龍泉寺 (名古屋市瑞穂区)
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位置
北緯35度7分6.8秒 東経136度55分48.1秒 / 北緯35.118556度 東経136.930028度座標: 北緯35度7分6.8秒 東経136度55分48.1秒 / 北緯35.118556度 東経136.930028度
山号
亀井山[1]
宗派
曹洞宗
| 龍泉寺 | |
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| 所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区井戸田町4丁目90番 |
| 位置 | 北緯35度7分6.8秒 東経136度55分48.1秒 / 北緯35.118556度 東経136.930028度座標: 北緯35度7分6.8秒 東経136度55分48.1秒 / 北緯35.118556度 東経136.930028度 |
| 山号 | 亀井山[1] |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 応仁元年(1467年)[1] |
| 開基 | (伝)行基[1] |
| 別称 | 井戸田薬師 |
| 札所等 | 大名古屋十二支恵当寺辰年本尊札所 |
| 法人番号 | 9180005001348 |
歴史
伝承によれば、行基が開山した真言宗薬師寺を嚆矢とし、平安時代には龍泉庵、龍雲庵、妙喜庵、福伝庵、蔵伝庵の五つが開かれたが、いつしか龍泉寺以外は滅び、応仁の乱の頃に龍泉庵が龍泉寺となったという[1]。室町時代の末期頃、真言宗から曹洞宗に改宗すると同時に現在の圓通寺の末寺になる。
源義経が源頼朝の援軍に向かう途中に亀井水のある龍泉寺を訪問し、産土の神である津賀田神社に参拝した。武運長久を祈願した時に激しい雷に会い肝をつぶして般若心経を読誦し、写経をした後には落雷は起きなくなった言い伝えがある。また、平清盛により流刑となり、治承3年(1179年)に井戸田にきた太政大臣藤原師長は龍泉寺の庭を好んで訪れ、放免されるまで幾度も訪れている。江戸時代の頃(1713年)には藤原師長の故事から諸堂の一つに槐隠堂の額を掲げるが、建物は1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で焼失したので現在は存在をしない。
霊場としては1955年(昭和30年)頃に名古屋市観光協会の後援により大名古屋十二支の恵当寺として辰年の守護仏である普賢菩薩の霊場となった。
愛知県名古屋市守山区にあり、尾張四観音のひとつである龍泉寺とは関係はなく、宗派も天台宗と異なり、読み方も「りゅうせんじ」と異なる。