文化自由会議
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文化自由会議(ぶんかじゆうかいぎ)、文化の自由のための会議(ぶんかのじゆうのためのかいぎ、英語: The Congress for Cultural Freedom、略称:CCF)は冷戦下の1950年に創設された文化人・知識人の提言団体で、知的自由の促進とソ連の全体主義への対抗を目指して、共産主義・マルクス主義を批判した。1950年、西ベルリンで開催された会議において、反共主義の知識人グループによって設立された[1]。
1967年、この団体は中央情報局(CIA)によって創設され資金提供を受けていたことが暴露され、それに続いて国際文化自由協会(the International Association for Cultural Freedom (IACF))と改名した。その最盛期は、CCF/IACF は日本も含む約35カ国で活動し、フォード財団からも資金提供を受けていた。
CCFの創設
活動
CCFは、35カ国にオフィスを持ち、多くのスタッフを抱え、全世界的に芸術関係のイベントを支援し、多数の出版物を企画していた。これらを可能にするだけの潤沢な資金はCIAなどから得ていた。CCFはアメリカの文学・美術などを世界に紹介するために、世界各国で、翻訳への援助・展覧会開催への支援・批評誌への支援などを行い、各国へのアメリカ先端文化の伝播に大きな役割を果たした。
冷戦下の当時、政治力や経済支援、軍事援助、宇宙開発競争、文化や娯楽やスポーツの優劣まで、直接的な軍事力行使を除くあらゆる分野で米ソ両陣営は戦ったが、CCFは文化の戦線でソビエトや共産主義陣営と戦った団体といえる。
CCFは左派知識人に対するネガティブ・キャンペーンも行った。1960年代初め、CCFはチリの詩人で熱心な共産主義者だったパブロ・ネルーダの信用を落とすキャンペーンを開始したが、ネルーダがノーベル文学賞の最有力候補と見られた1964年にキャンペーンは一段と強められた。(ネルーダは結局1971年にノーベル文学賞を受賞した。)
CCFおよびIACFが資金を出した出版物
文化自由会議の出版物は以下のようなものも含んでいる。
- 「Quadrant」:オーストラリア文化自由協会の政治的出版物。
- 「Encounter」(1953年~1990年):国際的に配本するためイギリスで出版されていた。
- 「Solidarity」:フィリピンの文化的、知性的、文学的月刊雑誌
- 「自由」:日本の反共・保守総合雑誌
CIAの関与
1967年、『ランパーツ・マガジン(Ramparts magazine)』と『サタデー・イブニング・ポスト』が、CIAがソビエトに共鳴する世界中のリベラルや進歩的文化人たちを味方につけるため、数多くの反共文化団体に資金援助をしていることを報道した。これらの報道は、前任のCIA隠密作戦責任者がCIAのCCFに対する資金援助や作戦行動について認める声明を出したことで信用性を得た。
CIAがアメリカの美術や文学を世界へ宣伝するために、文化自由会議を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したことについては、Frances Stonor Saundersの著書にに詳しい[2]。
参加者
- 哲学者
ジョン・デューイ、バートランド・ラッセル、A.J.エイヤー、カール・ヤスパース、ベネデット・クローチェ、ジャック・マリタン、シドニー・フック、ジェームズ・バーナム
- 作家、小説家
イニャツィオ・シローネ、アーサー・ケストラー、スティーブン・スペンダー、ニコラ・キアロモンテ、劇作家テネシー・ウィリアムズ、Pierre Emmanuel、René Tavernier
- ソ連・ナチスの強制収容所の生存者
マルガレーテ・ブーバー=ノイマン、David Rousset
- 歴史家
- 社会学者
- 政治家
西ベルリン市長エルンスト・ロイター、、アルティエロ・スピネッリ、 メルヴィン・ラスキー、
- ジャーナリスト