朴珍錫

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死没 (1991-07-11) 1991年7月11日(64歳没)
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
国軍統合病院
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1947-1964
朴珍錫
박진석
生誕 (1926-12-24) 1926年12月24日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平壌
死没 (1991-07-11) 1991年7月11日(64歳没)
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
国軍統合病院
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1947-1964
最終階級 准将
墓所 国立ソウル顕忠院
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朴 珍錫(パク・ジンソク、朝鮮語: 박진석1926年12月24日 - 1991年7月11日 [1])は、大韓民国の軍人。最終階級は陸軍准将朝鮮戦争では白善燁の幕僚の一人として信任を得た。

平壌出身。1947年4月に警備士官学校3期生で卒業。

多富洞の戦いにて第1師団の幕僚入りを希望し、作戦部長補佐に登用。幕僚の中でも金點坤とともに英語が堪能であったことから、平壌突入作戦での米軍戦車隊を中心としたパットン式戦術の実践に当たり、前進航空統制班の代理に抜擢される[2]。10月末の雲山の戦いでは作戦参謀[3]

1952年4月、第2軍団作戦部長[4]。9月、大領。同年末、作戦方針をめぐって降板を希望していた孔国鎮の後任で白野戦戦闘司令部作戦参謀になる。

1953年6月、忠州肥料工場運営株式会社に発令。

年譜

出典

参考文献

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