甗
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新石器時代には既に陶製の甗が登場しており、黄河流域で新石器時代末期~殷、周代にかけて流行した。
青銅製の甗は殷代初期に登場して以降、春秋戦国時代末期までの長い間用いられた。殷代初期は生産量も少なかったが、末期には増産されるようになった。出土した殷代の甗のほとんどは簀が欠落しているが、西周以降の甗には銅製の簀が付いているものも多い。殷周時代の甗は連体型と分体型の2種類に分類でき、春秋戦国時代までは甑と鬲をそれぞれ単独で用いることはなかったと推定される。春秋戦国時代中期~末期になると、円形の分体甗は鬲部の袋足が縮小して底面は平らに近くなり、甑部と鬲部を併せもつ甗は次第に姿を消していった。一部地域では、甑を指して甗と呼称することもあった。秦、前漢時代になると、甗の下部は釜型に変形していき、釜の中部にはかまどに引っかけられるような溝が施されるようになった[2]。

