唐箕
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歴史
中国
唐箕が発明される以前から、高所から脱穀物を落下させ、風力を利用して比重選別する方法は用いられていた[2]。この作業を機械化した唐箕は紀元前200年から紀元後200年の間に中国で発明されたと考えられている[2]。初期には開放型だったが、改良されて羽根を収めた密閉型となった[2]。
北宋時代の梅尭臣の漢詩から、唐箕の存在が推察されるものの、図があるわけではないため形状は不明である[2]。具体的な形状が明らかになるのは、王禎の農書『農器図譜』(1313年)の付図で密閉式の唐箕が描かれている[2]。その後、宋応星の『天工開物』には開放型と閉鎖型の両方の唐箕が描かれている[2]。
日本
日本には17世紀後半に伝来したとされる[2]。文字で最初に現れるのは佐瀬与次右衛門の『会津農書』(1684年刊)である[2]。また、図が最初に現れるのは寺島良安の『和漢三才図会』(1712年刊)とするのが通説である[2]。一方で北陸地方の土屋又三郎の著した『耕稼春秋』(1707年刊)には記載がないことなどから、この頃に唐箕は使われ始めたとみられる[2]。
唐箕は東日本型と西日本型に大別される[2]。東日本型は全体が正方形に近く、選別した穀物の吐出口が裏と表に分かれ、脚部が多脚、漏斗部が舟形で古くは分離できない構造であること、穀物の落下調節を側面で行うなどの特徴がある[2]。一方、西日本型は横長で、選別した穀物の吐出口がいずれも正面で、脚部が4脚、漏斗部が分離できる構造であること、穀物の落下調節を正面から行うなどの特徴がある[2]。このほか一般的な唐箕と異なる形態のものに、選別された穀物が真下に出るなどの特徴を持つ東北型半唐箕、真下に出た穀物を網で再選別する近畿型半唐箕、脚部がX型で漏斗部を通った穀物が木箱の外側で選別されるようにしたX脚型唐箕(奥三河型)などがある[2]。
- 浮世絵に描かれた唐箕風景
- 唐箕
