GENJI GENKI爆発
From Wikipedia, the free encyclopedia
1987年、この年にデビューした光GENJIの番組としてこの年の10月17日にスタートした。なお、光GENJIは「GENJI」(諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓)と「光」(内海光司、大沢樹生)の2組が合体したグループであったが、ニッポン放送でのラジオ番組においては合体前の光とGENJIに分かれてパーソナリティを務めることになった。なお、一方の「光」の2人については、同じ1987年10月にスタートした『ビーバーヤング 光のスターライトキッス』(月 - 金 21時台の10分間の帯番組)に出演することになった。
スタート当初はニッポン放送と九州朝日放送の2局のみでの放送だったが、各地方局には当番組のネット開始を求めるファン、リスナーの要請が多く集まったことで急遽ネット受け放送を開始した局も多く[1]、3か月後の1988年1月には6局ネット、1988年4月には一気に21局ネットに増え、1988年10月には当時の『オールナイトニッポン』のネット局数(32局)に迫る28局ネットにまで増えていた。その後も当番組終了時まで25局前後のネット局数で推移していた。
スポンサーがあった局では、エスキモーアイスクリーム(当時の森永乳業のアイスクリームのブランド)の一社提供で放送されていた(局によってはスポンサー無し)。
最初はほとんどフリートークのみの番組であったが[2]、その後『テレフォンパニック 突然ごめん』など徐々にコーナーや企画が番組内に出来上がっていった。
1991年4月改編を以って当番組が終了した後は、『光のスターライトキッス』と合体し、改めて「All About 光GENJI」となってスタートした(光のスターライトキッスの後継番組として枠を引き継ぎ、月 - 金 21時台の10分間の帯番組として放送)。
当番組における記録
当番組宛に来るはがきの枚数が記録的であり、その届くはがきの枚数は毎週10万枚超だったという記録が残っている。当時ニッポン放送7階にあったはがき棚には収まり切れず、はがき棚の周りの廊下はとても歩ける状態ではないほどあふれ返ったと言われている[3](しかし番組中でフリートークが盛り上がり過ぎたことではがきを読む時間が無くなったことも時々あった[2])。そして、1989年9月頃から始まった新ノベルティグッズを作る企画『ノベルティ・アイデア募集』コーナー宛には総数で約76万枚のはがきが集まった[4]。また、ニッポン放送と光GENJI関連のその他においては、フジサンケイグループが企画製作した非売品ビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』[注釈 1]の10万本プレゼントには約250万通のはがきが集まり、1988年6月27日に、当時ニッポン放送で当時一番大きかったスタジオ「銀河スタジオ」において大抽選会が行われた[5]。