IMSAI 8080
From Wikipedia, the free encyclopedia
IMSAI 8080は、IMSアソシエイツ社(のちにIMSAIマニュファクチャリングに改称)が開発・製造し1975年12月に発売された、Intel 8080とS-100バスを使用した、初期のマイクロコンピュータである[1]。前年の1974年12月に発売されたMITS社のAltair 8800と完全互換性を有するマイクロコンピュータで、世界初のマイクロコンピュータの互換機であると考えられている。1975年から1978年にかけて、合計で17,000 - 20,000台が生産された。



概要
組立てキットと完成品を提供したコンピュータで、CPUはAltairと同じ2MHz駆動の8080だが、基板の設計や筐体の組み付けとデザインは洗練され、電源は容量に余裕があり、フロントパネルのスイッチ類はAltairよりも視認性が高く信頼性が高いものを使用している。
内部のS-100バススロットは最大で22基搭載し、当時は高価で趣味人や学生など経済的に余裕がない個人ユーザーらは8KBや16KB単位で増設することが多かったメモリカード、シリアルポート (SIO)、パラレルポート (PIO}、FDD、テープ (CMT)、ビデオカードなどの増設にも耐え、これらのペリフェラル類が最初からオプションとして提供されるなど、CP/M環境を組み立てるコアとしてAltairよりも評価が高く、Altairの欠点を潰した「Altairの本来あるべき姿」とする評価もあった。
歴史
1972年5月にウィリアム・ミラードは、自宅を事務所として「IMSアソシエイツ」の社名でコンピュータに関する個人事業を開始した。1973年に会社組織とした。ミラードはすぐに事業資金を調達していくつかの契約を獲得したが、全てはソフトウェアの契約だった。
1974年にIMSは、ゼネラルモーターズの自動車販売店向けに1台で仕事を完結する「ワークステーション・システム」を求めていた顧客から連絡を受けた。IMSは、端末、小型コンピュータ、プリンタ、特殊なソフトウェアを含むシステムを計画した。このワークステーションは、ハードディスクドライブに共通のアクセス権を持ち、小型コンピュータで制御されることになっていたが、これら製品の開発は中止された。
ミラードとチーフエンジニアのジョー・キリアンは、マイクロプロセッサに着目した。インテルが発表した8080は、IMSアソシエイツが最初に導入した4004と比較すると「本物のコンピュータ」のように見えた。IMSAI 8080は、既存のAltair 8800のS-100バスを使って本格的に開発が進められ、1975年10月には『ポピュラーエレクトロニクス』誌に広告が掲載され、好評を博した[3]。
IMSは1975年12月16日に最初のIMSAI 8080キットを出荷したが、のちに組み立て済み製品の販売へ移行した[4]。
- 販売価格改定など
初期価格は、キット版が 439 ドル、完成版が 621 ドル。 その後、需要(注文)が増加したことを見て、価格を キット版 599 ドル、完成版 931 ドルへ値上げした。
コンサルティング会社ではなく製造会社になったことから、1976年に、IMSAIマニュファクチャリングへ社名を変更した。
- CP/Mの採用
1977年にIMSAIのマーケティングディレクター・セイモア・I・ルービンスタインは、CP/Mバージョン1.3をIMSAI 8080で実行する権利のために、ゲイリー・キルドールに25,000ドルを支払った[5][6][7][8]。他のメーカーもそれに続き、CP/Mは最終的に8ビットマイクロコンピュータにおける事実上の標準のOSとなった。
仕様
- CPU - Intel 8080
- クロック周波数 - 2 MHz
- バス規格 - S-100バス
- 内部スロット数 - S-100バススロットは標準的な構成では6。最大22基のS-100バススロットを搭載可能なバックプレーンが付属していた。これにより、大容量メモリや多数のペリフェラル(周辺機器)の増設に対応できた[9]。
- RAM - 初期ロットの最小RAMは256バイトや1 KBからスタートした[10]。その後、最小構成で1 KB または 4 KBのスタティックRAM(SRAM)またはダイナミックRAM(DRAM)となり、ユーザーが8 KBや16 KB単位で増設するのが一般的となった。
- フロントパネル - トグルスイッチとLEDインジケータ(表示灯)を備える。スイッチで直接メモリ番地や命令コードを入力することができた(ブートストラップ時などに使用)。
- 標準インターフェース - 最大256個の入出力(I/O)ポートに直接アクセス可能[11]。シリアルポートやパラレルポートはオプションのS-100カードとして増設された。
- 背面パネル - 背面パネルに、10基のEIAタイプ25ピンコネクタ(RS-232Cなどシリアル接続用)の取り付け用スペースがあった。[11]
- 寸法など - 幅 19 1/2インチ(約 49.5 cm) × 奥行 17インチ(約 43.2 cm) × 高さ 7インチ(約 17.8 cm)。カスタムアルミニウムケースを採用し、フロントパネルはアクリル製。ラックマウントオプションも提供された。[11]
- 重量 - 基本重量が40ポンド(約 18.1 kg)。(頑丈な電源ユニットとシャーシにより、当時のコンピュータとしては重かった)[12]
- 電源 - 安定化電源を内蔵し、最大 500 ワットまでのカード満載状態に対応できる設計であった。[11]
- 基本の消費電力 - 50ワット未満。[11]
ソフトウェア
- 基本ソフトウェア
- モニタプログラム - IMSAI Monitor。フロントパネルのスイッチ操作でプログラムの起動、メモリ内容のダンプ(表示)や編集、レジスタの表示、Intel HEX形式ファイルの読み込みなど、システム起動とデバッグに不可欠な最小限の機能を提供した。当初は紙テープで提供され、後にEPROMに格納された。[13]
- システム開発ツール群 - アセンブラ、エディタ、ローダ、デバッガ。これらは、ユーザーがアプリケーションを開発するための基本的な環境を提供した。IMSAIの販促資料には、これらのツールが初期ソフトウェアとして紙テープ形式で含まれていたことが記載されている[14]。
- 後から追加されたソフトウェア
- CP/M - 後から追加されたオペレーティングシステム(OS)。Digital Research社のゲイリー・キルダールが開発したもので、ファイル管理、編集、アセンブル、デバッグの機能を提供し、IMSAIを本格的な開発マシン・ビジネスマシンに変貌させた。IMSAI CP/M Version 1.31などが1977年頃に提供された。[15]
- IMDOS - IMSAI社がCP/Mとは別にライセンスを取得し、後に実装した独自のディスクオペレーティングシステム。[16]
- BASIC言語 - Microsoft BASICやC-BASICなど、複数のBASIC言語がフロッピーディスクシステムと共に利用されるようになった。特にMicrosoft BASICは、ユーザーがアプリケーションプログラムを作成するための主要な高水準言語となった[17]。
- ユーザーグループなどで流通したソフトウェア
IMSAIは標準的S-100バスを採用し、後にCP/Mも搭載したので、CPMUG (CP/M User Group)やホームブリュー・コンピュータ・クラブなどのコミュニティを通じて、多種多様なソフトウェアが流通した。
- ユーティリティソフト - ファイル操作ツール、ディスクフォーマッタ、メモリテスターなど。
- プログラミングツール - CP/Mを導入したことでMACRO-80(マクロアセンブラ)、LINK-80(リンカー)、LIB-80(ライブラリアン)などのプロフェッショナルな開発ツールが利用可能になった。
- ゲームソフト - コマンドラインベースの初期のゲーム(例:Star Trek ゲームの移植版、Colossal Cave Adventureの派生版など)が、ユーザー間でコードやディスクとして広く交換された。[注釈 1]
入出力端末
IMSAI 8080には、IMSAI社が提供する標準純正端末は無かった。IMSAI 8080は設計上、特定の「標準」端末を持たないシステムだった(これは、初期のS-100バスコンピュータ全般の特徴)。
ユーザーは通常、下のいずれかを選択した。
- 1. 高価なテレタイプ端末
- 2. 市販のダム端末
- 3. Processor Technology VDM-1カード + ディスプレイ + キーボード
1976年のIMSAIの販促資料には、テレタイプやCRT(ブラウン管)端末がI/Oデバイスとして利用されることが記述されていた[18]。IMSAI社は、後年の広告で特定のキーボードを推奨を開始、さらに後年、自社純正ビデオインターフェースカードの提案を開始した。
- 1. テレタイプ端末
- IMSAI 8080発売当初の標準的な入出力装置として利用されたのは、ASR-33 のような機械式のテレタイプ端末だった。ASR-33は、"オプションS-100ボード"のひとつ「IMSAI 8080のシリアルI/Oカード」を介して接続。ASR-33で、キーボード入力、紙テープリーダー/パンチ(プログラムの保存・ロード用)、印刷出力(プリンタ)の機能が提供された。テレタイプは当時のコンピュータ環境における基本的な入出力装置だったが、低速で音がうるさく高価だった。
- 2. CRTビデオ端末(ダム端末)
- IMSAI 8080は、ダム端末(Dumb Terminal)と呼ばれる市販のRS-232C対応端末をシリアルI/Oカード経由で接続することが、最も一般的な操作形態となった。
- 3. IMSAI社推奨の端末代替手段 (VDM-1)
- IMSAI社自身が販売したものではないが、同社が推奨した最も重要な「端末代替」オプションとしてProcessor Technology社のVDM-1があった。VDM-1 (Video Display Module-1)はS-100バスに差し込むビデオカードであり、これと市販のASCIIキーボード、そしてコンポジットビデオモニタ(または改造したテレビ)を組み合わせることで、ダム端末の機能を当機で実現した[19]。 VDM-1カードは、16行×64文字のテキスト表示、メモリマップドI/O(画面メモリをCPUから直接操作)、大文字・小文字表示、リバースビデオ(反転表示)機能を提供した[20]。
- 4. 遅れた純正ビデオカードとキーボードの提供
- 後年になってIMSAI社は、Processor Technology社のVDM-1に対抗する形で、後に独自のIMSAI VDI (Video Display Interface)カードを発表したが、VDM-1の方が初期のIMSAIユーザーの間で広く利用された。また、IMSAI社は純正キーボードも販売するようになった。 [21]
他
映画におけるIMSAI 8080
別商品
- 改良版CPU8085搭載でオールインワン型のVDPシリーズ

1977年半ば、IMSAIはIntel 8085をベースにしたキーボード、ディスプレイ、ディスクドライブ一体型で、価格帯も全く異なるVDPシリーズを発表した。1978年1月に、VDP80/1050は10,920ドル、VDP-40/64は7,466ドルで発売された。
- 仕様
- 1978年1月の製品説明によると、VDPは32Kまたは64Kのメモリを搭載し、9インチ(VDP4xレンジ)または12インチ(VDP8xレンジ)のビデオディスプレイを搭載し、どちらかを選択できた。例えば、VDP-40は、5-1/4インチのディスクドライブが2基、9インチ40桁表示のディスプレイ、2K ROMモニターを1つの筐体内に搭載していた。内蔵キーボードは、8035マイクロプロセッサとメインボードへのシリアルインターフェースを備えていた。VIO-Cビデオボードには、2KファームウェアROM、256文字の2Kキャラクタジェネレータリードオンリーメモリ(ROM)、2Kリフレッシュメモリが搭載されていた。
関連項目
関連文献
- THE HISTORY OF IMSAI: The Path to Excellence, produced 1978
- Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer (2nd ed.). New York, USA: McGraw-Hill. (2000). ISBN 0-07-135892-7