1968年札幌オリンピック構想

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1968年札幌オリンピック構想(1968ねんさっぽろオリンピックこうそう)は、日本北海道札幌市1968年冬季オリンピックの開催を目指していた構想。

1959年の1964年東京オリンピック開催決定や[1]1960年2月にスコーバレーオリンピックにてアベリー・ブランデージ国際オリンピック委員会(IOC)会長が日本に冬季五輪の運営能力があると発言したことにより[2]、日本への冬季五輪招致の機運が高まり[1]日本スケート連盟全日本スキー連盟が協同で冬季五輪の日本招致の検討に入り[3]、11月23日には日本オリンピック委員会(JOC)に冬季大会招致委員会を設置し各都道府県のスキー・スケート連盟に開催希望を打診した[1]

日中戦争に伴い1940年冬季五輪を返上していた札幌市でも各競技団体から五輪招致への要請が高まり[1]、北海道スケート連盟が1960年12月に札幌招致委員会を設置[3]、12月13日には原田與作札幌市長が冬季五輪招致について歓迎の姿勢とともに市民の意向を確かめる必要性と市の負担分5億円程度なら開催可能といった方針を発言[4]、1961年3月7日に北海道体育協会・北海道スキー連盟・北海道氷上競技連盟各会長の連名で承知陳情書を札幌市長に提出[1]、3月24日には札幌市議会にて冬季五輪招致への立候補を可決[5]、4月28日にはJOCに立候補を届け出た[1]。5月16日に原田市長を委員長・町村金五北海道知事らを顧問に札幌招致委員会を設置[6]、6月6日には札幌市役所内に招致対策本部、総務局にオリンピック課と専任職員を配置し教育委員会から招致関連業務を移管した[1]

1968年大会招致の国内選考には札幌の他栃木県日光市、新潟県湯沢町・長野県白馬村軽井沢町山ノ内町合同・安曇村、山形県山形市、岐阜県高山市[1]、合計9市町村が立候補し[7]、その後4箇所を除外し[8]、札幌・日光・湯沢・白馬・軽井沢山ノ内合同の5候補とし10月に質問会を行い[9]、2月25日から26日には現地調査を行い、1962年5月11日には札幌が最適地と選定され[10]、北海道開道・札幌市開基百年記念を主な開催理由に挙げる形で8月14日にJOCへ招致申請書を提出[1]

JOC総会ではジャカルタアジア大会問題により札幌招致関連の審議が進まなかったものの[1]、11月28日に札幌の立候補を正式承認[11]、1963年1月には政府閣議でも承認[12]、2月19日に衆議院・20日に参議院で招致案が決議された[1]

1月29日から1ヶ月間の板垣武四札幌市助役らを皮切りに海外PR使節団の派遣を開始[13]、2月7日にIOCに立候補届が提出された[14]。3月25日に北海道開発庁長官の川島正次郎を会長に招致委員会を設置しPR資料や使節団等の招致運動を推進[1]、1963年11月にはPR資料が完成[15]、1964年1月28日にインスブルックで行われたIOC総会では原田札幌市長を団長に在オーストリア日本大使館員ら20名の使節団を派遣し写真パネルや日本色を盛り込んだ展示会を行うとともに、総会内でのプレゼンテーションでは1940年大会の開催を正式決定したカイロでの1938年IOC総会にも携わった津田正夫が説明にあたり[1]、津田は「戦前に札幌は一度開催地に選ばれたが戦争で中止になったことを思い起こしていただきたい、更に冬の大会はこれまでアジアで一度も行われていないことも明記していただきたい」と演説するも[16]、得票数6票のみにとどまり落選しグルノーブルでの開催に決定[17]

敗因としては東京での夏季五輪開催に続く形での楽天的な雰囲気で1940年大会返上の経緯を背景に札幌市開基百年に合わせる事が招致の主目的となり競技施設面での利点を強く打ち出せず既存の大倉山シャンツェを除いて競技施設の整備が後回しにされていたこと[16]、正式立候補から総会まで約1年程度の期間で出遅れ1963年9月のIOC総会にて招致団派遣を含む招致運動の禁止が敷かれたことにより[17]、欧州・東南アジア・南米・オーストラリア・ソ連と5地域への使節団派遣が取りやめとなりまとまった票の取り込みが出来なかった[16]、夏季大会が東京・メキシコシティーと続く中でヨーロッパでの開催の気運が高まったこと、フランスが中華人民共和国を国家として承認したことにより中国に接近したアジア・アフリカ諸国の票がグルノーブルに流れたことが挙げられた[17]

札幌市は最終的に招致活動へ約7,300万円を費やし[16]、2月8日には札幌市議会にてIOC総会での招致活動報告を行うとともに招致失敗の責任を取る形で原田市長の不信任案が提出されるも否決、同年12月23日には時期を限定しない形で冬季五輪再招致を決議、翌1965年1月にJOCに1972年大会の招致申請書を提出。1966年4月ローマでのIOC総会にて1972年大会の招致を成功させている[1]

開催計画

出典

外部リンク

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