清商丞は、清商令の下にある次官で、宮廷で娯楽として演奏される音楽を掌った官職である。
魏の皇帝曹芳は、子がないまま死んだ明帝(曹叡)の後を継いで、斉から迎えられて幼少で即位した。明帝の皇后だった郭皇太后の後見を受け、政治の実権は司馬師に握られていた。曹芳と皇太后には血縁関係がない。
曹芳が20歳頃になったとき、郭皇太后は母を亡くして喪に服した。曹芳は後園で俳優・芸人と音楽を楽しみ、皇太后を訪うことが少なかった[1]。龐熙は、「皇太后は大変孝行で、今はとても悲しみ、水を口にすることもままならない様子。陛下はたびたび行って慰めるべきで、ここで楽しむだけではいけません」と諫めた[1]。帝は「私がしたいようにするのを、誰かがどうこうできるのか」と答えた[1]。
また別のときに、帝が従官(そばにつく臣下)と手をつないで共に歩いていたのを見て、龐熙は「従官が至尊と手をつなぐのはよろしくありません」と言った[1]。帝は怒って龐熙を弾(はじき)で打った[1]。
上司である清商令の令狐景も、別のことで諫言して打たれ、二人とももはや何も言わず、へつらうだけになった[1]。
嘉平6年(254年)曹芳は司馬師と皇太后によって廃位された[2]。そのとき、曹芳に皇帝の資質がない証拠として、上述の令狐景・龐熙とのやりとりがあげられた。
その後の龐熙について知られることはない。