直接選挙は9月20日の9時から20時にかけて、議会選挙(英語版)と並行して実施された[6]。これらの選挙には欧州評議会や国際選挙制度財団(英語版)からも国際監視員が派遣され、彼らは選挙が適正に実施され、民意を反映していることを確認した[6]。
結果、1次投票ではリューテルが42.2パーセントと最多の票を集めたが、過半数に達しなかったため議会での決選投票に持ち越された[3]。ターケペラの敗因については、彼が選挙戦で出遅れたこと、所属する人民戦線の指導者エトカル・サヴィサール(エストニア語版)による政権 (et) がすでに国民の支持を失っていたこと、その寛大な国籍政策がリューテルへの投票を拒んだ右派層に訴求できなかったこと、などが指摘されている[7]。
議会での大統領選挙決選投票は10月5日に実施されたが[5]、先立って実施されたその議会選挙では、祖国連合が全101議席中の29議席を獲得する第1党となっていた(第2党は安全の家の17議席、第3党は人民戦線の15議席)[3]。結果、決選投票でメリが多数票を獲得し、翌6日に大統領へと就任した[5]。
e • d
1992年エストニア大統領選挙
(一般投票:1992年9月20日 議会投票:1992年10月5日施行)
| 候補者 |
所属政党 |
一般投票 |
議会投票 |
| 得票数 |
得票率 |
得票数 |
得票率 |
|
アルノルド・リューテル |
安全の家 |
195,743 |
42.23% |
31 |
34.44% |
|
レナルト・メリ |
祖国連合 |
138,317 |
29.84% |
59 |
65.56% |
|
レイン・タアゲペラ |
エストニア人民戦線 |
109,631 |
23.65% |
|
|
ラグル・パレク |
エストニア民族独立党 |
19,837 |
4.28% |
| 総計 |
463,528 |
100.0% |
90 |
100.0% |
| 有効票数(有効率) |
463,528 |
98.92% |
90 |
89.11% |
| 無効票・白票数(無効率) |
5,077 |
1.08% |
11 |
10.89% |
| 投票総数(投票率) |
468,605 |
67.95% |
101 |
100.0% |
| 棄権者数(棄権率) |
221,003 |
32.05% |
0 |
0.00% |
| 有権者数 |
689,608 |
100.0% |
101 |
100.0% |
| 出典:Nohlen & Stöver |