朴珍錫 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1926-12-24) 1926年12月24日 日本統治下朝鮮平壌死没 (1991-07-11) 1991年7月11日(64歳没) 韓国ソウル特別市国軍統合病院所属組織 大韓民国陸軍軍歴 1947-1964朴珍錫박진석生誕 (1926-12-24) 1926年12月24日 日本統治下朝鮮平壌死没 (1991-07-11) 1991年7月11日(64歳没) 韓国ソウル特別市国軍統合病院所属組織 大韓民国陸軍軍歴 1947-1964最終階級 准将墓所 国立ソウル顕忠院テンプレートを表示 朴 珍錫(パク・ジンソク、朝鮮語: 박진석、1926年12月24日 - 1991年7月11日 [1])は、大韓民国の軍人。最終階級は陸軍准将。朝鮮戦争では白善燁の幕僚の一人として信任を得た。 平壌出身。1947年4月に警備士官学校を3期生で卒業。 多富洞の戦いにて第1師団の幕僚入りを希望し、作戦部長補佐に登用。幕僚の中でも金點坤とともに英語が堪能であったことから、平壌突入作戦での米軍戦車隊を中心としたパットン式戦術の実践に当たり、前進航空統制班の代理に抜擢される[2]。10月末の雲山の戦いでは作戦参謀[3]。 1952年4月、第2軍団作戦部長[4]。9月、大領。同年末、作戦方針をめぐって降板を希望していた孔国鎮の後任で白野戦戦闘司令部作戦参謀になる。 1953年6月、忠州肥料工場運営株式会社に発令。 年譜 1947年4月19日:警備士官学校卒業(3期生) 1950年8月:第1師団作戦部長補佐 1952年 4月5日:第2軍団作戦部長 9月:大領 年末:白野戦戦闘司令部作戦参謀 1953年6月:第1軍団参謀長 1957年:陸軍参謀本部副官監 1958年3月:准将、連合参謀本部秘書室長 1961年 3月:ソウル大学校行政大学院修了 5月:忠州肥料工場運営株式会社社長 6月:国防大学院修了 1964年4月:予備役、忠州肥料株式会社社長 1968年4月:忠州肥料株式会社社長(~1971年) 出典 ↑ “전 충비 사장-박진석씨 별세 [元忠肥社長 朴珍錫氏別離]”. 中央日報. (1991年7月12日). https://www.joongang.co.kr/article/2613458 2025年12月2日閲覧。 ↑ 佐々木 1977, p. 410. ↑ 佐々木 1977, p. 437. ↑ 佐々木 1977, p. 497. 参考文献 世界政経調査会 編『韓国・北朝鮮人名辞典 1973年版』世界政経調査会、1974年3月、370頁。NDLJP:12170599/192。 佐々木春隆『朝鮮戦争 韓国篇 下 (漢江線から休戦まで)』原書房、1977年3月10日。NDLJP:12172908。 Related Articles