サラマンカ大学

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モットー Quod natura non dat, Salmantica non praestat
(ラテン語:サラマンカにないものは、全自然にない)
モットー (英語) What Nature doesn't give, Salamanca won't provide
種別 公立
設立年 不明 (1130年までにはすでに教育が行われていたと考えられている。1218年に教皇によって正式に認可された。)[1]
サラマンカ大学
Universidad de Salamanca
ラテン語: Universitas Studii Salamanticensis
モットー Quod natura non dat, Salmantica non praestat
(ラテン語:サラマンカにないものは、全自然にない)
モットー (英語) What Nature doesn't give, Salamanca won't provide
種別 公立
設立年 不明 (1130年までにはすでに教育が行われていたと考えられている。1218年に教皇によって正式に認可された。)[1]
学長 Daniel Hernández Ruipérez
教員数
2,453 [2]
職員数
1,252 [2]
学生総数 ca. 28,000 [3]
博士課程在籍者
2,240 [3]
所在地 スペイン
サラマンカ
キャンパス 市街地
EUAコインブラ・グループ
公式サイト www.usal.es
テンプレートを表示
プレテレスコ風ファサード

サラマンカ大学(サラマンカだいがく、スペイン語:Universidad de Salamanca)は、マドリードの西北西に位置する都市サラマンカにある大学。現存するスペイン最古の大学であり、ボローニャ大学パリ大学オックスフォード大学ケンブリッジ大学などと並び、歴史ある中世大学の中でも、さらに12〜13世紀頃のヨーロッパで設立された最古参の大学の内の1つ。「知識を欲する者はサラマンカへ行け(Quien quiera saber, va a aprender en Salamanca.)」と言わしめた。2022年現在、学生数約32,000人、50を超える国からの留学生を抱える総合大学である。大学図書館は90万点を超える蔵書を持つ。

1218年レオン王国アルフォンソ9世によって設立された。酸化鉄を含んだ石造の建物はおびただしい装飾が施され、セルバンテスイサベル1世フェルナンド2世の肖像のレリーフがあるほか、それを見たものは学業成就すると言われる蛙の乗った髑髏のレリーフもある。13世紀中にヴァチカンからストゥディウム・ゲネラーレの認定を受けている。

大航海時代には、天文学などに基づいた航海計画が綿密に練られた場所となった。宗教改革後は、スペインにおける学術の中心であるとともにヨーロッパにおけるカトリック神学の中心となり、16世紀には大学内のサン・エステバン神学院を拠点にしてドミニコ会を中心とする学派、17世紀18世紀にはサン・エリアス神学院を拠点にカルメル会を中心とする学派が神学・哲学・法学の研究を進め「サラマンカ学派」と称された。

1415年から18年に渡って建築した講義堂「エスクエラス・マヨーレス」がある。1988年サラマンカの旧市街の構成のひとつでユネスコ世界遺産に登録される[4]

学部

サラマンカ大学の図書館

基本的に、ほとんど全ての授業が、スペイン語で教えられている。世界大学ランキングが高くないのはそのためである一方、スペイン語圏では最高峰レベルの権威を有しており、結果的に世界的にも高い評価を得ている。外国人がスペイン語を勉強するための“cursos internacionales”という語学コースがあり、年間2000人を超える留学生がやってくる。語学コースでは、スペイン語だけでなく、スペインの文化や歴史、経済等も学ぶことができ、7月と8月には、日本語翻訳付きの授業が行なわれている。

教員、著名な卒業生等

日本とのかかわり

サラマンカ大学構内にある碑文

本学で学び、1603年に来日し徳川家康に謁見、日本でのキリスト教の布教に従事したルイス・ソテロは、慶長遣欧使節団の正使としてヨーロッパに渡りローマ教皇パウルス5世に謁見して日本での宣教の援助を求めたが目的を達せず、1624年大村火刑により殉教1867年ピウス9世により列福された。

学内には、1985年に当時の皇太子夫妻(現・明仁上皇上皇后美智子)が訪れたことを記念するラテン語の碑文がある。碑文には“AKIHITVM ET MICHIKAM IMPERII IAPONICI SERENISSIMOS PRINCIPES VNIVERSITAS LAETA RECEPIT 28 FEBRVARII MCMLXXXV”(本学は、日本帝国の皇太子殿下ならびに同妃殿下である明仁と美智子を喜びをもって迎えたり。1985年2月28日)とある。

大学の中庭

日本との協定校

脚注

関連項目

外部リンク

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