海上自衛隊では、MSA協定に基づいて1958年(昭和33年)にアメリカ海軍より15隻の供与を受けて、1号型哨戒艇として運用を開始した。当初は、横須賀で引き渡された7隻をもって横須賀地方隊隷下に第1港湾哨戒隊を、佐世保で引き渡された8隻をもって佐世保地方隊隷下に第2港湾哨戒隊を編成していた。その後、1963年(昭和38年)6月15日をもって4分割されることとなり、第1港湾哨戒隊から大阪基地隊(淡路警備所・由良基地に分遣)に3隻を転出させて第2港湾哨戒隊を、旧第2港湾哨戒隊から舞鶴地方隊に4隻を転出させて第4港湾哨戒隊を編成し、佐世保の旧第2港湾哨戒隊は第3港湾哨戒隊と改称された[4]。
哨戒任務のほかに交通連絡用にも用いられ、また1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、江の島沖でおこなわれたセーリング競技の大会支援にあたる海上支援任務群において、15隻全艇が競技運営任務隊として召集され、昭和39年台風第20号襲来のなか、浮標の設置やコースの誘導、事故時の救難などにあたった[4]。
1965年(昭和40年)8月13日、これらの艇は貸与から供与に切り替えられた。しかし元来が大戦中の建造であり、老朽化も進んでいたことから、1971年(昭和46年)より国産の19号型哨戒艇と交代するかたちで順次に退役を開始し、1973年(昭和48年)までに運用を終了した[4]。
同型艇一覧
| 旧米艦名 | # | 艦名 | 貸与 | 配属 | 除籍 |
| C-7765 | PB-901 | 哨戒艇1号 | 1958年 (昭和33年) 2月21日 | 横須賀 | 1973年 (昭和48年) 3月31日 |
| C-8294 | PB-902 | 哨戒艇2号 | 1971年 (昭和46年) 3月31日 |
| C-8319 | PB-903 | 哨戒艇3号 |
| C-15907 | PB-904 | 哨戒艇4号 | 1972年 (昭和47年) 3月31日 |
| C-25395 | PB-905 | 哨戒艇5号 | 横須賀 → 大阪 | 1971年 (昭和46年) 3月31日 |
| C-35868 | PB-906 | 哨戒艇6号 |
| C-60220 | PB-907 | 哨戒艇7号 |
| C-60280 | PB-911 | 哨戒艇11号 | 1958年 (昭和33年) 5月16日 | 佐世保 | 1972年 (昭和47年) 3月31日 |
| C-60307 | PB-912 | 哨戒艇12号 | 1973年 (昭和48年) 3月31日 |
| C-60310 | PB-913 | 哨戒艇13号 | 1972年 (昭和47年) 3月31日 |
| C-60310 | PB-914 | 哨戒艇14号 |
| C-60315 | PB-915 | 哨戒艇15号 | 佐世保 → 舞鶴 |
| C-60338 | PB-916 | 哨戒艇16号 |
| C-60340 | PB-917 | 哨戒艇17号 | 1973年 (昭和48年) 3月31日 |
| C-60342 | PB-918 | 哨戒艇18号 | 1972年 (昭和47年) 3月31日 |