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古牧

日本の長野県長野市の広域地名 From Wikipedia, the free encyclopedia

古牧(こまき)は長野市中東部の地域。4の国道と3の県道が通り、長野市街地のベッドタウンとして発展してきた。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡古牧村(こまきむら)についても述べる。

国 日章旗 日本
都道府県 長野県
自治体 長野市
概要 古牧 こまき, 国 ...
古牧
こまき
国 日章旗 日本
地方 中部地方(甲信越地方)
都道府県 長野県
自治体 長野市
旧自治体 古牧村
面積
6.61km²
総人口
26,296人
(推計人口、2023年3月1日現在)
人口密度
3,978.21人/km²
隣接地区 第三地区、吉田地区、芹田地区、三輪地区、朝陽地区、大豆島地区
長野市役所古牧支所
北緯36度38分56.9秒 東経138度13分7.9秒
所在地 〒381-0037
長野県長野市西和田1-12-1
リンク 古牧支所公式ページ
古牧の位置(長野県内)
古牧
古牧
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村名「古牧」の由来ははっきりしないが、『古牧誌』によれば、1889年(明治22年)に誕生した村名をどうするかで、各村の代表者で意見がなかなかまとまらなかった。困った末に西尾張部の物知り、林幸平(今釈迦とも呼ばれていた)に聞いたところ、「聖徳太子がこの辺を牧場として馬を飼われたともいわれ、また『吾妻鏡』その他の古い史料にも、この辺一帯が牧場であったことが記されている。それゆえ、古い牧場すなわち古牧が適切であろう」と提言した。皆は賛成し、「古牧村」と決定したという[1]。

人口

1888年~1995年は『長野市誌 第8巻』[2]による。2000年以降は長野市町別人口及び世帯数[3]の各年1月1日のデータである。明治から昭和10年(1935年)頃まではゆるやかな増え方で、長野市近郊の農村として大きな変化は見られなかった。その後、第二次大戦後から増加が始まり、1951年には五分一・中村間に市営住宅ができた。これが古牧地区の団地の初めである。それから1959年頃から古牧の市街化が進んだ。人口増加率は市内有数である[1]。

1992年(平成4年)には古牧小学校のマンモス校解消のため、南高田に緑ヶ丘小学校ができた[1]。増加ペースは近年鈍化しているが、2020年時点ではまだ微増を続けている。

1950年(昭和25年) 6,744人
1960年(昭和35年) 8,485人
1970年(昭和45年) 13,873人
1980年(昭和55年) 18,302人
1990年(平成2年) 21,887人
2000年(平成12年) 24,695人
2010年(平成22年) 25,982人
2020年(令和2年) 26,756人
長野市

歴史

概要 こまきむら 古牧村, 廃止日 ...
こまきむら
古牧村
廃止日 1923年7月1日
廃止理由 編入合併
長野市、吉田町、芹田村、三輪村、古牧村 → 長野市
現在の自治体 長野市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 中部地方(甲信越地方)
都道府県 長野県
郡 上水内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,138人
(国勢調査、1920年)
隣接自治体 長野市
上水内郡吉田町、芹田村、三輪村、朝陽村、大豆島村
古牧村役場
所在地 長野県上水内郡古牧村
座標 北緯36度38分56.9秒 東経138度13分07.5秒
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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡西尾張部村・高田村・南長池村・東和田村・西和田村・平林村および三輪村の一部(荒屋)の区域をもって古牧村が発足。
  • 1923年(大正12年)7月1日 - 古牧村が長野市に編入。同日古牧村廃止。大字西尾張部・高田・南長池・東和田・西和田・平林および三輪の一部となる。

大字・町丁

交通

脚注

参考文献

外部リンク

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