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21クラブ

伝統的なアメリカ料理のレストラン、禁酒法時代におけるスピークイージー From Wikipedia, the free encyclopedia

21クラブ(トゥエンティワン・クラブ 英語: 21 Club)、あるいは単にしばしばそう呼ばれる21とは、ニューヨーク市マンハッタン区西52丁目21番地に位置する、伝統的なアメリカ料理のレストランであり、禁酒法時代にはスピークイージー(もぐり酒場)として経営されていた[1]。2020年に閉店するまで、同クラブは90年間にわたって営業を続け、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト以降、ほぼすべてのアメリカ合衆国大統領を賓客としてもてなした。21クラブには秘密のワインセラーがあり、そこにはエリザベス・テイラーやソフィア・ローレンといったセレブリティのコレクションが貯蔵されていた[2]。同店を特徴づけるものの1つは常連客から寄贈された37体の競馬騎手の像であった。多くの騎手のユニフォームは常連客たちが馬主であった競走馬の勝利騎手と一致する色に塗られていた[3]。

開店 1922年 (104年前) (1922)
閉店 2020年12月11日 (2020-12-11)
現オーナー ベルモンド (1995年- )
マーシャル・S・コウガンとスティーヴン・スウィッド (1985年 – 1995年)
ジャック・クリエンドラーとチャーリー・バーンズおよび両家の家族 (1922年 – 1985年)
シェフ長 シルヴァン・デルピーク
概要 21クラブ, レストラン情報 ...
21クラブ
21 Club
西52丁目21番地、2018年
レストラン情報
開店 1922年 (104年前) (1922)
閉店 2020年12月11日 (2020-12-11)
現オーナー ベルモンド (1995年- )
マーシャル・S・コウガンとスティーヴン・スウィッド (1985年 – 1995年)
ジャック・クリエンドラーとチャーリー・バーンズおよび両家の家族 (1922年 – 1985年)
シェフ長 シルヴァン・デルピーク
ドレスコード ジャケット着用、ジーンズ不可
郵便番号/ZIP 10019
国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
州 ニューヨーク州
市 ニューヨーク市
住所 西52丁目21番地
座標 北緯40度45分37.8秒 西経73度58分38.6秒
予約 推奨
ウェブサイト www.21club.com
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地図

新型コロナウイルス感染症の世界的流行によって閉鎖されたのち、同店は2020年12月に「当分の間、現在の形態では」再オープンはせず、同レストランを長期的に存立可能な事業としていかにして存続させるかを検討していると発表した。

歴史

最初の店舗形態と禁酒法

21クラブの元となった最初の店舗は1922年にグリニッジ・ヴィレッジで開店し、経営者は従兄弟同士であるジャック・クリエンドラーとチャーリー・バーンズの2人であった。その店はもともとはレッド・ヘッドという名で知られる小さなスピークイージーだった。1925年に店舗の場所はワシントン・プレイスの地階に移り、店名をフロントンに変えた。その翌年、店はアップタウンの西49丁目42番地に移り、店名をパンチョン・クラブに変え、非常に高級な店となった[4]。

1929年末、ロックフェラー・センター建設のため、同クラブは西52丁目21番地に移り、店名をジャック&チャーリーズ「21」に変更した[5]。同店は1930年1月1日に同地でオープンした。その頃、ニューヨーク市にはおよそ3万2000軒のスピークイージーがあったと推定される[6]。禁酒法時代には幾度となく警察の立ち入り捜査を受けたが、店舗スタッフには当局から店を守る方法があった。手入れが押し寄せるや否や、バーの棚を傾けるレバーの仕掛けが作動し、酒瓶をシュート(落とし口)に落として、市の下水道へと一掃した[7]。同店には秘密のワインセラーもあり、隣の建物(19番地)の地下室と繋がっている、レンガの壁に作られた隠し扉[2]によって出入りすることができた。この隠し扉は非常に分厚く、重さにして2.5トンもあり、押しても叩いてもびくともしないので、本物の壁と見分けがつかなかった[8]。禁酒法時代、ニューヨーク市長のジミー・ウォーカーは常連客であり、この地下室に設けられた椅子を定席として、高級ワインを堪能した[8]。禁酒法撤廃後も依然ワインセラーとして使われていたが、この地下貯蔵室の一部は改装されて、20人までの客が内々にディナーパーティーを開くことができるようになっていた。同クラブは次に述べる人々のプライベートなワイン・コレクションも収蔵していた。ジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ジョーン・クロフォード、エリザベス・テイラー、ヒュー・L・ケアリー、アイヴァン・ボウスキー、アーネスト・ヘミングウェイ、ノードストローム・シスターズ(英語版)、フランク・シナトラ、アル・ジョルスン、グロリア・ヴァンダービルト、ソフィア・ローレン、メイ・ウェスト、ザ・ザ・ガボール、アリストテレス・オナシス、ジーン・ケリー、グロリア・スワンソン、ジュディ・ガーランド、サミー・デイヴィス・ジュニアおよびマリリン・モンロー。同店はデイヴィッド・二ヴンの回想録『Bring on the Empty Horses』の中で数回言及されている。二ヴンは禁酒法時代の終焉後に酒を売る仕事をJ+Cから与えられ、戦争からの帰還後に同じく帰還した監督のジョン・ヒューストンとともに21クラブを訪れた[9]。

クリスマスが近くなると、常連客にはバーの紋章がプリントされた毎年デザインの違うスカーフが配られた。ノードストローム・シスターズの姉シギー・ノードストロームはもらったスカーフを数十枚コレクションしていた。[要出典]

1950年のニューヨーク・タイムズ紙によれば、コーヒーショップで売っているほとんどのハンバーガーが50セントであった一方、21クラブでは2ドル75セントであった[6]。ニューヨーク市のウォルドーフ・アストリア・ホテルで開催され、社交界に合衆国大統領の多くの娘や孫娘を紹介した、有名なインターナショナル・デビュタント・ボール(英語版)は、21クラブで舞踏会前夜パーティーを主催していた[10]。

新たなオーナーとドレスコード

1985年に、クリエンドラーとバーンズ両家の家族は21クラブの所有権を、マーシャル・S・コウガンとスティーヴン・スウィッド率いる持株会社、ジェネラル・フェルト・インダストリーズに売却した[11][12]。10年後、コウガンとスウィッドは21クラブをオリエント・エクスプレス・ホテルズに売却した[13]。1995年に、21クラブはオリエント・エクスプレス・ホテルズ社の一部となり、同社は2014年に社名をベルモンド社へ変更した。[要出典]

2009年1月24日、21クラブはディナーの席で男性にネクタイ着用を要求する長年にわたるポリシーを終わらせた。しかしながら、ジャケットの着用は依然として必要とされており[14]、ジャケットを持って来るのを忘れた男性はマイケル・コースやラルフ・ローレンの貸しジャケットを借りることができた[15]。2015年中頃、37体の騎手すべては3ヶ月におよぶアーティストによる修復のため取り外され、2015年10月21日に戻って来るとテープカットで祝福された[3]。

感染爆発と閉店

2020年3月、21クラブを含む、すべてのニューヨーク市のレストランでの店内飲食が新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため取りやめとなった[16]。2020年11月、同店の経営陣は半永久的に閉店の措置を取ることを決定したと言明した[17][18]。同店のトレードマークであった騎手の像は2020年12月に撤去された[6]。ニューヨークのレストランは同年短期間の休止の後、再オープンすることができたが、2度目のシャットダウンが原因となって、21クラブは12月11日に、経済の先行き不透明感を引き合いに出し、営業を無期限に停止し、従業員は2021年3月をもって解雇されると公表した[19]。21クラブは感染爆発の期間中に永久的に閉店することとなったニューヨーク市にある多くのレストランの1つであった[20]。

2021年3月9日に、21クラブのそのほとんどが労働組合に加入している従業員148名がニューヨーク州労働局(英語版)に提出された解雇通知をもって公式に解雇された[6]。21クラブは閉店した時点で90年にわたって営業しており、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト以来、ジョージ・W・ブッシュを除いたすべてのアメリカ合衆国大統領を賓客に迎えてきた。また、21クラブには秘密のワインセラーもあり、エリザベス・テイラー、リチャード・ニクソンそしてソフィア・ローレンといった人びとのコレクションを貯蔵していていた[2]。LVMHの子会社ベルモンドはニューヨーク・タイムズ紙に対して、21クラブは過去のものとなった。しかし、そのかわりなんらかの「異彩を放つ」レストランが創られるかもしれないと告知したが、その1ヶ月後、「最終的なコンセプト」は何も決定されていないと述べた[17]。2021年11月に、イーター(en)(フード系ウェブサイト)は元従業員らが21クラブを閉店するというLVMHの決定に公の場で抗議しており、また労働組合は1年以上にわたって、条件が未決着のまま、解雇手当も仕事の保証もオファーされていないと報じた[17]。

雰囲気とドレスコード

バールームはレストラン、ラウンジ、そして名が示す通り、バーからなっていた。バールームの壁や天井は有名な常連客から寄贈されたアンティーク玩具やスポーツ記念品で覆われていた[21]。おそらく最も良く知られた21クラブの特徴は入口の上のバルコニーを飾る彩色された鋳鉄のローン・ジョッキーの列であった。1930年代に、何人かの裕福なバーの顧客が21クラブに彼らが所有する厩舎の勝負服を表すように彩色された騎手の像を贈ることで感謝の意を示し始めた。2006年において、建物の外面に33体の騎手像があり、さらにドアの内部に2体の騎手像があった[21][22]。ニューヨーク・マガジン誌は「21クラブはニューヨークのアイコンであるが、それにもかかわらず、ミッドタウンの熱心な支持者たちは同店が過去に囚われていると感じ始めている」と書き、そのドレスコードやインテリアに言及した[23]。

21クラブの外面に飾られてトレードマークとなった騎手像の最初のものは1930年代に寄贈されて付け加えられ、ヴァンダービルト家やメロン家などといったニューヨークの名門一家からさらに多くを寄贈された[24]。

受容

2003年から2015年の間、21クラブはワイン・スペクテイター(英語版)大賞の受賞者であった[25]。2017年には、ザガット・サーベイのフード・ランキングで最高点5のうち4.3を獲得した[1]。

イアン・フレミングは1956年出版の「ジェームズ・ボンド」シリーズ第4作『007 ダイヤモンドは永遠に』において21クラブをニューヨークにおける最高のスピークイージーと形容した[26]。

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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