3人のピント
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[2] 1820年の夏、ドレスデン歌劇場の宮廷指揮者カール・マリア・フォン・ウェーバーは『魔弾の射手』を完成させ、ドイツ国民オペラに金字塔を打ち立てた。翌1821年、作家のテオドール・ヘルは、カール・ザイデルの小説『Der Brautkampf(花嫁争奪戦)』(1819年)を題材にした戯曲を執筆、友人のウェーバーにオペラの台本として提供した。しかしウェーバーはその題名を好まず、『Die drei Pintos(3人のピント)』に変更した。このタイトルは、劇中で他の2人の登場人物(ドン・ガストン、ドン・ゴメス)からなりすまされるドン・ピントに由来する。
「3人のピント」の作曲作業は1821年7月から11月8日まで進められた。彼は「3人のピント」をドレスデンで上演し、国王に献呈するつもりだったが、許可されなかったこと、加えて『魔弾の射手』対する新聞の批判に憤慨したウェーバーが、グランドオペラこそが唯一の反論手段と考え『オイリアンテ』の作曲に着手したことから、一旦作業を中断する。ウェーバーの計画では、「3人のピント」は序曲と16の番号で構成されるはずだったが、中断した時点で、スケッチはわずか7つしか残っていなかった。実際にはもっと多くの番号があったと言われる。
1826年ウェーバーの死後、未亡人のカロリーネ・ブラントは、残っていたスケッチを故人の友人だったジャコモ・マイアベーアに託して、補筆完成を依頼した。しかしマイアベーアは25年間そのスケッチを保管した後、作業は不可能だと返却した。[3]スケッチはその後、ウェーバーの息子マックスにより1881年に亡くなるまで保管され、その後、息子のカール・フォン・ウェーバー大尉(作曲家ウェーバーの孫)に渡された。この間、遺族は複数の音楽家に補筆を相談するが、いずれも諦めるように助言された。
マーラーの死後60年を経た1886年、26歳のグスタフ・マーラーがライプツィヒ市立歌劇場でアルトゥール・ニキシュの副指揮者に就任した。1887年の初夏、カールはマーラーにスケッチと自身の台本を手渡し、補筆を相談した。この時点でマーラーは自身の楽曲をまだ出版していなかった。カンタータ『嘆きの歌』や歌曲集『さすらう若人の歌』を作曲、また『少年の魔法の角笛』の最初の曲は、ウェーバー家が所蔵していた民謡集から作曲され、マーラーはまさに最初の交響曲第1番を作曲しようとしていた。
マーラーは「3人のピント」の依頼を引き受けることに同意し、マイアベーアに倣ってオリジナルの曲をウェーバーの他の作品で補うことを決意した。1846年のマイアベーアの日記には次のように記されている。『これらのスケッチは、オーケストレーションだけでなく、音階や和声も考慮する必要がある。ウェーバーは大部分が声楽部分のみを作曲しており、ベースはほとんど書いていないし、器楽の音階を指示したことはもっと稀だ。恐ろしい課題だ。』
マーラーはウェーバーの楽譜から適切な追加素材を探すという名目で、ウェーバー家に入り浸る一方、カールの妻マリオン・マチルデ[4]と不倫関係に陥り、一時は駆け落ちを計画する。
マーラーはウェーバーの草稿を整理し、ウェーバーの意図に沿って既存の断片にオーケストレーションを施した。既存の7曲に加えてさらに13曲が必要だった。一方オペラの形式は、オリジナルのまま「台詞と音楽を組み合わせた対話形式(ジングシュピール)」を維持することとした。間奏曲や第3幕のフィナーレもマーラーによって書かれたが、これらもウェーバーのライトモチーフや主題に基づいている。
「3人のピント」は、1888年1月20日ライプツィヒの新劇場でマーラーの指揮により初演された。ヨーロッパ各地やニューヨークからも指揮者や演出家が集まり、さらにはチャイコフスキーやリヒャルト・シュトラウスも臨席し、[5]公演は大成功を収めた。ライプツィヒでは同シーズンにさらに15回の公演が行われ、その後まもなくウィーン、ドレスデン、ベルリンを含むヨーロッパの他の20のオペラハウスでも上演された。 初演前にマーラーは両親に以下のように手紙を送っている。『どれが私の作品でどれがウェーバーの作品なのか、事前に誰にも知らせてはなりません。さもないと批評家たちは簡単に判断を下してしまうでしょうから』このことからも、詳細な補筆作業は秘密とされた。
初演時は大成功を収めたものの、20世紀に入ると「3人のピント」は次第に劇場のレパートリーから外され、ほとんど上演されなくなった。理由としては、当初から指摘のあった台本の弱さに加えて、膨大なドイツ語の歌詞の分量が挙げられる。特にドイツ語圏以外の歌手にとって至難の業である。[6]また20世紀後半に入り、初演当時の「魔弾の射手」の大作曲家ウェーバーと無名のマーラーという立場から、作曲家ウェーバーと、絶大な人気交響曲作曲家マーラーという立場に変化して、自身のオペラ作品を残さなかったマーラーの手によるオペラとしての価値が再認識されている。英語圏では英語訳による公演が時折試みられている。
喜歌劇
作品の主な転用
G.マーラーは「3人のピント」補完にあたり、主に以下の転用を行っている。[8][9]
- 第1番 アンサンブル
- 『試合の饗宴』Op.68 / J132(1812)からの転用[10]
- 第2番 ロンド・ア・ラ・ポラッカ
- ハイドンのオペラ「Der Freybrief」(解放状)(1788)Hob. XXXII 2(紛失)のテーマに基づき、ウェーバーが1809年に作曲した作品(J77)を転用[11]
- 第3番 小三重唱
- 『ああ、なんと輝いていることか、月があんなに明るく』op. 64/7, J249(1818)(ドイツ民謡に基づく)からの転用[12]
- 第4番 『恋に落ちた雄猫マンソールのロマンス』
- フリードリヒ・キントの劇『グラナダの夜キャンプ』のためのアリエッテ J223(1818)からの転用。(対旋律はマーラーの作曲)[13]
- 第6番 三重唱
- 一部のメロディー:モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアからの転用[14][15]
- 第9番 アリエッテ
- 前半は、歌曲『Keine Lust』Op.71/1 , J256(1819)からの転用[16]
- 後半は『ルシンダのアリエッタ』J194(1816)からの転用[17]
- 第13番 リートと合唱
- 『祝典カンタータ』Op.58 , J244(1818)の第7番からの転用[18]
- 第15番 3声のカノン
- J35 (1802)からの転用[19]
- 第16番 アリエッテ
- 歌曲『妻はカポレス』J183(1815)からの転用[20]
- 第17番 ロンド・三重唱
- ロマンス『優しく素朴な彼女』J292(1824)からの転用[21]
- 「ヌルマハルの歌」J308(1826)からの転用[22]
- 第19番 女声合唱
- 『今日こそザクセンの子に娶らせよ』J.289 の付随音楽(1822)からの転用[23]
配役
| 人物名 | 声域 | 原語名 | 1888年1月20日初演のキャスト 指揮:グスタフ・マーラー |
2025年11月14日日本初演のキャスト 指揮:佐々木修 |
|---|---|---|---|---|
| ドン・パンタレオーネ・デ・パチェコ, マドリードの貴族 | バス | Don Pantaleone de Pacheco | ベルンハルト・ケラー | ジョン・ハオ |
| ドン・ゴメス・デ・フレイロス, マドリードの若い貴族 | テノール | Don Gomez de Freiros | ヤコブ・ヒュプナー | 村上敏明 |
| クラリッサ, パンタレオーネの娘 | ソプラノ | Clarissa | エマ・バウマン | 福田祥子(演出を兼任) |
| ラウラ, クラリッサの侍女 | メゾソプラノ | Laura | ヨゼフィーネ・フォン・アルトナー | 山畑晴子 |
| ドン・ガストン・デ・ヴィラトス,サラマンカ大を卒業したての若い貴族 | テノール | Don Gaston | チャールズ・ヘトモント | 金山京介 |
| アンブロジオ, ガストンの従者 | バリトン | Ambrosio | オットー・シェルパー | 寺田功治 |
| ドン・ピント・デ・フォンセカ, 田舎者の若い貴族 | バス | Don Pinto de Fonseca | カール・グレンク | 後藤春馬 |
| イネス, 居酒屋の娘 | ソプラノ | Inez | テレーゼ・ロートハウザー | 石井揚子 |
| 居酒屋の主人 | バス | Der Wirt | アウグスト・プロフト | 星田裕治 |
| パンタレオーネの執事 | テノール | Der Haushofmeister | 中野智貴 | |
| 合唱: サラマンカの学生, パンタレオーネの使用人, ペニャランダの村民 | ||||
あらすじ
第一幕 舞台はスペインのサラマンカ近郊のペニャランダ村の居酒屋。学生たちがドン・ガストンの送別会を開いている。学生たちは青春を謳歌し、明るい未来を夢見て杯を重ねる。ガストンはマドリードで優しい心の娘を見つけようと「ポラッカ」を歌う。しかし居酒屋の勘定書を見てびっくり!調子よくおごった結果、ガストンは無一文になる。そこに居酒屋の美人の娘イネスが姿を現し「ネコのロマンツェ」が歌われる。ガストンは早速イネスを口説きにかかるが、軽くあしらわれる。そこへ、このオペラのタイトルロールである、野暮ったい田舎貴族ドン・ピントが登場する。実は彼の父とクラリッサの父親ドン・パンタレオーネは旧友であり、ふたりの結婚はすでに親同士のあいだで取り決められていた。そしてピントはこの日、その結婚のためマドリードに向う途中だった。ガストンは田舎者のピントに、都会的な恋愛術=騎士道的な求愛の作法だと偽って、従者のアンブロジオを花嫁役に仕立て、わざと滑稽な求愛の作法を教える。上機嫌のピントはお礼に皆に食事をおごるが、満腹で酔っ払ったピントは寝込んでしまう。その隙にガストンは、ピントの父がパンタレオーネに宛てた紹介状を上着から抜き取る。この手紙を持って一足早くマドリードに到着して、ピントになりすまそうという計画だった。
第二幕 マドリードのドン・パンタレオーネの屋敷。召使や使用人とともに、娘のクラリッサや女中のラウラも集まっている。主人のパンタレオーネは、今日にも到着するピントがクラリッサの婿になると伝えるが、ドン・ゴメスという恋人がいるクラリッサは父親の話に絶望する。そんなことは気にかけないパンタレオーネは祝宴の準備を命じる。クラリッサはラウラに、恋人のゴメスがご法度の決闘を行ったことで、彼を父親に紹介できないことを嘆き。また、昔クラリッサの父親がピントの父親フォンセカの世話になり、謝金のカタに結婚を約束した事情が語られる。ラウラは「最も純粋な幸福は、誠実な愛」と励ます。クラリッサは「どんな運命であっても愛する人を手放さない」と長大なアリアを歌う。ここで、ラウラに連れられてドン・ゴメスが現れる。恋人同心の二人は愛を再確認し「愛・希望・信頼をもって、美しい日々を見つめよう」と美しい二重唱を歌う。そこに「お父様が来るわ、早く!」と叫びながら、ラウラがあわてて駆け込んで三重唱となる。
第三幕 ドン・パンタレオーネの屋敷の大広間。ラウラは召使たちと結婚式の飾り付けに忙しい。そこにピントになりすましたガストンが、アンブロジオを従えてやって来る。ここで、ラウラを口説くアンブロジオ、男の甘い言葉には気をつけてとガストン、軽くいなすラウラの3人による「カノン」が歌われる。続いてアンブロジオが「ふられた時の保険に、複数の恋人がいた方がいい」と独自の女性観を歌う。そこにゴメスが現れる。ゴメスはガストンをピントだと思い込み、両者険悪な雰囲気になるが、ゴメスがクラリッサへの純愛を美しいメロディーで告白すると、ガストンはあっさり「それだったらゴメスとクラリッサが結婚したらいい」と譲る。そして本当は、自分はピントになりすましたガストンだと告白し、ピントの父親からの手紙をゴメスに渡し、今度はゴメスがピントになりすまして、クラリッサとどさくさ紛れに結婚したらいいと計画を進める。 パンタレオーネ家の召使たちが現れ、ガストンとゴメスを見比べながら、どちらがクラリッサの婿なのかと戸惑う。続いて、パンタレオーネが着飾ったクラリッサを連れて広間に入場する。ゴメスは、例のピントの父親からの手紙をパンタレオーネに見せるので、彼はすっかりゴメスをピントと思い込む。結婚の祝宴が始まったところに、はたして本物のピントが現れ、大騒動となる。 ピントはクラリッサに対して、居酒屋でガストンから教わった滑稽な求愛の作法をぎこちなく披露し、一同は大嘲笑、誰も場違いなピントを本物の婿だとは信じない。するとピントはガストンを見つけて、ガストンがこの悪芝居の張本人だと怒るが、逆にガストンから決闘を迫られ、皆から袋叩きにあい、逃げ出す。 騒動がひと段落したところで、ガストンはパンタレオーネに、逃げた彼が本物のピントだと明かし、ガストンとゴメスは自分の名を名乗る。パンタレオーネは呆れ果てて怒るが、ガストンの機転と説得、そしてなによりクラリッサの幸せそうな様子に心を動かされ、ついにゴメスとの結婚を認める。こうして物語は愉快な大団円を迎える。 © 2025日本橋オペラ CC BY 4.0[25]
原作とオペラ台本との主な相違点
カール・ザイデルの中編小説「花嫁争奪戦」[26]と、それに基づきテオドール・ヘルが書き下ろしたオペラ台本[27]には、主に以下の相違点がある。
- 原作:舞台はセビリアとサルバレオン
- オペラ台本:舞台はマドリード(第2幕、第3幕)とペニャランダ(第1幕)に変更されている。これはマドリードは首都であり、ペニャランダは大学で有名なサラマンカ近郊ということで、よりドイツ人に馴染み深いことによる。
- 原作:物語の前提として、パチェコ家の家長パンタレオーネは、パチェコ家の先祖がグラナダとの戦いで、フォンセカ家の先祖ドン・カルロス・フォンセカに助けられた恩を感じ、フォンセカ家の直系の子孫であるピントと一人娘のクラリッサを結婚させたかった。パンタレオーネとピントの父は幼馴染ではない。
- オペラ台本:パンタレオーネとピントの父は幼馴染と軽く触れられるだけ。クラリッサが一人娘ということは触れられていない。
- 原作:ガストンがピントに、都会的な恋愛術=騎士道的な求愛の作法だとして教えることは原作にはない。
- オペラ台本:(第6番)ガストンがピントに、都会的な恋愛術=騎士道的な求愛の作法だと偽って、滑稽な仕草を教える。またピントは第3幕フィナーレの結婚式の場面で、その教わった仕草を皆の前で披露することにより、笑い者になる。
- 原作:居酒屋ではピント、ガストン、アンブロジオだけ。
- オペラ台本:(第7番)都会の貴族のプロポーズの練習をするという目的で、民衆や学生を呼び会食をする。
- 原作:ゴメスとクラリッサは相思相愛だったが、パンタレオーネが二人の接触を許さなかった。
- オペラ台本:ゴメスとクラリッサは相思相愛だったが、ゴメスは不幸な決闘が原因でパンタレオーネに会えない。
- 原作:ピントの父ドン・ヌンノ・フォンセカは体の調子が悪く、ピントより数日遅れてセビリアに到着する予定だった。
- オペラ台本:ピントの父は登場しない。
- 原作:セビリアの門に到着したガストンを、ゴメスの使者はピントだと思い込み、ゴメスの自宅にお連れする。また、ゴメスがクラリッサとの関係を告白するすることにより、ゴメスとガストンは短い決闘をするが、両者ともにその道の達人であることを認識し、ガストンはゴメスにクラリッサを譲り、協力することを誓う。
- オペラ台本:(第17番)ゴメスの家でなく、パンタレオーネの館にゴメスが現れる。決闘は省略され、ゴメスがクラリッサへの想いを歌うと、ガストンはあっさりとゴメスにクラリッサを譲る。
- 原作:ピントの父ヌンノとピントは同じ日にセビリアに到着して、パンタレオーネの元に現れ、偽ピントのゴメスとクラリッサが結婚していることから決闘となる。パンタレオーネが切られそうになるところに、ガストンが現れパンタレオーネを助け、ヌンノとピントをコテンパンに追い出す。
- オペラ台本:(第20番)ピントの父は登場しない。クラリッサとゴメスの結婚式の最中、ピントが現れ大混乱となり、ガストンが剣を抜くと、ピントは腰を抜かし摘み出される。
- 原作:騒動の後、ガストンがパチェコ家を讃える叙事詩を詠うと、パンタレオーネは機嫌がよくなり、クラリッサとゴメスの結婚を認める。
- オペラ台本:(第21番の前のセリフ)ガストンがゴメスの高貴な家柄と騎士道精神を讃え、またゴメスとクラリッサの相思相愛ということで赦しを乞い、パンタレオーネが二人の結婚を認める。
- 原作:最後の場面。ピントの父とピントは、最初の舞台であるサルバレオンの居酒屋でイネスの運んでくる食事と酒を前に、危険な花婿争いのことを一瞬思い出す。
- オペラ台本:(第21番)ピントが追い出され、ゴメスとクラリッサがめでたく結婚を認められハッピーエンド。
近年の上演履歴
- ジョン ルイス シアター(ロンドン、1962年)
- エジンバラ国際フェスティバル(1976年)演奏会形式
- セントルイスオペラ(1979年)アメリカ初演[28]
- ウィーン音楽祭(1997年)演奏会形式
- ビーレフェルト歌劇場(ドイツ、1998 年)
- オペラ・オムニバス(ハスルミア、イギリス、1998年)英語版
- 吟遊詩人音楽祭(イングランド、2002年)演奏会形式
- ユニバーシティ・カレッジ・オペラ(ウェックスフォード・アイルランド、2004年)英語版[29]
- ブロンクス・オペラ(ニューヨーク、2010年)英語版[30]
- ユニバーシティ・カレッジ・オペラ(ロンドン、2011年)英語版[31]
- モスクワ・ポクロフスキー室内楽劇場、ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮(2013年)ドイツ語版
- 日本橋オペラ(2025年)ドイツ語歌唱・日本語セリフ、日本・アジア初演[32]
後口上
2025年に日本橋オペラが上演した「3人のピント」(日本初演&アジア初演)では、終幕の直前に、皆に追い出されたタイトルロールのドン・ピントが再登場して、スコアにない「後口上」(あとこうじょう)が挿入された。演出の福田祥子は「3人のピント」の原作が、田舎者のピントを他の全員が見下し差別するという、現代では反社会的なストーリーであり、それを解決して大円団のフィナーレを迎えることにより、観客が喜ぶことに加えて「3人のピント」の価値がより高まり、今後世界中で上演される一つの動機となればと語っている。[33] なお様式的には、コメディア・デラルテやジャンニ・スキッキの後口上と同様のスタイルである。
モーストリー・クラシック誌2026年2月号では、このピントの後口上について。『田舎者をからかって笑いを取る喜劇だけに、今日上演には工夫が必要だが、今回は最後にピントの口上を入れることで、差別感を多少和らげることに成功した。』(関根礼子)と批評した。[34]