スピークイージー

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禁酒法時代にスピークイージーとして開店した、ニューヨークのレストラン、21クラブ(2020年閉店)。

スピークイージー英語: speakeasy)、別名ビア・フラット英語: beer flat[1])もしくはブラインド・ピッグ英語: blind pig)もしくはブラインド・タイガー英語: blind tiger)とは、アルコール飲料を販売する非合法な店舗であった。そのため、酒場だけでなく、違法にアルコール飲料を提供するのであれば、レストランやナイトクラブなどもスピークイージーと呼称されることがあった[2]。「スピークイージー」という言葉が一般的に使われるようになったのは1920年代の禁酒法時代に入ってからである[2][3]。19世紀から20世紀の世紀転換期を通しては、「ブラインド・ピッグ」もしくは「ブライド・タイガー」と呼ばれるのが一般的であったが、禁酒法時代には使われなくなった[2][3]。「ビア・フラット」はより高級なスピークイージーの邸宅版であり、合衆国中西部で一般的だった[1]。 「スピークイージー」という用語は歴史的なスピークイージーの趣きを再現したレトロなバーを指すこともある。日本語では「もぐり酒場」「違法酒場」「非合法酒場」などとも訳される。

アメリカ合衆国において、スピークイージーの存在は少なくとも1880年代まで遡るが、隆盛を極めたのは禁酒法時代1920年 - 1933年によってはより長期に亘る)の期間であった。この時代、アルコール飲料の販売、製造および運搬(ブートレギング英語版)はアメリカ合衆国憲法修正第18条により、合衆国全土において違法であった[4]。1933年に禁酒法が廃止された後、スピークイージーはほとんどが姿を消した。2000年に、ミルク&ハニー英語版というバーが開店してからは、スピークイージー・スタイルのバーが流行するようになった[5]

合衆国において最も初期に記録された使用の一つ。ピッツバーグ・ディスパッチ英語版紙、1889年6月30日[6]

「密売人の店」を意味する「スピーク・ソフトリー・ショップ(speak softly shop)」という語句は1823年に出版されたイギリス俗語辞典に登場した[7]。類似の語句で、酒類販売が無許可で為される場所を意味する「スピーク・イージー・ショップ(speak easy shop)」は退役した英国海軍軍人によって1844年に執筆された回想録に登場した[7]。「スピークイージー」という用語そのものの使用は遅くともオーストラリアの新聞、シドニー・ヘラルド紙が記事において「ボロ・クリーク一帯で俗に呼称されている『スピークイージーズ(speakeasy's)』という無認可の酒屋」に言及した1837年に始まる[8][9]

アメリカ合衆国において、この言葉「スピークイージー」は1880年代に出現した。使用が記録された一番最初のものは1889年3月21日付けのペンシルヴェニア州ハリスバーグの新聞記事においてであり、ピッツバーグ都市圏の街、マッキーズポートにおいて「無許可営業している酒場」を指して使われる言葉として、「スピーク・イージー(speak easy)」に言及している[10]。のちの1889年6月30日付けのピッツバーグ・ディスパッチ紙の記事は以下のように説明している。

「スピーク=イージー(speak-easies)」は最初に誰がそう呼んだかに関わらず、常時、存在してきた。それは「壁の穴(hole-in-the-wall、人目に付かない、ちっぽけな店の意)」であって、その主だった特色を表す様々な名称で呼ばれてきたが、「スピーク=イージー」と呼ばれ出したのは、つい最近になってから、ピッツバーグの街においてである[6]

スピークイージーは、「警察や近隣住民の注意を惹かないようにするために、公共の場あるいは店内にいる時にその場所について密かに話す習慣であったことから、そのように呼称されていた」[11]。また、酒を注文する際、ひそひそと話したからという説もある[12]。さらに合衆国国外でのより早い使用例に関する説明を欠いてはいるものの、ニューヨーク・タイムズ紙はこの言葉を、マッキーズポートで1880年代に無許可バーを経営していた酒場経営者ケイト・ヘスターの言葉に由来するとしている。彼女はあらくれた客たちに向かって当局の注意を惹かないように「静かに話す(speak easy)」ように言いつけたといわれるのだが、以来この話はアメリカ人なら誰もが知っている逸話となっている[13][14][15][16]。長年ののち、禁酒法時代の合衆国において、「スピークイージー」は非合法な飲料を手に入れる場所を言い表す一般的な名称となった[17]

非合法酒場の別称として、19世紀の合衆国で誕生したのは「ブラインド・ピッグ(盲目の豚)」や「ブラインド・タイガー(盲目の虎)」という呼称であった[18]。これらの呼称は違法にアルコール飲料を売る店舗に対して使用され、今日でも依然として使用されている。店舗(酒場あるいはバーなど)の経営者は見世物(動物など)の見物料を客から取り、次いでアルコール飲料を「無料で」提供することで法の網をくぐり抜けていた[19]

苦肉の策として、経営者はグリーンランドのブタやその他奇妙な動物たちの見世物小屋を開くところまで行き、ブタの見物料として25セントを徴収し、ジン・カクテルを無料のおまけとして提供した。客たちは「ブラインド・タイガー」と呼ばれる謎の場所の中にいて、とても質の悪いウイスキー(これについては禁酒法が間接的に責任がある)を飲んでいたのだった[20]

「ブラインド・タイガー」は販売者が身元を隠した違法な酒場を指す言葉でもあった。

ビリヤード場のように見える部屋の壁に引き出しが一体化している。引き出しを開けて、小銭を中に落とし、引き出しを押し戻して、何が欲しいかを言い、それからふたたび引き出しを開けると、ちょうど言った通りに「ストレート(Straight、薄めないそのままの蒸留酒)」か「スパイクト(Spiked、ノンアルコール飲料にアルコールが添加されたものを意味する。例えばカクテルなど)」かが出現した。誰の声も聞こえず、誰の姿も見えず、見たところ、いかなる店員も存在しないブラインド・タイガーはまるで魔法仕掛けのようだった[21]

歴史

アメリカ合衆国における「スピークイージー」という用語の起源。ニューヨーク・タイムズ紙、1891年7月6日。[16]

アメリカにおける最初のスピークイージーは1880年代後半のピッツバーグ都市圏に出現した。「人を酔わせる酒類(intoxicating liquors)」の販売を管理するために、アレゲニー郡酒類法(Allegheny County Liquor Law)が1872年に可決された。この法律はアルコール販売許可証を導入し、閉店時間を定め、未成年への販売を禁じ、全体として、無秩序な環境を規制することをめざした。ピッツバーグのバーテンダーたちはこれらの規制に大部分は従ったが、それもブルックス高額許可料法(Brooks High-License Act)が年間の販売許可料を50ドルから500ドルへと増額した1888年までだった。この法律の施行後、ごく少数のバーは販売許可料を支払った一方、その他は閉店し、ほとんどの店舗は地下にもぐった。1890年までに、ピッツバーグには約700軒のスピークイージーがあったが、許可を得ている酒類販売者は92軒に過ぎなかった[22]。このことは全国的なマスコミの注目を集め、例えば、1891年のニューヨーク・タイムズ紙の記事は以下のように記している。

ピッツバーグの三面記事で最もよく見られる用語は「スピーク=イージー」の警察による手入れである。(……)この表現はマッキーズポートで一般的になり、ピッツバーグに広がった。当地の新聞記者たちは長年に亘る切実な要求を満たすものとしてこの用語を受け入れた。同用語はいまやアルコール度数が高い飲み物が無許可で販売される盛り場を表すものとして全国的に流通している[16]

スピークイージーは禁酒法時代(1920年 - 33年)に何軒も存在し人気を得ていた。それらの中には犯罪組織関係者によって経営されているものもあった。警察や酒類取締局職員はたびたび手入れを行ない、経営者や常連客を逮捕していったとはいえ、それでも利益の大きさからスピークイージーは繁栄し続けた。やがてスピークイージーはこの時代におけるアメリカ文化の最も大きな部分の1つになった。スピークイージーが形成されるにあたっていくつかの変容が起こった。その1つは統合であった。黒人白人の違いを問わず、あらゆる人種の人びとが、集まり、交流さえしたものだった。人びとは入り混じって、それでいてほとんど、あるいはまったくなんの問題もなかったものだった[23]。1930年にデトロイト=ウインザートンネルが開通したことによって、アルコール飲料をアメリカ合衆国に密輸する新たな手段が生まれ、地域内のギャングにとってさらなるビジネスが生み出された[24]

新たに生じたもう1つの変化は女性客の増加であった。スピークイージーに女性を惹きつけ、より多くの利益を得るためのお膳立てが多くの店で行われた[25]。また女性たちもスピークイージーの商売に自ら乗り出し始めた。元映画および舞台女優であったテキサス・ガイナン英語版は禁酒法時代に300クラブやエル・フェイといった、多くのスピークイージーをオープンさせた。ガイナンは客たちに「よう、呑兵衛ども」と呼び掛けて歓迎し、自身は禁酒法無しでは何もやっていけなかっただろうと認めていた。彼女にとっての最大の競合相手はヘレン・モーガンとベル・リヴィングストンの2人だった[26]

ワシントンD.C.にあったスピークイージー、クレイジー・キャット・クラブ(英語版)の開店を待つ数人の常連客と1人のフラッパー、1921年。
ワシントンD.C.にあったスピークイージー、クレイジー・キャット・クラブ英語版の開店を待つ数人の常連客と1人のフラッパー、1921年。

スピークイージーは禁酒法時代の文化にも影響を与え、その中心の1つとなった。映画において、スクリーン上でアルコール飲料を映すことは制限されていたが、それがアメリカ人の生き方を示していると感じていた人びとは依然としてアルコール飲料を映画に出し続けた。そのようなものとして、たとえば、ジョーン・クロフォードがスピークイージーのテーブルの上で踊る『踊る娘達』の一場面などが挙げられる[27]

一部のスピークイージーで売られていた低品質な密造酒は酒本来の味を称えた19世紀の「クラシック」なカクテル(ジュネバ英語版(スウィート・ジン)で作られたジン・カクテルなど)から洗練されていない密造酒の味を誤魔化そうとした新しいカクテルへと移行する原因となった。これら誤魔化した酒は当時「パンジーズ(pansies)」と呼ばれていた[28][29](とはいえ、ブランデー・アレクサンダーなどの一部のカクテルは現在「クラシック」と呼ばれている)。

スピークイージーで販売されるアルコール飲料の品質は粗悪なものから最上等のものにまで及んでいたが、それは経営者の仕入先によって決まっていた。一般的にはより収益が上がるという理由で粗悪な安酒が使われた。客が望む酒を特定するためにブランド名が使われる場合もあった。しかしながら、時によって、ブランド名が使われるに際して、不正を働くスピークイージーも存在した。それらのスピークイージーでは高品質の酒を注文した客を騙して、質の悪い酒を提供していた。価格はボトル1本当たり4ドルから5ドルだった[30]

2000年代の合衆国で、スピークイージーをテーマにしたカクテル・バーが復活した[29]。2022年のコロナ禍の最中、このテーマは再び人気となり、とりわけニューヨーク市においては大人気となった。現在、この名称はレトロなバー全体を指す言葉になっており、オーストラリア(2010年に登場)[31]やイギリス(2012年に登場)[32]のような禁酒法の無い国にも広がっている。

スピークイージーの種類

ワシントンD.C.にある高級スピークイージーである、メイフラワー・クラブ。酒やギャンブルを提供していた。

黎明期から、スピークイージーは比較的小規模で、娯楽要素はほとんどあるいはまったく伴わなかったが、緩やかな成長を通して人気を博すようになると、種々様々な地域へ新たな娯楽要素を加えるかたちで広がっていった。そして最終的にはスピークイージーは禁酒法時代において最も規模の大きいビジネスの1つとなった。

多くの農村部の町で、小規模なスピークイージーやブラインド・ピッグが地元の実業家によって経営されていた。これら内輪の秘密は禁酒法が廃止されたあともなお守られることが多かった。2007年に、ニューヨーク州ビンガムトンにあるサイバー・カフェ・ウェストの敷地においてスピークイージーであったと思われる秘密の地下室が改装業者によって発見された[33]

スピークイージーは経営するために大規模である必要はなかった。「スピークイージーを開店するには酒瓶1本と椅子2つあれば十分だ」[34]。スピークイージーの店舗の1例としてはニューヨークの「21(トゥエンティ・ワン)」クラブがあった。同店は最も有名なスピークイージーの1つであり、2020年まで営業していた。「21」クラブはチャーリー・バーンズおよびジャック・クリエンドラーによって所有された一連の事業の一環に過ぎなかった。2人はグリニッジで「レッドヘッド」と称する店を開くことから始め、その後、次の「パンチョン・クラブ」という店の経営に移った。「21」クラブは気づかれない状態を維持するシステムのおかげで特別な存在だった。危険が迫っていることをバーに警告するために門番を配置する独特のシステムであり、バーは機械仕掛けによって通常の店に変形したものだった[35]

禁酒法時代にスピークイージーとして使われた、アリゾナ・ビルトモア・ホテル英語版の「謎の部屋」の内部。

「バス・クラブ」や「オリアリーズ・オン・ザ・バワリー」のような店とともにスピークイージーはニューヨーク全体へと広まっていった。「バス・クラブ」は自らの店舗の独自性を保つために店内でミュージシャンたちに演奏をさせた。このミュージシャンを雇用する着想はスピークイージーのビジネス全体に広まり、またたくまに多くのスピークイージーでミュージシャンが雇われるようになった[36]

ビア・フラットはより高級なスピークイージーの邸宅版であり、合衆国中西部で一般的だった[1]

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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