
2018年11月2日、59歳没。