リベラル

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自由主義 > リベラル

リベラル: liberal)とは、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語[1][2]であり、政治思想の分野では主に以下の3つの意味で使用されている。

  • 広義には自由主義(リベラリズム)の立場、または自由主義者(リベラリスト)[3][4]。政治体制としての自由民主主義(リベラル・デモクラシー)を指すこともある[5][6]。冷戦期には西側諸国(自由主義陣営)の共通した価値観とされた[7][8]
  • 1930年代以降のアメリカ合衆国における社会自由主義(ソーシャルリベラリズム)。民主党が掲げる政治思想。古典的自由主義とは異なり、個人の自由や権利を実質的に保障するために、市場への介入や社会保障など政府の積極的役割を重要と考える立場である[9][3]。対立する共和党(保守派)も広義の自由主義の枠内にあるが、より小さな政府を志向する[3]
  • 日本における用法。55年体制下では、自由民主党内のハト派宏池会など)を指して「保守リベラル」と呼ぶ場合があった[10]。一方で、冷戦終結後、かつて「革新」と呼ばれた勢力のうち、社会民主主義や中道左派の立場をとる政党・集団(旧社会党の一部や旧民主党系勢力など)が、欧米の用法(特に米国民主党のリベラル)を参照して自らを「リベラル」と位置づけるようになった経緯がある[3][5][11][9]

「リベラル」とは、リベラリズムやリベラリストを指す用語である。

「リベラル」には、歴史的に大きく以下の二つの潮流がある[12]

  1. 個人の自由多様性を尊重する「リベラル」。当初は「権力からの自由」を重視した。ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』で、他人に危害を加えた場合のみ自由は制限される、と共存のルールを示した。アダム・スミスは経済活動に対する国家の介入を批判し「小さな政府レッセ・フェール)」を説いた[12]
  2. 上記に対し、国家による放任だけでは万人が自由を享受することは困難であるとし、各人の自由な人生設計を可能にするために国家の介入や支援が必要と考える「権力による自由」の発想。20世紀の先進諸国は社会保障福祉国家を整備した。代表的著作には理論家ジョン・ロールズの『ロールズ 政治哲学史講義』がある[12]

上記の二潮流は、英語では同じ単語(リベラル)だが、ヨーロッパでは1の潮流(古典的自由主義に近い立場)、アメリカ合衆国では2の潮流(社会自由主義に近い立場)を指すことが一般的である[12]


リベラリズム

リベラリズム(自由主義)は、中世的な教会や諸領主による権威や宿命論に対して、「人間には自由に判断し決定する事が可能であり、自己決定権を持つ」という政治哲学であり、18世紀ヨーロッパで啓蒙主義として広まった。

当初の主題は宗教改革での信教の自由であった。三十年戦争後のヴェストファーレン条約により近代的な主権国家が誕生して、国家単位での信教の自由が確立したため、異なる宗教を持つ間で寛容多様性の概念が重要となった(政治的リベラリズム、多元主義)。またプロテスタント内部よりリベラリズム(自由主義神学)が発生した。

いかなる私人も、教会や宗教の違いを理由として、他人の社会的権利の享有をそこなう権利を持ってはおりません。…(中略)…いや、われわれはたんなる正義という狭い限度に満足することなく、慈愛、博愛、寛大がそれに加えられねばなりません。ジョン・ロック『寛容についての書簡』[13]

その後、イギリス清教徒革命名誉革命アメリカ独立革命フランス革命などの市民革命(ブルジョワ革命)によってブルジョワジーが実権を握り、経済的リベラリズム古典的リベラリズム自由主義経済資本主義)が進展した。これは、アダム・スミスに代表される個人主義的な私有財産権に基づき、政府介入を排除するレッセフェールを特徴とした。

しかし、資本主義の高度化に伴い、伝統的な共同体の解体、都市への人口集中、プロレタリアートとの貧富拡大や劣悪な労働条件世界恐慌の発生など社会不安が増大した。これに対抗して、各種の社会主義改良主義的な社会民主主義、あるいは私有財産権の制限・廃止と暴力革命を主張する共産主義などの集産主義)が台頭した。また、国家間の植民地獲得競争やブロック経済なども進展した(帝国主義ファシズム統制経済)。

こうした危機に対し、ジョン・メイナード・ケインズらはリベラリズムの立場から有効需要理論を唱え、政府による金融政策公共事業などの財政政策により非自発的失業を最小にできると主張した。またヨーロッパ諸国では福祉国家論などが進められた(修正資本主義混合経済)。これらの社会的公正を重視したリベラリズムは、ニュー・リベラリズムやソーシャルリベラリズムと呼ばれるようになった。(後述のように、アメリカ合衆国では単に「リベラリズム」との呼称が普及した影響で、従来の古典的リベラリストの一部はリバタリアニズムを名乗るようになった。)

しかし、1970年代に入ると、オイルショックを契機としたスタグフレーション(不況下のインフレ)や財政赤字の拡大により、ケインズ主義的な政策は行き詰まりを見せた。これを受けて、フリードリヒ・ハイエクミルトン・フリードマンなど、政府の介入を批判し古典的リベラリズム(市場原理)の復権を主張する立場が台頭し、新自由主義(ネオ・リベラリズム)と呼ばれるようになった。

地域による用法の相違

「リベラル」という言葉が指す政治的立場は、国や地域によって大きく異なる。特に「経済的自由(市場原理)」と「社会的自由(個人の権利)」のどちらを重視するかによって、右派(保守)を指す場合と左派(革新)を指す場合がある。

ヨーロッパ・オセアニア

ヨーロッパやオーストラリアでは、リベラリズムという言葉は、本来の「古典的自由主義」の意味を強く残しており、経済的な自由放任や小さな政府を志向する「中道右派」や「保守」を指すことが多い。

イギリス
自由民主党(LibDems)は中道政党だが、歴史的な自由党は保守党に対抗して自由貿易を推進する勢力であった。
ドイツ
自由民主党(FDP)は、経済界の利益を代弁する傾向があり、連立政権では市場経済重視の立場から中道右派としての役割を果たすことが多い。
オーストラリア
主要政党であるオーストラリア自由党(Liberal Party)は、労働党(左派)に対抗する明確な「保守政党(中道右派)」である。

アメリカ合衆国

一方、アメリカ合衆国では「リベラル」は、ニューディール政策以降の「社会自由主義」を指し、政府による再分配やマイノリティの権利擁護を重視する「中道左派」あるいは「左派」を意味する(詳細は後述)。

日米欧の右派左派の違い

アメリカ合衆国には欧州のような封建制の歴史がなく、建国以来「自由主義(リベラリズム)」が社会の共通基盤(国是)であった。そのため、アメリカにおける対立軸は自由主義の枠内での解釈の違いとして現れる。冷戦期のアメリカにおける主要な左派政党である「民主党」は、欧州の社会主義政党とは異なり、自由主義の枠内で政府の積極的な役割を肯定する立場をとった。これがアメリカにおける「リベラル」である[3][14][9][11]

一方、日本では冷戦期において、社会主義や共産主義を掲げる勢力は「革新」と呼ばれていた。しかし、冷戦終結と社会主義の退潮に伴い、「革新」という呼称が実態にそぐわなくなると、主に社会民主主義や中道左派の勢力が、人権や多様性を重視する欧米の潮流に合わせて「リベラル」を自称、あるいは他称されるようになった経緯がある。

自由主義の枠のなかで、1930年代から民主党は政府による積極的経済政策・自由市場への一定の介入を支持する立場を取り、これが「リベラル」と呼ばれた。逆に、より強固な自由を求めるのが米国における「保守」の立場である[3]。欧州の左派政党の多くは社会民主主義を掲げており、米国民主党のような「リベラル」という呼称は一般的ではない。逆に、欧州における「リベラル政党」は、自由主義インターナショナル欧州刷新(旧・欧州自由民主同盟)に加盟する政党(ドイツの自由民主党やイギリスの自由民主党など)を指すことが多く、これらは自由権市場経済を重視する中道から中道右派の立場をとる傾向がある。ただし、21世紀には英国労働党のブレア政権が標榜した「第3の道」のように、社会民主主義とリベラリズムの融合を模索する動きも見られる[14]

左派(革新)中道 - 右派(保守)
ヨーロッパ(現代) 社会民主主義社会主義緑の党リベラリズム(中道)、キリスト教民主主義保守主義
アメリカ合衆国 リベラリズム(社会自由主義) - 民主党保守主義古典的リベラリズムキリスト教右派) - 共和党
日本(55年体制下) 社会主義共産主義(革新)保守主義自由民主党)、民主社会主義
日本(現代) リベラリズム(社会自由主義社会民主主義保守主義

アメリカ政治のリベラリズム

背景

1930年代以降のアメリカ合衆国では、特に社会的公正多様性を重視する自由主義の支持者が「リベラリズム」を名乗り、対立する古典的リベラリズムの一部は「リバタリアン[15]などを名乗るようになった。この用法はアメリカ合衆国の以下の歴史的経緯などの特殊性による用法である。

  1. 1770年代の建国時に王党派が存在せず、リベラリズムが保守派となった
  2. 社会主義が有力な勢力とならず、政治的な二大潮流はいずれもリベラリズムを掲げた
  3. 1930年代、ニューディール政策など社会的公正を重視する自由主義の勢力が「リベラリズム」を自称して、「保守派(コンサーバティブ)」を批判した
  4. 1980年代、保守(古典的自由主義、新自由主義)を掲げる自由主義の勢力が、「リベラリズム」を大きな政府社会主義的と批判した

歴史

アメリカ政治において、「リベラル」や「保守(コンサーバティブ)」という用語は、複雑な歴史的経緯を経て形成されたものである[16]

1929年からの大恐慌の頃から、ニューディール政策など政府主導の自由主義立て直しが図られ、それを実施した民主党の人々が自分達こそ自由主義を守る自由主義者(リベラル)と自称し、「リベラル」の意味が変わった[16] [17]。この考えでは、増税などで個人の自由や財産を犠牲にしても、貧困対策や医療保険制度などの拡充により、遠回りだが個人の自由を拡大するためリベラルと主張した。1950年代頃は「保守(派)」は軽蔑的な用語となった。「リベラル」を大きな政府で社会主義的と批判する立場は、ヨーロッパ的な王党派などの保守とも区別するため、リバタリアン(自由至上主義者、完全自由主義者[18])や古典的自由主義者と呼ばれるようになった[16]

1955年、ルイス・ハーツが著作『アメリカ自由主義の伝統』において「アメリカには自由主義(リベラリズム)の伝統しかない」と論じた際、ハーツが意図した「リベラル」は建国以来の古典的な自由主義を指していた。しかし、会田弘継らは、当時の「リベラル(ニューディール・リベラル)」派は自分たちこそが正統派であると証明されたと解釈し、逆に保守派はハーツが自分達を支持しなかったと受け止めたことで、用語をめぐる混乱が生じたと指摘している[16]。1950年代から1960年代にかけて「リベラル」は公民権運動など多様性を重視した運動を推進した。

ヨーロッパからアメリカ合衆国に移住したフリードリヒ・ハイエクは、エッセー「私はなぜ保守主義者ではないか」を記し、この用語の混乱はアメリカ合衆国とヨーロッパの政治伝統の違いにも起因しており、自分は保守主義者と呼ばれるがリベラル(自由主義者)であると主張した。ハイエクによると、自由主義と保守主義と社会主義はそれぞれ異なり、三角形の角のようなものである[16]

1980年以降、ジョン・F・ケネディリンドン・ジョンソン政権時代のベトナム戦争での失策や、ジミー・カーター政権時代の内政・外交での失敗の後に、ロナルド・レーガン政権の頃から「保守」の意味が変化した。レーガンは、「ルーズベルト連合」と呼ばれた労働者・農民・黒人などの少数者連合を切り離し、保守連合を形成した。規制緩和や小さな政府をスローガンに経済を立て直し、共産圏に対する強硬姿勢が功を奏し冷戦終結に向かった。これらを背景に「保守」のイメージは向上し、「リベラル(進歩派)」は軽蔑語のようになっていった[16]

しかし2003年以降のジョージ・W・ブッシュ政権のイラク戦争での失敗により、「保守」と「リベラル」のイメージが再び変化する可能性もある[16]

思想

アメリカ合衆国の「リベラル」に大きな影響を与え、民主党の政策を支えていた思想家にはジョン・ロールズがいる[16]

1958年、ロールズは論文『公正としての正義』を発表して「公正(フェアネス)」を基礎とする「正義(ジャスティス)」という概念を提示し始め、1971年の『正義論』を通じて発展していく「正義」の概念の二つの原理の原型を示した[16]

  1. 人は他人の自由を侵さない限り、自由への最大限の権利を平等に持つ
  2. 経済的・社内的に不平等が許されるとすれば、それはすべての人の利益に繋がらなくてはならない。また、他と平等でない地位があれば、だれもがそれを得る機会を平等に持つべきだ。

1971年の『正義論』では、二番目の原理は「すべての人の利益」から「最も不遇な人々に最低限の利益」と定義が発展し、哲学書としては異例の20万部のベストセラーとなった。ロールズは、自由と平等という相容れない価値をなんとか結び付け、自由を重視するアメリカ社会が失いがちな公正さを担保しようとした[16]

1960年代末から1970年代は、アメリカにおけるリベラリズムの影響力が頂点に達すると同時に、その後の退潮の契機を含む時期であったとされる[16]。リベラルな政策はケネディ政権で本格化し、ジョンソン政権下の「偉大な社会」構想や、ニクソン政権下での環境保護政策などで制度化が進んだ。ジョンソンは1964年公民権法を成立させ、貧困対策や福祉拡大を推進したが、一方でベトナム戦争の激化により支持を失い、三選出馬を断念した。ジョンソン政権を引き継いだニクソンは共和党ながら、環境保護庁の設置、大気浄化法の強化、職業安全衛生法英語版包括雇用・職業訓練法英語版や、南部の人種別学校の統合の進展、黒人の雇用促進のための積極的差別是正処置(アファーマティブ・アクション)、連邦政府事業を請け負う企業への黒人雇用義務付け、女性雇用差別解消、貧困家庭の養育費補助や学校給食などの福祉制度の大幅整備拡大など、リベラルな政策を進めた[16]

1960年代以降、権利意識の高まりとともに多様な集団がそれぞれの主張を展開するようになると、社会の分断が懸念されるようになった。こうした状況下で、ロールズの問題意識は、異なる価値観を持つ人々がいかにして安定的に「共存」できるかという点に向けられた。1993年、ロールズは第二の主著とされる『政治的リベラリズム』で「相容れることのできない宗教、思想、倫理上の教義で深刻に分断されている自由で平等な市民の間で、安定した公正な社会を築き上げることは可能か」と問いかけ、その多元社会の安定には「重なり合う合意(オーバーラッピング・コンセンサス)」という考え方を使用し、最低限の共通基盤を維持することで、安定した状態で共存できるとし、その共通基盤の核として「公正としての正義」を置いた[16]

ロールズの主張は、アメリカ社会の新たな形の分裂に対してリベラル側から回答を試みたもので、その回答は「アメリカの理念に立ち返っていく」ということであり、ある意味では保守的であった[16]

支持基盤

アメリカ合衆国において、リベラル(主に民主党)は、都市部の居住者、人種的マイノリティ、高学歴層などに支持基盤を持つ傾向がある。

特に教育機関においてはリベラル派が優勢であることが複数の調査で示されている。大学教授などを対象とした調査では、共和党支持者よりも民主党支持者の割合が高く、特に人文学社会科学系の学部、および四年制大学やエリート大学においてその傾向が顕著である[19]

日本におけるリベラル

日本において「リベラル」という用語は、時代や政治状況によって異なる意味合いで用いられてきた。

55年体制下

55年体制下においては、自由民主党内のハト派吉田茂の系譜に連なる宏池会など)が、対米協調を基軸としつつも軽武装・経済重視の姿勢を取り、「保守リベラル」と呼ばれることがあった[20]。対する日本社会党日本共産党などの野党勢力は、社会主義共産主義を掲げ「革新」と呼ばれた。

1990年代以降

1990年代初頭の冷戦終結とソビエト連邦の崩壊により、社会主義の求心力が低下すると、「革新」という言葉は急速に使われなくなった。これに代わる新しい政治理念として「リベラル」が注目されるようになった。

日本では、本来の「リベラリズム(個人の自由尊重)」と「自由主義(経済的自由)」を書き分ける傾向があったが、この転換によって両者の区別は曖昧化し、「保守 対 リベラル」という構図が用いられるようになった。

その後、民主党の結成にあたり、旧社会党出身者や市民運動出身者が合流したことで、再分配重視や人権擁護、選択的夫婦別姓などを志向する勢力が、自らを「リベラル」と規定する傾向が強まった。

日本における「リベラル」は、経済的な「大きな政府」志向だけでなく、個人の尊厳立憲主義の重視、日本国憲法第9条の維持(護憲)、歴史認識における和解重視(ハト派)といったスタンスと強く結びついている点に特徴がある。これは、冷戦期の「革新」勢力が担っていた平和主義や人権擁護の側面が、社会主義イデオロギーの退潮に伴い、「リベラル」という言葉で再定義されたものとも解釈される。

2017年の希望の党騒動の際には、枝野幸男らが「リベラル勢力の結集」を掲げて旧・立憲民主党を結成し、自民党(保守)対 立憲民主党(リベラル)という構図が一時的に強調された。

日本のリベラルにおける「ねじれ」

日本のリベラル勢力については、思想的な「ねじれ」も指摘されている。法哲学者の井上達夫は、本来リベラリズムは「個人の自律」を最優先する思想であるにもかかわらず、日本のリベラル勢力(旧革新勢力)は、護憲や反権力を重視するあまり、組織票(労働組合など)や集団主義的な構造に依存しており、リベラリズムの核心である「個人主義」が徹底されていないと批判している[21]

リベラリズムへの批判と現代的課題

21世紀に入り、リベラリズムは左右両陣営から批判に晒され、その存立基盤が問われる状況にある。

共同体論(コミュニタリアニズム)からの批判

マイケル・サンデルらは、リベラリズムがあまりにも他者や歴史から切り離された原子論的な個人を理想としすぎた結果、人々が本来必要とする共同体への帰属意識や道徳的紐帯を希薄化させたと批判した[22]。また、パトリック・デニーンは、リベラリズムが成功したことによって個人主義化が進み、孤独や格差、環境破壊といった病理を生み出したとする論を展開している[23]

アイデンティティ・ポリティクスをめぐる分断

現代のアメリカや欧州のリベラル勢力が、人種・ジェンダーなどのマイノリティの権利擁護(アイデンティティ・ポリティクス)に注力するあまり、経済的な不平等等に苦しむ労働者階級(かつての支持基盤)の関心から離れ、エリート化してしまったという批判がある。マーク・リラなどは、これが保守ポピュリズムの台頭を招いたと指摘している[24]

非自由主義的民主主義の台頭

また、21世紀にはハンガリートルコのように、選挙という民主的な手続きを経ながらも、リベラリズムの核心である「法の支配」「言論の自由」「少数者の権利」を制限する「非自由主義的民主主義(イリベラル・デモクラシー)」と呼ばれる体制も台頭しており、リベラリズムの普遍性が挑戦を受けている。

脚注

参考文献

関連項目

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