もとは魯で糊口を凌ぐ生活を送っていたが、堪え兼ねて陶朱公(范蠡[注釈 2])の下へと赴き商売の道を求めた。陶朱公は猗頓に「其方が早く富みたいならば、五頭の牝牛を飼うてみよ」と教え、猗頓はこれに従って猗氏(現在の山西省運城市臨猗県)へと移徙し、牛・羊の牧畜を行い製塩業を営んだ[5][6]。果たして猗頓は十年の内に巨万の富を得るに至り、故に「猗頓」と称されるようになった[4]。また宝玉を見分ける眼力にも優れており、珠玉の取引にも携わったという[7]。
この猗頓の成功は、『史記』等に見える陶朱公の故事(范蠡#伝説を参照)と併せて陶朱猗頓の富と称され、巨富あるいは大富豪の形容として用いられるようになった[8][9]。