岸洋子
日本の歌手
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来歴・人物
日本海の港町で育ち、雪国であったためスキーが滑れた。水泳は浮きはするが不得意で、父親と釣りをするのが好きだった。そのため成人してからも、友人と投げ釣りをするなど、釣りを趣味にしていた。小学校六年生の頃、個人的に教わっていたピアノ教師から「海で死んだ人はカモメになる」という印象的な話を聞き、後年にフランスのシャンソン歌手だったダミアの『Les Goélands (かもめ)』という歌に全く同じ言葉があるのを知って感動を覚えたという。またそのピアノ教師は、その後、海岸で釣りの最中に波にさらわれて亡くなっており、時折、海岸でカモメを目撃すると、ピアノ教師の生まれ変わりではないかと思うことがあったという[2]。
姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生[3]。
東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが[4]、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ[4]。
1961年(昭和36年)、キングレコードの専属となり、『たわむれないで』でレコード・デビュー[4]。石井好子が設立した石井音楽事務所に所属する[5]。64年、『夜明けのうた』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、一躍、実力派の流行歌手として脚光を浴びた[4]。翌年には『恋心』もヒット[4]。その後は、テレビ番組の司会やミュージカルなど幅広い活動を続ける[4]。
1970年(昭和45年)9月末、酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。膠原病と診断され、闘病生活を余儀なくされる[6]。この年、『希望』が約70万枚売り上げる大ヒットとなり、2度目のレコード大賞歌唱賞を受賞したが[4]、入院中のため授賞式には出席できず、『第21回NHK紅白歌合戦』への出場も辞退した。高熱にうなされ闘病半年余、歌への執念が生への活力につながり、奇跡的に再起を遂げ[3]、71年には『甦える明日』などをレコーディング[4]、加えて『希望』が「第43回選抜高校野球大会」の入場行進曲に採用された。以後は、レコード発売や公演数は減ったものの、活動は重ねた[4]。
1989年(平成元年)、歌手生活30周年を記念して全国ツアーを展開。公演の途中、激痛に襲われ打ち切りとなったが「同じ難病をかかえる人たちの心の支えになるためにも、私は歌い続ける」と91年にカムバックし、その秋には東京厚生年金会館の舞台に立った[4]。
1992年11月19日、自宅玄関で転倒し肋骨を骨折損傷し[4]、膠原病の後遺症悪化による腎臓病治療のため再入院した。入院中も年末のディナーショーの準備を行い、当初12月12日に退院が決まっていた。しかし、退院2日前の12月10日に意識不明の重体となり、翌11日に敗血症のため急死した[4]。57歳没。
没後に故郷の酒田市にて「岸さんの楽曲を歌い継ぎ、その功績を多くの人に知ってもらいたい」として『岸洋子を歌いつぐ会』が結成され、活動が続けられている[7]。
日本のシャンソン界において越路吹雪と人気を分け、「魅せる越路、聴かせる岸」と評価されていた。
略歴
- 山形県立酒田東高等学校卒業。
- 1958年:東京藝術大学大学院声楽専攻科修了。
- 1961年:シャンソン歌手としてキングレコードと契約。
- 1962年:『たわむれないで』でレコード・デビュー。
- 1964年:『夜明けのうた』で第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
- 1969年:芸術祭優秀賞を受賞。
- 1970年:酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。膠原病と診断され、闘病生活を余儀なくされる。
- 1971年:膠原病を一時克服、退院して再起する。
- 1983年:自叙伝『さくらんぼの楽譜』を出版。
- 1984年:歌手生活25周年記念リサイタルを開く。芸術祭優秀賞を受賞。
- 1992年12月11日:敗血症のため急死。57歳没。
代表曲
NHK紅白歌合戦出場歴
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
NHKみんなのうた出演歴
| 初放送 | 曲目 | コーラス | 再放送 |
|---|---|---|---|
| 1965年(昭和40年)6月 - 7月 | レロンレロンシンタ[8] (1965年版) | (なし) | (なし) |
| 1965年(昭和40年)12月 - 1966年(昭和41年)1月 | ピエロのトランペット[9] (1965年版) | 2022年(令和4年)2月▲ | |
| 1966年(昭和41年)2月 - 3月 | ドナドナ | 2006年(平成18年)8月23日△ 2006年(平成18年)12月12日△ 2007年(平成19年)1月2日△ 2008年(平成20年)12月 - 2009年(平成21年)1月 2021年(令和3年)10月[10] | |
| 1966年(昭和41年)4月 - 5月 | 春のそよ風[11] | (なし) | |
| 1973年(昭和48年)4月 - 5月 | レロンレロンシンタ[8] (1973年版) | 2022年(令和4年)8月 - 9月▲ | |
| 1974年(昭和49年)4月 - 5月 | ぼくの町 | スクールメイツ | (なし) |
(注意点)
- ▲マークはラジオのみの放送
- △マークはNHK衛星第2テレビ(現:BSプレミアム)で2006年 - 2007年に放送された『懐かしのみんなのうた』で放送
著書
- 『さくらんぼの楽譜』報知新聞社、1983年7月。