1990年エストニア最高会議選挙

From Wikipedia, the free encyclopedia

改選数105
有権者数1,164,603
1990年エストニア最高会議選挙
1990 Eesti Vabariigi Ülemnõukogu valimised

1985年 
1990年3月18日 (1990-03-18)
 1992年

内閣 インドレク・トーメ
改選数 105
選挙制度 小選挙区制
中選挙区制
有権者数 1,164,603

投票率 78.24%
  第1党 第2党 第3党
 
党首 エドガー・サヴィサールヴァイノ・ヴェリャス
政党 エストニア人民戦線エストニア共産党労働集団合同ソビエト
獲得議席 432725

1990年エストニア最高会議選挙(1990ねんエストニアさいこうかいぎせんきょ、エストニア語: 1990 Eesti Vabariigi Ülemnõukogu valimised)は、1990年3月18日エストニア・ソビエト社会主義共和国で行われた最高会議議員(第12期)の総選挙である[1]

エストニア最高会議は2月の時点で、憲法から共産党の指導性を定めたソ連憲法第6条を削除していたため、この選挙には非共産党系の組織からも出馬が許可された、複数政党制選挙となった[1]

選挙

この選挙はドループ基数英語版を用いた単記移譲式投票で実施され[2]、組織よりも候補者個人に対する支持が重視された[1]直接選挙に基づく秘密投票と各票の平等が保障され、投票は7時から20時まで実施されるものとされた[3]。投票用紙はエストニア語ロシア語ロシア語版の双方で印刷され、候補者名はアルファベット順に並べられた[4]。46の選挙区に1030か所の投票所が設けられ、議員の定数は105人とされた[5]。また、議員数と選挙区のうち4つはソ連軍エストニア語版に対して割り当てられていた[5]

投票権は、エストニア国内に居住する18歳以上の住民に対して与えられ、10年間エストニアに居住していた住民については代理投票も認められた[6]。一方、投票権は居住地の選挙区に限って与えられ、また有罪判決を受けている者の投票権も認められなかった[6]。閣僚(閣僚会議議長を除く)・裁判官・検察官・人民統制委員会メンバーなどに対しても投票権は認められなかった[6]。軍選挙区の投票権は、当該地区に居住する18歳以上の軍人とその家族に対して、居住期間に関係なく認められた[7]

536人が立候補し、うち474人が登録され、さらに82人が途中で撤退したことで、最終的な候補者数は392人となった[5]。候補者の民族別内訳は、エストニア人277人・ロシア人英語版89人・その他26人であった[5]。性別は男性368人・女性24人であり、年齢別にみると40歳以下104人・41歳から50歳までが162人・51歳以上126人であった[5]。対する有権者数は116万4603人となり、そのうち91万2648人が投票用紙を受け取り、91万1203人(78.2パーセント)が投票した[5]

選挙結果

当選者の詳細

脚注

Related Articles

Wikiwand AI