平林 (長野市)
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沿革
地区の中央部を国道406号(平林街道)が東西に横断し、一丁目と二丁目との境をなしている。地区東部には都市計画道路高田若槻線が南北に縦走する。一丁目南部には柳原一号幹線排水路(北八幡川)が流れ、広大な遊水池がある。周囲は以下の大字・町丁と接する。
| 西和田二丁目 | ||||
| 大字三輪荒屋 大字高田北条 |
西和田二丁目 | |||
| 大字高田五分一 | 西和田一丁目 |
周辺地区同様に、古くは農村であったが長野市街地までバス・車で10分程度という立地により戦後急速に宅地化が進んだ。地区南東部の北八幡川沿いには近年まで農耕地が残っていたが、区画整理が行われ現在では住宅地となっている。高田若槻線の開通後は特に、平林交差点を中心にロードサイド店舗も進出している。
地区の南西で北八幡川に中沢川などの用水が数本が注ぎ、さらに六ヶ郷用水が分かれており、この付近に2.4haにも及ぶ雨水調整池が広がっている。この合分流点は勾配が緩いため土砂の堆積が甚だしく、浚った土砂が積み重なって付近に小高い丘を3つ成すほどであり、「三重山」などといわれていた[1]。現在でも付近の三重(さんじゅう)公園にその名が残っている。
地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]。
| 世帯数 | 人口 | |
|---|---|---|
| 平林一丁目 | 604世帯 | 1,309人 |
| 平林二丁目 | 352世帯 | 714人 |
| 大字平林 | 39世帯 | 101人 |
| 計 | 995世帯 | 2,124人 |
平林の範囲は、概ね1889年(明治22年)以前の水内郡平林村の範囲に相当する。
- 旧平林村〜古牧村の歴史
- 江戸時代 - 前身の水内郡平林村は松代藩領であった
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。平林村は上水内郡に属する
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。上水内郡平林村、同郡高田村・西和田村・東和田村・西尾張部村・南長池村と合併、三輪村荒屋区を編入。古牧村となる
- 1921年(大正10年) - 県道長野須坂線(現 国道406号平林街道)が開通。地区中央部を横断する
- 1923年(大正12年)7月1日 - 上水内郡古牧村、同郡吉田町・芹田村・三輪村とともに長野市に編入。旧平林村域は、大字平林となる
- 長野市平林の歴史