KZOO
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対象
沿革
前史
- ハワイ日系人社会のメディアの歴史は長く、既に明治時代からいくつもの日本語新聞が発行されており、ハワイでラジオ放送が始まると当然のこととして日本語によるラジオ番組の放送が期待され、英語局の時間枠が、日系人が経営する会社や商店などのスポンサードによって、日本語番組に充てられた。
- 1950年代後半 - 日本語番組は徐々に消え始め、これを憂慮した日系人から「日中に日本語で放送出来る局を探そう」「各局の日本語番組を統合して日本語専門局を開局しよう」という気運が高まり、本格的な日本語専門放送局設立への動きが生まれる。
- 1959年12月 - 各局でバラバラに放送されていた日本語番組のスタッフが集まり、開局運動に熱心に動いていたフーバー立石をマネージャーに「KOHO日本語放送局」開局(その後、KOHOは1990年代に閉局した)。
- 1960年代 - フーバー立石がリーダーとなって、ストライキを実施したため、KOHO日本語放送局から追放され、退社。フーバー立石は共に社を去ったスタッフを支援し、「KIKI放送局」で午後7時から連夜4時間の「Cherry Blossom Hour」を制作した。
- 1961年 - ラジオ大阪(OBC)との間で、制作番組のネットを開始[2]。
- 1962年 - ホノルルでラジオ局経営の経験を持つマリー・ウォンが、新たにKZOOのライセンスを取得。スパーク・マツナガ上院議員(民主党)と共にワシントンD.C.へ移り、行政補佐官に就いていたフーバー立石は、これを機にホノルルへ戻り、日本語ラジオ局設立のために、マリー・ウォンとの交渉を開始。
本史
- 1963年10月18日 - 日本語新聞「ハワイ報知」のニュース提供による、フルタイム日本語放送局を開局。
- 1966年 - OBCとの間で業務提携を締結[2]。締結から数年間は、OBCの現役アナウンサー・ディレクターから若干名が、技術指導を兼ねて半年単位で交互に派遣されていた。
- 2001年4月 - 北海道札幌市中央区を主な放送エリアとするコミュニティFMラジオ局「ラヂオノスタルジア(札幌ラヂオ放送)」との提携により、両局にて特別同時番組を放送[3]。
- 2001年7月 - 「ラジオ ホノルル・ハワイ 電話応答の時間 もしもしタイム」(ラヂオノスタルジア側の番組名は「スナック7 ハワイ番外編」)をラヂオノスタルジア(札幌ラヂオ放送)と同時レギュラー放送開始(ハワイ側の放送は「毎月第1木曜日 20:30 - 21:30」、日本側の放送は「毎月第1金曜日 15:30 - 17:30」)[4]。後に提携を解消し、番組は終了。
放送内容
音楽番組やニュース、フライト・インフォメーション、経済ニュース、移民法プログラム、ラジオ体操があるほか、「宗教の時間」「演歌の時間」「日本便り」という番組もあり、「創価学会アワー」や「浄土宗アワー」といった特定宗教向けの番組も存在する。
日本の放送局が制作した番組も放送しており、現地時間では以下の時間となる。
- 森本毅郎・スタンバイ!(TBSラジオ、日曜 - 木曜 12:30 - 14:15) - 日本と1時間遅れの時差ネット
- アロ~ハ!!大崎潔のがんばれハワイ(ミュージックバード、月曜 19:00 - 19:30)
- もっと気軽に世界人(RKB毎日放送、火曜 17:30 - 17:45)
- 山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』(JFN、金曜 10:30 - 11:00)
- KZOO ALOHA HOTLINE "Aloha Rainbow"(ミュージックバード、金曜 11:00 - 11:55)
- あの頃青春グラフィティ(ミュージックバード、金曜 18:00 - 21:00)
- 中山秀征の有楽町で逢いまSHOW(ニッポン放送、土曜 16:30 - 17:00)
主な番組
- KZOOモーニングプルメリア(月曜 - 金曜 6:30 - 9:00)
- 内田なおしのアロハ・マーケティング・ラボ(金曜 12:30 - 13:00)
- かりゆしとともに〜Okinawan Program(日曜 16:00 - 18:00)
特別番組
- 2005年日本国際博覧会
- 豊嶋稔の日本の旅路 (2004年シリーズ48回)
- 時間外は音楽を「Music Mix」として放送。
この他、ラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)とのコラボ番組を1978年と1979年の11月23日に実施し、日本国内で放送された。番組は「初公開!ハワイラジオ局徹底衛星生中継」であった。その際には特別ベリカードも発行された。