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ケンドリック・ラマー

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ケンドリック・ラマー・ダックワーズ(Kendrick Lamar Duckworth、1987年6月17日 - )は、アメリカ合衆国のラッパー、ソングライター、音楽プロデューサー。度々「ヒップホップの新王者」と称される[1][2][3][4]。グラミー賞に66回ノミネート、うち27回受賞歴を果たしている。Jay-Zの記録を更新し史上最もグラミー賞を獲得したラッパーとなった[5]。

出生名 ケンドリック・ラマー・ダックワース
Kendrick Lamar Duckworth
別名 K-Dot・Kung-Fu Kenny・Cornrow Kenny
生誕 (1987-06-17) 1987年6月17日(39歳)
概要 ケンドリック・ラマー, 基本情報 ...
ケンドリック・ラマー
ロンドンにて(2025年)
基本情報
出生名 ケンドリック・ラマー・ダックワース
Kendrick Lamar Duckworth
別名 K-Dot・Kung-Fu Kenny・Cornrow Kenny
生誕 (1987-06-17) 1987年6月17日(39歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州コンプトン
ジャンル ヒップホップ、ウエスト・コースト・ヒップホップ、オルタナティブ・ヒップホップ、ジャズ・ラップ
職業 ラッパー、ソングライター
活動期間 2003年 - 現在
レーベル Top Dawg Entertainment, Interscope Records
共同作業者 Black Hippy Dr.Dre J. Cole SZA
公式サイト kendricklamar.com
署名
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概要

カリフォルニア州コンプトンで育ち、K-Dotという名前で10代の頃に音楽活動を開始し、地元で注目を集めたミックステープを発売後、インディーズレーベルTop Dawg Entertainment(以下TDE)と契約。2010年、最初の小売発売となった『Overly Dedicated』を発売後、認知され始めた。翌年、デビューシングル「HiiiPoWeR」を含む最初のスタジオ・アルバム『Section.80』を発売。それまでにゲーム、バスタ・ライムス、スヌープ・ドッグを含む何人かの有名なヒップホップアーティストとコラボレーションした。2012年にTDE、アフターマス、インタースコープからメジャー・デビュー・アルバム『グッド・キッド、マッド・シティー』が発売され、批評家から高い評価を受けた。また、Billboard 200で最高2位を記録し、後にRIAAよりプラチナ認定を受けるなど商業的にも成功を収めた。加えて、アルバムは「スウィミング・プールス(ドランク)(英語版)」、「ビッチ、ドント・キル・マイ・ヴァイブ(英語版)feat.ジェイ・Z」、「ポエティック・ジャスティス(英語版)feat.ドレイク」といったトップ40シングルを生み出した。2015年に発売した3枚目のアルバム『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』は、ファンク、ソウル、ジャズ、スポークン・ワードの要素を取り入れており、こちらも高い評価を受けた。アルバムは、アメリカとイギリスで初登場首位を記録し、第58回グラミー賞で最優秀ラップアルバム賞を受賞した。2016年、未発表曲集『アンタイトルド・アンマスタード』を発売。2017年に4枚目のアルバム『DAMN.』を発売し、さらに評価を高めた。アルバムのリードシングル「ハンブル(英語版)」は、Billboard Hot 100で首位を獲得した。

彼はソロ歌手としての経歴の他に、TDEのレーベル仲間や南ロサンゼルスに拠点を置くアブ・ソウル、ジェイ・ロック、スクールボーイ・Qと組んだウエスト・コースト・ヒップホップスーパーグループ「ブラック・ヒッピー」の一員としても知られている。

ラマーは12個のグラミー賞受賞を含む、多くの称賛を受けている。2013年初めに、MTVによって「最もホットなラッパー」に選出された[6]。2016年にはタイムの世界で最も影響力のある100人に選ばれた[7]。2018年、アルバム『DAMN.』によってピューリッツァー賞の音楽部門を受賞した初の非クラシック音楽、非ジャズ音楽家となった[8]。

生い立ち

両親はイリノイ州シカゴ出身で1984年にシカゴからカリフォルニア州コンプトンへと移住した。母のポーラ・オリバーは美容師で父ケネス・ケニー・ダックワースはシカゴのストリートギャング、ギャングスター・ディサイプルズの元メンバーであり、彼の家族はブラッズと結びついていた[9]。ケンドリック・ラマーは1987年6月17日、カリフォルニア州コンプトンにて生まれる[10][11]。名前は元テンプテーションズでアメリカのシンガーソングライターエディ・ケンドリックスを称えて母親が名付けた[12]。

7歳まで一人っ子で、母親からは「孤独を好む子(ロンナー)」と言われていた[13]。その後、両親の間に2人の弟と現在は実業家である妹のケイラ・ソーヤー(旧姓ダックワース)が生まれた。また、従兄弟にはバスケットボール選手のニック・ヤングや、ラッパーのベイビー・キームがいる。

一家はセクション8(低所得者向け公営住宅)に住み、生活保護やフードスタンプに頼っており、ホームレス状態を経験したこともあった[14]。彼自身は特定のギャングのメンバーではなかったが、ウエストサイド・パイラスに近い関係者たちに囲まれて育った[15]。苦難を経験しながらも彼は両親のホームパーティーに忍び込むなどしてヒップホップへの興味を抱かせるような「幼少期の良い思い出」があったと回想している[16]。子供の頃、礼拝に参加しても空虚で「一方的」だと感じ「精神的な物足りなさ」を感じていたが、後に「より深い真実」を見出し、「私たちの神は愛の神である」と付け加えている[17]。

録音した自分の声を初めて聴いた後、ラップに興味を持つようになった。1992年のロサンゼルス暴動を経験したことで警察の暴力を目の当たりにした。5歳の時にはアパートの外に座っていた際に10代のドラッグディーラーが車からの発砲によって射殺される現場を目撃し、初めて殺人の証人となった。後に彼はNPRミュージックで、「その瞬間に自分の中で何かが起きた。これは単に目撃しているだけでなく、いつか慣れなければならないことなのかもしれない、と悟った」と告白している[18]。両親は、彼の早熟な振る舞いから「マン・マン(小さな大人)」というニックネームで呼んだが、彼はそれが「子供らしく反応することへのレッテルになった。怪我をしても、泣かないことを期待されるようになった」と打ち明けている[19]。

学校では、学業に秀でた静かで観察眼の鋭い生徒だったが目立つ吃音があったという[20]。小学校1年生の時の担任ロバート・E・マクネアは、彼が「audacity(厚かましさ、大胆さ)」という言葉を正しく使っているのを聞き、物書きになるよう勧めた[21]。その後、ヴァンガード・ラーニング・センターの7年生の時の英語教師であるレジス・インジによって詩を紹介される[22]。インジは、生徒間の人種トラブルの対策として、カリキュラムに文学を取り入れており、文学とヒップホップとの繋がりを通じ、彼は韻、隠喩、ダブル・ミーニングを学び、ソングライティングに夢中になった。「自分のあらゆる感情を1枚の紙に書き留めることができた。それが自分にとって意味を成した。それが好きだった」と語っている。他の教科の課題をせずにノートに歌詞を書く事に熱中し、最初期に書いたものはすべて卑俗な内容だったが、それが思春期に苦しんでいた心理的トラウマや抑鬱に対処する助けなったという[23][24]。インジは彼の知的成長に重要な役割を果たしており、しばしば彼の語彙を批判や散文を強化するためのテーマを提案していた[22]。

その後、彼は地元のセンテニアル高校に進学[25]。10年生の時には夏期講習に参加した際にギャングの抗争に巻き込まれることになり、ギャングを嫌悪するようになった。ギャング文化を嫌悪感示していたにも関わらず、友人たちとの関わり合いから徐々にコンプトンのギャングと深く関わるようになり、数々の健康被害や警察とのいざこざを経験した[25]。しかし、父親による説得を経て、そのライフスタイルから距離を置いた。16歳の時、友人の死をきっかけに洗礼を受け、キリスト教に改宗。2005年、オールA(全科目最高評価)の成績で高校を卒業[26][27]。大学に進学し心理学や天文学を学ぶことも考えたが、最終的に音楽のキャリアに専念するために大学進学という道は選ばなかった[28][29]。

経歴

2003–2008: キャリアの始まり

ケンドリック・ラマーが通ったセンテニアル高校。在学中にキャリアをスタートした。

ケンドリック・ラマーは、センテニアル・ハイスクールに在学中に音楽活動を始めた。高校時代、彼はK.Dotというステージネームを名乗り、校内でフリースタイルやラップバトルを行うようになった[30]。そのパフォーマンスは同級生のデイヴ・フリーの目に留まり、フリーは彼のラップを見るためにイングルウッドから足を運んだという[30]。二人はヒップホップへの愛と、テレビのシットコム『Martin』が好きという共通点をきっかけに、すぐに親交を深めた[30]。彼らは、フリーが自作したガレージ・スタジオや、フリーの兄のハイドパークにあるアパートで一緒に楽曲を制作した[30]。彼の初期のライブは、”超ゲットー”なコメディクラブやタトゥーショップの裏などで行われていた[30]。当時、フリーはハイプマンを務め、彼の兄がマネージャー兼DJとして支えていた[30]。2000年代は5本のミックステープを制作しており、その最初の作品『Youngest Head Nigga in Charge(Hub City Threat: Minor of the Year)』は、2004年から2005年にKonkrete Jungle Musikからリリースされた[31]。これらのミックステープの多くは、当時人気だったヒップホップ楽曲のトラックを使ったフリースタイルが中心だった[31]。

Rolling Stone誌での回顧レビューにおいて、モーシー・リーヴスは『Hub City Threat: Minor of the Year』に見られるラマーの「間違いのない」リズム感とタイミングを称賛する一方、リリックは「不器用」で、フロウが「ジェイ・Zやリル・ウェインに過度に依存している」と批評した[31]。当時コンピューター技術者として働いていたフリーは、修理作業の最中に、このミックステープをプロデューサーのアンソニー・“トップ・ドッグ”・ティフィスに聴かせた[32]。ティフィスはケンドリック・ラマーの成長しつつある才能に感銘を受け、設立したばかりのインディペンデント・レーベル、Top Dawg Entertainment(TDE)への加入オーディションに招いた[32]。オーディションでは、ティフィスとレーベル幹部のテレンス・“パンチ”・ヘンダーソンの前で、2時間にわたってフリースタイルを披露した。この戦略はヘンダーソンを感心させた一方で、ティフィスを戸惑わせたという[33][34]。最終的に2005年にTDEと契約し、ジェイ・ロックとともに同レーベル初期の所属アーティストとなった[33]。契約時には、金額非公開でレーベルの少数株式も購入している[34]。TDEのスタジオでジェイ・ロックと音楽制作を始めた当初、一時的に警備員として働いていたこともあった[35][36]。その後、TDEに加わったアブ・ソウル、スクールボーイQとジェイ・ロックと、後のヒップホップ・スーパーグループBlack Hippyの結成につながった[37]。2007年、彼は2作目のミックステープ『Training Day』をリリースした[31]。リーヴスは、2001年の同名映画をコンセプトにした本作について、多彩なプロダクションと「よく練られた」構成を評価している[31]。2006年には、Def Jam Recordingsとアーティスト育成契約を結び、ザ・ゲームのシングル2曲に参加したほか、ジェイ・ロックの初期ミックステープ『Watts Finest Vol. 1』および『Watts Finest Vol. 2: The Nickerson Files』にも大きく貢献した[19][38]。しかし、Def Jamの社長兼CEOであるジェイ・Zとの面会を経て、最終的に契約は終了となった。彼は後にこの出来事を「自分がまだ準備不足だった状況の一つだった」と振り返っている[39][40]。2007年12月24日、ケンドリック・ラマーとジェイ・ロックはコラボレーション・ミックステープ『No Sleep ’til NYC』を発表した[31]。リーヴスはこの作品を、「楽しいサイファー・セッション。それ以上でも以下でもない」と評している[31]。

2009–2011: Overly DedicatedとSection.80

ライブでのケンドリック・ラマー(2011年)

2009年1月30日にリリースされた3作目のミックステープ『C4』は、リル・ウェインのアルバム『Tha Carter III』(2008年)へのトリビュート作品として制作され、リル・ウェインの共同プロデューサーたちのサポートを受け制作された[41]。しかし、Rolling Stone誌のモーシー・リーヴスは、この作品を「1年前の使い古されたアルバムに対する、的外れなオマージュ」だと評している[31]。2009年2月から7月にかけて、ジェイ・ロックのプロモーターとして、ザ・ゲームの「LAXツアー」に同行した[42][43]。この時期に自身のステージネームが本来の人格やアイデンティティから注意をそらしていると感じるようになり、K.Dotというステージネームを改める決断を下した[44]。以降は、本名のファーストネームとミドルネームである「Kendrick Lamar」を使用することにし、この改名をキャリア上の成長の一環だと捉えている[45]。2009年に発表されたデビューEP「Kendrick Lamar EP」では[46]、それまでのミックステープ中心の制作スタイルから距離を置き、「勢い任せ」の制作を避け、本格的なソングライティングに重きを置いた作品に取り組んだ[31]。リーヴスはこのEPを、ケンドリック・ラマーのキャリアにおける「最初の傑出したプロジェクト」と評価し、そのメランコリックな雰囲気を称賛している[31]。また、彼自身も、本作によって『C4』で受けた批判から名誉を回復できたと感じていたという[31]。

ワーナーチャペル・ミュージックと音楽出版契約を結んだ後[47]、2010年9月14日に4作目のミックステープ『Overly Dedicated』をリリースした。これは、デジタル小売業者を通じて正式に販売された初のプロジェクトであった[48]。リーヴスはこの作品を、作詞作曲面での転機となる、部分的ではあるが「勝利のラップ」だと評している[31]。『Overly Dedicated』はビルボードトップR&B/ヒップホップ・アルバム・チャートで72位を記録した[49]。彼はテック・ナインの「インディペンデント・グラインド・ツアー」において、2度目となるジェイ・ロックのハイプマンを務め、このツアーを通じて『Overly Dedicated』はドクター・ドレーの耳にも届いた[50][51]。ドレーはYouTubeで彼の楽曲「Ignorance Is Bliss」のミュージックビデオを見た後、彼に連絡を取り、スヌープ・ドッグとともに未完成アルバム『Detox』での共同作業を打診した[52][53]。この時期、ケンドリック陣営はドレーのレーベルであるアフターマス・エンターテインメントとの契約も検討しており、J・コールをはじめとする複数のアーティストから助言を受けていた[54][55]。

Section.80のリリース前にサウンドアカデミーでライブをするケンドリック・ラマー(2011年)

私生活ではラッパーのニティ・スコット(Nitty Scott)と短期間交際していた[56][57]。また、XXL誌の「2011年フレッシュマン・クラス」に選出され、注目度を一気に高めた[58]。2011年7月2日、デビュー・スタジオ・アルバム『Section.80』をリリースし[59]、リードシングルとして「HiiiPower」を発表した[60]。本作では、コンシャスかつオルタナティブなヒップホップ・スタイルを追求し、「削ぎ落とされた」ジャズ寄りのプロダクションにも挑戦している[61][62]。Forbes誌のオグデン・ペインは、このアルバムを「社会的メッセージと大衆性を巧みに両立させた、ラマーの原点」と評している[63]。『Section.80』は、彼にとって初めてビルボード200にランクインした作品で、最高113位を記録した。初週売上は約5,000枚と控えめで、当時は主要メディアから大きく取り上げられることはなかった[64]。アルバムのプロモーションとして、彼は全米各地の小規模会場や大学キャンパスを巡るツアーを行った[65][66]。ウエストロサンゼルスでの公演でスヌープ・ドッグ、ドクター・ドレー、ザ・ゲームから「西海岸の新たな王( "New King of the West Coast")」の称号を言い渡された[67][68]。この年、ザ・ゲームの『The RED Album』、テック・ナインの『All 6's and 7's』、ナインス・ワンダーの『The Wonder Years』、ドレイクの『Take Care』など、数多くの話題作に客演している[69]。

2012–2013: good kid, m.A.A.d city

ピッチフォーク・ミュージック・フェスティバルでパフォーマンスするケンドリック・ラマー(2012年)

彼は『Section.80』のリリース前から、すでに次作アルバムの構想を練り始めていた[70]。2012年2月から4月にかけては、ドレイクの「Club Paradise Tour」でオープニングアクトを務め[71]、同時期にJ・コールとのコラボレーション・アルバムの制作にも着手している[72][73]。2月14日には、ガンプレイをフィーチャーした楽曲「Cartoon & Cereal」をデジタル配信でリリースした[74]。3月8日には、The Faders誌が、彼がアフターマス・エンターテインメントおよびインタースコープ・レコードとジョイント・ベンチャー契約を結んだと報じた。この契約のもとでも、TDEは引き続き彼の主要レーベルとして機能していた[75]。続くシングル「The Recipe(Feat.Dr. Dre)」は、4月2日にリズミック・クロスオーバー系ラジオ局で初公開された[76]。彼の2作目のスタジオ・アルバムであり、メジャーレーベルからの初作品となる『Good Kid, M.A.A.D City』が2012年10月22日にリリースされた[77][78]。制作には、ファレル・ウィリアムス、ヒットボーイ、スクープ・デヴィル、ジャック・スプラッシュ、ティー・マイナスといったプロデューサーが参加し、ギャングスタ・ラップの影響が色濃い、雰囲気が重視されたのウエストコースト・ヒップホップ作品に仕上げられた[79]。リードシングル「Swimming Pools (Drank)」は[80]、彼にとって初の全米ビルボードHot 100トップ20入りを果たした楽曲となった[81]。続く「Backseat Freestyle」「Poetic Justice」「Bitch, Don’t Kill My Vibe」も中程度の商業的成功を収めている[82][83]。『Good Kid, M.A.A.D City』は批評家から圧倒的な称賛を受け、特に非線形のストーリーテリングと作品全体のテーマ性が高く評価された。シカゴ・トリビューン誌のグレッグ・コットは、本作について「ギャングスタ・ラップの常套表現にひねりを加え、時には完全に覆している。コメディ、複雑さ、そして彼の頭の中にある多くの声で溢れている」と評している[84]。アルバムはビルボード200で初登場2位を記録し、初週売上は24万2,000枚に達した[85]。これは同年における男性ラッパーのアルバムとして最高の初週売上だった[86]。『Good Kid, M.A.A.D City』は、エミネムの『The Eminem Show』(2002年)を抜き、ビルボード200における最長ランクインのヒップホップ・スタジオ・アルバムとなった[87]。2022年10月には、10年以上連続でチャートにランクインした史上初のヒップホップ・スタジオ・アルバムとなっている[88]。

ハンブルクでパフォーマンスするケンドリック・ラマー(2013年)

2012年9月から10月にかけて、彼はBlack Hippy、ラッパーのスタリーとともに「BET Music Matters Tour」のヘッドライナーを務めた[89]。同年のBETヒップホップ・アワードでは「リリシスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞し[90]、エイサップ・ロッキーのシングル「Fuckin' Problems (feat. Drake, 2 Chainz, & Kendrick Lamar)」に客演。この楽曲は全米トップ10入りを果たした[91]。2013年には、スティーヴ・アオキと共に全米大学ツアーを行い、さらに自身初のワールドツアーも敢行した[92][93]。7月には「フジロック・フェスティバル'13」出演のため初来日しホワイト・ステージでパフォーマンスを行った[94]。一方で、親しい友人3人の死を知ったことをきっかけに、プロモーション期間中うつ症状、サバイバーズ・ギルト、自殺念慮に苦しんでいたことが明らかになっている[95]。2013年10月から12月にかけては、レーベルやマネジメントの反対を押し切り、カニエ・ウェストの「Yeezus Tour」でオープニングアクトを務めた[96][97]。ツアー開始時には2度目の洗礼を受け、終盤には神経衰弱を経験している[98][99]。同年、BETアワードおよびBETヒップホップ・アワードでそれぞれ3部門を受賞し[100][101]、前者では最優秀新人賞にも輝いた[102][103]。この年、彼はロンリー・アイランドの「YOLO (feat. Adam Levine & Kendrick Lamar)」[104]、ミゲルの「How Many Drinks? Remix」[105]、スクールボーイQの「Collard Greens」[106]、ビッグ・ショーン&ジェイ・エレクトロニカとの「Control」[107]、ロビン・シックの「Give It 2 U(feat. Kendrick Lamar, 2 Chainz)」[108]、エミネムの「Love Game」[109]の6曲に客演している。特に「Control」での彼のヴァースは、ヒップホップ業界に対する「警鐘」と評され、ドレイクとの10年以上にわたる確執の始まりとなった[110]。Rolling Stone誌は、この楽曲を過去10年で最も重要なヒップホップ楽曲の一つに押し上げた要因として、彼のヴァースを挙げている[111]。彼はGQ誌の年次企画「Men of the Year」において、「ラッパー・オブ・ザ・イヤー」に選出された[112]。しかし、その号の発行後、TDE代表のティフィスは、GQ主催パーティーでの彼の出演を取りやめさせ、スティーヴ・マーシュによる彼の特集記事に「人種的な含意がある」と抗議した[113][114]。

2014–2016: To Pimp a Butterfly & Untitled Unmastered

「Yeezus Tour」でのオープニングアクトを終えた後、彼は3作目のアルバム制作に取りかかった[115]。2014年1月に開催された第56回グラミー賞では、『Good Kid, M.A.A.D City』によって最優秀新人賞、最優秀ラップ・アルバム賞、アルバム・オブ・ザ・イヤーを含む7部門にノミネートされた[116]。しかし受賞はなく、この結果について複数のメディアは「不当な扱い」だったと報じた[117][118]。最優秀新人賞および最優秀ラップ・アルバム賞を受賞したマックルモアは、授賞式後に彼へ送ったテキストメッセージを公開し、「自分が彼を差し置いて受賞したことへの謝罪」を伝えた[119]。この出来事は大きな注目を集め、論争やインターネット・ミームとなった[120]。授賞式では、ロックバンドのイマジン・ドラゴンズとともに「M.A.A.D City」と「Radioactive」のマッシュアップを披露しこのパフォーマンスは高い評価を受けた[121][122]。

2014年2月から7月にかけて、彼はエミネムの「Rapture Tour」でオープニングアクトを務めた[123][124]。8月9日には、自身が主演・企画・制作を手がけた短編映画『M.A.A.D』を、サンダンス・インスティテュート主催のNext Festで初公開した[125]。9月23日には、2作目のアルバム『To Pimp a Butterfly』からのリードシングルとして「i」をリリースし、この楽曲は第57回グラミー賞で最優秀ラップ・パフォーマンス賞および最優秀ラップ・ソング賞を受賞した[126][127]。『サタデー・ナイト・ライブ』で披露した「i」のパフォーマンスも、同時代の批評家から称賛を浴びている[128]。2014年には、アリシア・キーズの「It’s On Again」[129]、シザの「Babylon」[130]、フライング・ロータスの「Never Catch Me」[131]の3曲に客演し、BETヒップホップ・アワードでは2年連続でリリシスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した[132]。

ライブでのパフォーマンスするケンドリック・ラマー(2015年)

当初は20215年3月22日の発売が予定されていた『To Pimp a Butterfly』は2015年3月15日にサプライズリリースされた[133]。本作では、ジャズ、ファンク、ソウルなど、アフリカ系アメリカ人音楽と深く結びついたジャンルが取り入れられている[134]。ジャズなどの本質を捉えるため、彼はサンウェーヴ、ファレル・ウィリアムス、テラス・マーティン、サンダーキャットといったプロデューサーを起用した[135]。また、彼の婚約者であるホイットニー・アルフォードが一部楽曲でバックグラウンド・ボーカルを担当している[136]。アルバムからは「The Blacker the Berry」[137]、「King Kunta」[138]、「Alright」、「These Walls」といったシングルがリリースされ、いずれも中程度の商業的成功を収めた[139]。初週売上は32万4,000枚に達し、『To Pimp a Butterfly』は全米ビルボード200および全英アルバムチャートで1位を獲得、彼にとって初の首位獲得アルバムとなった[140][141]。Billboard誌は、「20年前であれば、これほど意識的なラップ作品が主流に浸透することはなかっただろう。全米で警察暴力や人種的緊張が高まる中、彼は生々しく攻撃的な詩を放ちながらも、同時に観客を踊らせている」と評している[142]。Pitchfork誌も、本作が「批評家に音楽について深く考えさせることを強いた」と論じた[143]。

彼はテイラー・スウィフトの「Bad Blood」リミックスへの参加によって、自身初の全米1位シングルを獲得した[144]。同楽曲はMTVビデオ・ミュージック・アワードで年間最優秀ビデオ賞および最優秀コラボレーション賞を受賞し、「Alright」のミュージックビデオは最優秀ディレクション賞に輝いた[145]。後に彼は、テイラー・スウィフトがマスター音源の権利問題に対抗する動きを見せたことを受け、「Bad Blood」リミックスでの自身のパートを再録音している[146][147]。BETアワードでは、物議を醸した「Alright」のパフォーマンスでオープニングを飾り、最優秀男性ヒップホップ・アーティスト賞を受賞した[148]。BETヒップホップ・アワードでも3部門を獲得している[149]。アルバムのプロモーションとして、彼は2015年10月から11月にかけて、アメリカ各地の小規模会場を巡る「Kunta’s Groove Sessions Tour」を行った[150]。同年の活動とコラボレーションによって、彼は第58回グラミー賞で11部門にノミネートされ、これは1夜でのラッパー最多記録となった[151]。受賞数でも最多となる5冠を達成し、『To Pimp a Butterfly』が最優秀ラップ・アルバム賞、「Alright」が最優秀ラップ・パフォーマンス賞および最優秀ラップ・ソング賞、「These Walls」が最優秀ラップ/サング・パフォーマンス賞、「Bad Blood」が最優秀ミュージックビデオ賞を受賞した[152]。

授賞式では、「The Blacker the Berry」「Alright」、そして未発表曲によるメドレーを披露し、批評家から高く評価された[153]。彼はそれ以前にも、『The Colbert Report』(2014年12月)および『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』(2016年1月)で未発表曲を披露しており、[154][155]NBA選手のスター選手であるレブロン・ジェームズから未発表曲の公開を求められたことをきっかけに、彼は2016年3月4日、初のコンピレーション・アルバム『Untitled Unmastered.』をリリースした[156]。本作には、『To Pimp a Butterfly』用に制作されていた、日付のみが付された未完成かつ全曲本人作詞による8曲が収録されており、ジャズ、ファンク、ソウル、アヴァンギャルドな探求を引き続き展開している[157]。 『Untitled Unmastered』は高い評価を受け、17万8,000ユニット相当を記録してビルボード200で初登場1位となり、彼にとって2作連続の全米1位作品となった[158]。2016年はビヨンセの「Freedom」[159]、マルーン5の「Don’t Wanna Know」[160][161]、ザ・ウィークエンドの「Sidewalks」[162]、トラヴィス・スコットの「Goosebumps」[163]といった、商業的に成功した4曲に客演している。

2017–2019: DAMN. 

ピューリッツァー賞授賞式でのケンドリック・ラマー(2018年)

2017年3月1日、ニューヨーク タイムズ スタイル マガジンT誌の表紙特集の中で、彼は3作目のスタジオ・アルバムを制作中であることを明らかにした[164]。3月23日にはプロモーション・シングル「The Heart Part 4」を発表し、その後3月30日にリードシングル「HUMBLE.」をリリースした[165][166]。「HUMBLE.」は全米ビルボードHot 100で初登場2位を記録し、翌週には1位に到達した。この楽曲は、彼にとって2曲目、そして本人名義としては初の全米1位シングルとなった[167]。2017年4月14日にアルバム『DAMN.』がリリースされた[168]。本作は『To Pimp a Butterfly』よりもメインストリーム寄りの音楽性を採用し、R&Bやポップスの要素を積極的に取り入れている[169]。Rolling Stone誌は、そのサウンドを「時代を超えたものと現代的なもの、オールドスクールと次世代が見事に融合した作品」と評した[170]。 『DAMN.』は彼のキャリアで最も商業的に成功したアルバムとなり、ビルボード200で通算4週(非連続)1位を獲得。3作連続の首位獲得作となり、初週売上は60万3,000ユニットに達した[171][172]。収録された全14曲がHot 100に初登場し、「LOYALTY.」「LOVE.」はトップ20入りを果たしている[173]。国際レコード産業連盟(IFPI)によれば、『DAMN.』は2017年の年間7番目の売上を記録したアルバムであり、「HUMBLE.」は同年で6番目に売れたシングルだった[174]。2018年6月には、ラッパーまたはソロ・アーティストとして史上初めて、収録曲すべてがRIAAでゴールド以上の認定を受けたアルバムとなった[175]。

『DAMN.』を引っ提げ、彼は2017年7月から2018年7月にかけて、自身初となるアリーナ規模のヘッドライナー・ツアー「DAMN Tour」を敢行した[176]。このツアーは全世界で6,270万ドルを売り上げ、史上最高収益を記録したヒップホップ・ツアーの一つとなった[177]。2017年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは、「DNA.」と「HUMBLE.」によるパフォーマンスで授賞式の幕を開けた[178]。その後、「HUMBLE.」で最優秀ヒップホップ・ビデオ賞、最優秀ディレクション賞、年間最優秀ビデオ賞など、計5部門を受賞した。年間最優秀ビデオ賞は、アーティスト自身が共同監督した作品が受賞した初の事例である[179][180]。同年、彼はフューチャーの「Mask Off」のリミックス[181]、シザの「Doves in the Wind」[182][183]、リッチ・ザ・キッドの「New Freezer」[184]に客演した。BETアワードでは最優秀男性ヒップホップ・アーティスト賞を受賞し[185]、『DAMN.』はアメリカン・ミュージック・アワードで最優秀ラップ/ヒップホップ・アルバム賞に輝いた[186]。12月には、トラックリストを逆順に並べたコレクターズ・エディションもリリースされている[187][188]。

2018年1月4日、彼は同年公開の映画『ブラックパンサー』のサウンドトラック『Black Panther: The Album』をキュレーションおよびエグゼクティブ・プロデュースすることを発表した[189]。本作は2月9日にリリースされ、「All the Stars」[190]、「King’s Dead」[191]、「Pray for Me」[192][193]といった商業的成功を収めたシングルを生み出した。彼はクレジット表記の有無にかかわらず、アルバム全曲にリードまたはバックグラウンド・ボーカルで参加し、いくつかの楽曲ではプロデュースも担当している[194][195]。音楽批評家たちは、『Black Panther: The Album』を画期的な作品と位置づけ、歌詞や文化的意義を高く評価した[196][197]。本作はビルボード200で2週連続1位を獲得し[198]、サウンドトラック・アルバムとして史上最多の週間ストリーミング数を記録した[199]。

第60回グラミー賞では、批評家から称賛されたメドレー・パフォーマンスを披露し[200]、計5部門を受賞した。『DAMN.』が最優秀ラップ・アルバム賞、「HUMBLE.」が最優秀ラップ・パフォーマンス賞、最優秀ラップ・ソング賞、最優秀ミュージックビデオ賞、「LOYALTY.」が最優秀ラップ/サング・パフォーマンス賞を受賞している[201]。2018年4月16日、『DAMN.』はピューリッツァー賞音楽部門を受賞し、クラシックおよびジャズ以外のジャンルの作品として初の快挙となった[202][203]。

2018年5月から6月にかけて、TDE所属アーティストとともに「Championship Tour」を共同ヘッドライナーとして行った[204][205]。ツアー期間中には、Spotifyの「憎悪コンテンツおよび憎悪行為」ポリシーを巡り、同社と公の対立を起こしている[206][207]。2018年7月には大型野外音楽フェス「フジロック・フェスティバル'18」にヘッドライナーとして来日[208]。8月には日本の地上波初となるインタビュー映像がNHK「おはよう日本」で放送された[209]。

同年、彼はニプシー・ハッスルの「Dedication」[210][211]、リル・ウェインの「Mona Lisa」[212]、アンダーソン・パークの「Tints」[213][214]、ジェイ・ロックの「Wow Freestyle」に参加し、後者のアルバム『Redemption』ではエグゼクティブ・プロデューサーも務め、シングル「Win」ではバックグラウンド・ボーカルを担当した[215][216]。アメリカン・ミュージック・アワードでは、『Black Panther: The Album』が最優秀ラップ/ヒップホップ・アルバム賞を受賞している[217]。2018年、クライム・ドラマシリーズ『Power』で薬物中毒者役を演じ、俳優としてのデビューも果たした[218]。2つのツアー終了後、彼は約4年間にわたるレコーディング活動の休止期間に入ったが[219]、その間もビヨンセの『The Lion King: The Gift』、スクールボーイQの『Crash Talk』、SiRの『Chasing Summer』(いずれも2019年)に参加している[220][221]。ワーナーチャペル・ミュージックとの出版契約が満了に近づく中[47]、彼はBroadcast Music, Inc.(BMI)と長期の世界的出版契約を締結した[222]。

2020–2023: Mr. Morale & The Big Steppers

2020年3月5日、彼はデイヴ・フリーとともに、クリエイティブ・エージェンシーPGLangを立ち上げた。PGLangは当時、多言語対応でアーティストに寄り添ったサービス企業として紹介された[223][224]。同年10月には、ユニバーサル・ミュージック・パブリッシング・グループと、世界規模の管理契約を締結している[225]。2021年8月、彼は「oklama.com」内のブログ投稿を通じて、TDEでの最後のアルバムを制作中であることを明かし、前年から浮上していた「pgLangに専念するためTDEを離れる」という噂を認めた[226][227]。その翌週、彼はベイビー・キームのシングル「Family Ties」に参加し、この楽曲は第64回グラミー賞で最優秀ラップ・パフォーマンス賞を受賞した[228][229]。さらに、キームのアルバム『The Melodic Blue』では、バックグラウンド・ボーカルで「Range Brothers」にはゲストとして参加している[230]。11月には、Day N Vegasでの2度目のヘッドライナー公演において、自身の音楽的キャリアを総覧する「演劇的展示」とも言えるパフォーマンスを行い[231][232]、同月にはテラス・マーティンのアルバム『Drones』にも客演した[233]。2022年1月、彼はデイヴ・フリー、トレイ・パーカー、マット・ストーンとともに、パラマウント・ピクチャーズ製作のコメディ映画をプロデュースする契約を結んだ。この作品は2026年3月20日に公開予定とされている[234][235][236]。2022年2月13日、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、エミネム、50セント、メアリーJ.ブライジ、アンダーソン・パークらと第56回スーパーボウルハーフタイムショーに出演[237]。このパフォーマンスはプライムタイム・エミー賞の最優秀バラエティ特番(ライブ)を受賞した[238][239]。

ビッグ・ステッパーズ・ツアー、スペクトラム・センターでパフォーマンスするケンドリック・ラマー(2022年)

プロモーション・シングル「The Heart Part 5」を発表した後[240][241]、彼の5作目のスタジオ・アルバム『Mr. Morale & the Big Steppers』が2022年5月13日にリリースされた[242]。本作は2枚組アルバムで、ジャズ、R&B、トラップ、ソウルといった要素を取り入れており[243][244]、パートナーのホイットニー・アルフォードが語り手として参加している[245]。批評家からは、彼の脆さをさらけ出したソングライティングと表現の幅が高く評価され、広範な称賛を受けた[246]。収録曲はすべてビルボードHot 100にランクインし、シングル「N95」「Silent Hill」「Die Hard」はいずれもトップ10で初登場した[247]。初週売上は29万5,000ユニットに達し、本作はビルボード200で1位を獲得、彼にとって4作連続の全米1位アルバムとなった[248]。その後、Spotifyにおいて、同年初の10億回再生を突破したヒップホップ・アルバムとなっている[249]。アルバムを引っ提げ、彼は2022年7月から2024年3月にかけて「The Big Steppers Tour」を開催した[250]。このツアーは全世界で1億1,090万ドルを売り上げ、当時としては史上最高収益を記録したラップ・ツアーとなった[251]。彼は楽曲「We Cry Together」の短編映像作品において、脚本、共同監督、エグゼクティブ・プロデューサーを務め、同作は2022年9月に世界公開された[252]。ツアーに密着したコンサート映画『Kendrick Lamar Live: The Big Steppers Tour』が11月に公開されている[253][254]。彼はアメリカン・ミュージック・アワードで最優秀男性ヒップホップ・アーティスト賞を受賞し、『Mr. Morale & the Big Steppers』は最優秀ヒップホップ・アルバム賞に選ばれた。また、BETヒップホップ・アワードではアルバム・オブ・ザ・イヤーを含む6部門を受賞している[255][256]。第65回グラミー賞では、『Mr. Morale & the Big Steppers』が最優秀ラップ・アルバム賞を受賞し、「The Heart Part 5」は最優秀ラップ・パフォーマンス賞および最優秀ラップ・ソング賞に輝いた[257]。

2023年5月、彼はビヨンセのシングル「America Has a Problem」の単独バージョンに参加し、同時にベイビー・キームのシングル「The Hillbillies」にも客演した[258][259]。BETヒップホップ・アワードでは4部門を受賞し、その過程で4つの記録を更新している[260]。8月には「SUMMER SONIC 2023」にてヘッドライナーとして3度目の来日を果たし圧巻のパフォーマンスを披露した[261]。また、コンサート・ドキュメンタリー映画『Renaissance: A Film by Beyoncé』に出演し、さらにベイビー・キームの短編映画『The Melodic Blue』の映像化作品ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めた[262][263]。この時期、彼はアフターマス・エンターテインメントとの関係を解消し、インタースコープ・レコードと新たな直接ライセンス契約を締結している[264]。

2024–現在: ドレイクとのビーフ、GNX、スーパーボウルLIXハーフタイムショー、グランドナショナルツアー

グランドナショナルツアーでトッテナム・ホットスパー・スタジアムでパフォーマンスするケンドリック・ラマー(2025年)

2024年3月、フューチャー&メトロ・ブーミンの楽曲「Like That」にサプライズ参加したことで、ドレイクとの対立は再び激化した[265]。同曲はビルボードHot 100で3週連続1位を記録し、彼にとって3曲目の全米1位シングルとなったほか、初登場1位を獲得した初の楽曲ともなった[266]。4月から5月にかけて、彼はドレイクを名指ししたディス曲「Euphoria」[267]、「6:16 in LA」[268]、「Meet the Grahams」[269]、「Not Like Us」を相次いで発表し、いずれも批評家から好意的、もしくは絶賛に近い評価を受けた[270]。特に「Not Like Us」は、集計期間が短縮された週でHot 100の首位に立った史上初のラップ楽曲となった[271]。6月19日のジューンティーンスには、『The Pop Out: Ken & Friends』と題された祝賀的な単発コンサートが開催された[272]。「Not Like Us」は、2025年2月2日に開催された第67回グラミー賞で、年間最優秀レコード賞、年間最優秀楽曲賞、最優秀ラップ・パフォーマンス賞、最優秀ラップ・ソング賞、最優秀ミュージックビデオ賞の5部門を受賞した[273]。

2024年9月、楽曲「Watch the Party Die」をインスタグラムで公開した[274]。11月22日には、「GNX」と題した楽曲をYouTube限定で発表し、同日に同名アルバムをストリーミング配信でサプライズ・リリースした[275]。本作からは複数のヒット曲が生まれ、ビルボードHot 100で1位を獲得した「Squabble Up」と「Luther」がその代表例である。「Squabble Up」は初登場1位を記録し[276]、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルが1967年に発表したIf This World Were Mineのルーサー・ヴァンドロスとシェリル・リンによるカバーバージョンをサンプリングした「Luther(with SZA)」は、全米で13週(非連続)首位を維持し、彼にとって最長ヒットとなる1位楽曲となった[277]。 12月17日には、「Section.80」制作時期の楽曲と噂される「Money Without Me」をYouTubeで公開した。同月には、シザのアルバム『SOS』(2022年)のデラックス再発盤『Lana』にも客演している。Billboard誌は、彼を「2024年で最も偉大なポップスター」に選出し、「見出しを飾り、文化を魅了した新作や新たな示唆」を理由に挙げた[278]。音楽活動以外では、アニメーションによる伝記映画『Piece by Piece』(2024年)に出演している[279]。

2025年2月9日、彼はスーパーボウルLIXのハーフタイムショーでヘッドライナーを務め、シザ、サミュエル・L・ジャクソン、セリーナ・ウィリアムズ、マスタードらが出演した[280][281][282]。このパフォーマンスは1億3,350万人が視聴し、マイケル・ジャクソンが出演した1993年のスーパーボウルXXVIIを上回り、史上最多視聴のスーパーボウル・ハーフタイムショーとなった[283]。この功績により、彼はプライムタイム・エミー賞の最優秀音楽監督賞を受賞している[284]。2025年2月17日、彼はSpotifyにおいて月間リスナー数1億人を超えた初のラッパー(全アーティストでは9人目)となった[285]。さらに、全米で同時にトップ10入りしたアルバムを3作持つ初のラッパーにもなっている[286]。3月14日には、プレイボーイ・カーティのアルバム『Music』に3曲(「Backd00r」「Good Credit」「Mojo Jojo」)で参加した[287]。また、ロック・ミュージシャンのレニー・クラヴィッツ、頻繁に共作してきたファレル・ウィリアムスとともに、クリプスの楽曲「Chains & Whips」(『Let God Sort Em Out』収録)にも客演している[288]。『GNX』および『Lana』を引っ提げ、彼は2025年4月からシザとともに「Grand National Tour」を開始した[289]。このツアーは、史上最高収益を記録した共同ヘッドライナー・ツアーとなった[290]。

芸術性

影響

ケンドリック・ラマーが最も影響を受けた2パック・シャクール

自身のキャリアと私生活の両面において、2パックが最大の影響源だと明かしている[291]。幼少期の最も古い記憶の一つは、父親と共にコンプトンのスワップミートで、2パックとドクター・ドレーがシングル「California Love」の2本目のミュージックビデオ撮影を見たこと[292]。彼は自分自身を、2パックの芸術性と社会政治的思想のオフスプリングだと表現している[293]。一部のメディアは彼を「現代の2パック」と見なしているが[294][295]、彼は自身の個性を維持することに努めている[296]。

2パックの『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』(1996年)、ノトーリアス・B.I.G.の『Life After Death』(1997年)、DMXの『It's Dark and Hell Is Hot』(1998年)が自身の芸術的方向に影響を与えたといい「これらのアルバムを単なる音楽としては見ていない。実際の映画のように聞こえるんだ」と語っている[297]。また、幼少期にはモス・デフやスヌープ・ドッグを聴き、影響を受けたほか[298]、「イージー・Eがいなければ、今の自分はここにいない」とも述べている[299]。50セントのミックステープでの成功は彼がインディペンデント・アーティストを目指すきっかけとなり[300]、コンシャス・ラッパーと分類されることに対する50セントの――「ああ、俺は良心(コンシャス)を持っているからコンシャスなアーティストだ」――という言葉も独自の視点を与えてくれたという[301]。

影響を受けたアーティスト自身の好きなラッパートップ5として、2Pacをはじめ、ノトーリアス・B.I.G.、ジェイ・Z、ナズ、エミネムを挙げている。2012年9月のインタビューで、デトロイト出身のエミネムについて、「自分のスタイルに大きな影響を与えた人物」と話した。また、その他にも影響を与えた人物としてリル・ウェイン(Hot Boyzのメンバーだった頃)を挙げており、 長い期間にわたり活躍していることについても称賛している。ヨンカース出身のDMXについて、「(DMXは)ほんとに音楽を始めるきっかけを与えてくれた」と、Pawar99のインタビューで話した。

モブ・ディープのプロディジーは、彼の初期のミックステープにおける主要な影響源であり[302]、ラップスキルはリル・ウェインの息の長い発声から得たものである[303]。また、エミネムと2000年のアルバム『ザ・マーシャル・マザーズLP』からは、アドリブなどのソングライティングを学び、「Backseat Freestyle」のような楽曲における攻撃的なアプローチに影響を与えた[304][305][306]。N.W.Aからは、「勇気、誠実さ、そして芸術的な輝き」をもって故郷を代表する粘り強さにインスピレーションを得た[307]。さらに、マーヴィン・ゲイ[308]、アイズレー・ブラザーズ[308]、マイケル・ジャクソン[309]、テディ・ペンダーグラス[310]、シャーデー、アニタ・ベイカーといったR&Bやソウル・アーティストからも影響を受けている[311]。自身の歌唱音域に影響を与えたというプリンスとは[312]、2014年のアルバム『Plectrumelectrum』と『Art Official Age』のリリースを祝うためにペイズリー・パークで共演し、GQ誌はこれを「5分間の華麗なる狂気」と評した[313]。アルバム『To Pimp a Butterfly』は、ジャズ・トランペット奏者のマイルス・デイヴィスやPファンクの作品から影響を受けている[314]。

音楽スタイル

彼の音楽スタイルの性質は、「反・派手、内省的、かつ複雑」であると評されている[315]。彼はウエスト・コースト・ヒップホップに根ざしているが[316]、他のジャンルへと手を広げることで、常に自身のサウンドを再構築してきた[317]。メインストリームのリスナーを惹きつけることでヒップホップの聴衆拡大に貢献したことから、音楽批評家は一般的にラマーを「プログレッシブ・ラップ」のアーティストに分類している[318]。しかし彼は自身の音楽はジャンルレスであると示唆しており、2012年のインタビューで「僕の音楽を分類することはできない。それは『人間の音楽』なんだ」と説明している[319]。PopDust誌は、ヒップホップが定義されたといえる2010年代において、ケンドリック・ラマーはこのジャンルの限界を絶えず押し広げたと称している[320]。

キャリアの初期は音楽プロデュースには関心がなかった[321]。しかし、ソングライティングや「普遍的な音を作ること」に重点を置くようになると、自身の楽曲構成に対してより厳格で冒険的になった[321]。彼はミキシングやマスタリングの段階を含む制作プロセスのあらゆる側面に深く関与しており、レコーディング・スタジオで長時間作業することで知られている[322]。「自ら手を動かし、異なる音や周波数を知る必要があるんだ」「何が人を動かすのか、どんなメロディが耳に残るのか、高音域と低音域を取り込んで、それを特定の周波数でどのように絡み合わせるか、音を自分に有利に操る方法を学ぶんだ」とVariety誌に語っている[321]。また彼は常に知名度の高い技術スタッフやアーティストではなく、より結束の固いスタッフやミュージシャンのチームとの活動を優先して制作を進めている[323]。プロデューサーのサンウェイヴとは、2009年のセルフタイトルEP以来、共に活動を続けている[324]。

『Kendrick Lamar EP』では、彼の芸術性における極めて重要な転換点となった。ラジオのヒットチャートの上位やアーバン・ラジオのシングル曲でフリースタイルを行っていた初期のミックステープとは異なり、このEPでは彼の歌詞を際立たせる、メランコリックで「悲哀に満ちた」オリジナル制作が取り入れられた[325]。

『Section.80』では、シンプルなジャズのビートとオルタナティブ・ラップのスタイルを融合し[326]、R&B、ブーン・バップ、サイケデリア、ダウンテンポのインストゥルメンタルが用いられた[327]。『Good Kid, M.A.A.D City』では、ウエスト・コースト・ヒップホップとギャングスタ・ラップの繊細な雰囲気の側面を探求し、流行していたヒップホップとは一線を画した[328][329]。『To Pimp a Butterfly』は、アフリカ系アメリカ人の音楽ジャンルとされる、特にジャズ、ファンク、ソウルの融合体である[330][331]。サンプリングを主とするのではなく、即興演奏やソロを強調することでジャズ・ラップを再定義した[332][333]。『DAMN.』や『Mr. Morale & the Big Steppers』にはミニマリズム的なアレンジが取り入れられている[334][335]。『Damn』はポップやR&Bの影響を受けた制作されメインストリームのリスナーにアピールした一方で[336]、『Mr. Morale & the Big Steppers』の散漫で歪んだインストゥルメンタルは、リスナーに不安や不快感を与えるように設計されていた[337]。『GNX』は、故郷ロサンゼルスへのオマージュであり、Gファンクやメキシコ音楽構成や影響が顕著に取り入れられている[338]。

フロウ・ラップスキル

複数のメディアが、彼を同世代で最も偉大かつ重要なラッパーであると考えている[339][340]。Billboard、Forbes、Vibe誌は、彼をジェイ・Zに次ぐ「史上2番目に偉大なラッパー」に選出した[341][342]。ニューヨーク・タイムズ紙によって「鮮烈な」テクニカル・ラッパーであり「絶え間なき探究者」と評された[315]。彼のフロウは非常に柔軟で器用で、既存の型にはまったリズムから、独創的で新しいリズムへと自在に切り替わる[343]。さらに、単語の途中で韻を踏んだり、長い音のまとまりで韻を重ねたりする高度な技法も多用している[要出典]。彼のラップは、基本的には4拍子のリズムの中で展開されるが、その中で音の強弱や配置を細かくコントロールし、ポップスやロックのような形がはっきりしない独特のリズム感を生み出している[要出典]。1990年代のニュースクール・ヒップホップを思わせる自由でしなやかなスタイルもあれば、1980年代のオールドスクールを彷彿とさせる厳格なスタイルを使うこともある[要出典]。メロディの中で頻繁にシンコペーションを使用し、歌詞の意味とリズムがあえて噛み合わないような緊張感を作り出している[要出典]。『Good Kid, M.A.A.D City』では、発音や抑揚、声の出し方を自在に変えながら、作品全体の感情の幅を表現している[344]。彼は幅広い表現が可能なテノールの歌唱音域を持っており[345][346]、喉が乾いているように聞こえる一方で、口の中は潤っているようにも感じられる、かすれて半ば叫ぶような独特の音色(ティンブル)が特徴である[347]。

アンドレ・3000は、ヒップホップにおける「歌う感覚」を彼に最初に教えたラッパーであり[348]、彼はアルバム制作の準備として、メロディを軸にした楽曲を書くことを習慣にしている[348]。彼は時間をかけて自分の歌声に自信を深め、やがて歌を中心に据えたアルバムを制作できるほどになった[349]。Pitchfork誌は、『To Pimp a Butterfly』における彼のハーモニーについて、その「荒涼とした」パフォーマンスにもかかわらず、彼が決して孤独に聞こえない点に注目し、声の重ね方を「口論が渦巻く大勢の群衆の中に、気づかれず立っているようだ」と表現している[350]。また、彼の声を楽器のように使うスタイルは高く評価されており[351]、異なる韻律(ケイデンス)、トーン、変調、音色を使い分けることで、相反する人格を暗示し、はっきりとした感情を描き出し、キャラクターやペルソナを通して物語を語っている[352][353]。彼自身が「ゲットー・ファルセット」と呼ぶ[19]ファルセットの音域は、カーティス・メイフィールドの歌唱と比較されてきた[354]。

MTVは、ケンドリック・ラマーが声を自在に操ることで、1960年代のジェームス・ブラウンによる基礎的な表現、1970年代のサイケデリックな感性、1980年代のプリンスが見せた「汗ばんだ」幻想的な世界観、そして1990年代のギャングスタ・ラップへと連なる音楽的系譜を呼び起こしていると述べている[355]。また2023年には、タイムズ紙によって「21世紀で10番目に優れたソロ・シンガー」に選出された[356]。

ソングライティング

ニューヨーカー誌から「ストーリーテリングの達人」と称され[357]、多くのメディアや同業者から、現代ヒップホップにおいて最も偉大な作詞家の一人と見なされている[358][359]。

ファレル・ウィリアムスは、彼のソングライティングが際立っている理由について、「主題に対して非常に規律正しく向き合い、粘り強さの重要性を理解し、それが本当に優れたものでなければならないと分かっているからだ」と語っている[360]。American Songwriter誌は、彼がミュージシャンであり、作詞家であり、MCであると同時に、「劇作家であり、小説家であり、短編作家でもある。彼は音楽という表現の中で文学を実践している存在だ」と評している[361]。彼の内省的で物語性の強いソングライティングは、ヒップホップのスキットやボイスオーバーなど、多様な文学的・映画的技法を取り入れており、聴き手が内面的・外面的な物語の流れを追えるようにしている[362]。さらに、さまざまな映画スタイルと自身の音楽的影響を融合させることで、彼の作品はヒップホップの中でも特に「一貫して鋭く心を突く」ものとなり、物語表現としてのヒップホップの発展を後押ししてきた[362]。自らをミュージシャンであり文筆家でもあると定義しており[363]、約1年にわたって書き溜めた思考の断片をもとに、ソングライティングを始める[364]。

個人的な体験を重要なインスピレーション源としているが、新しい人との出会い、旅、異なる文化の体験からも着想を得ている[364]。敬虔なキリスト教徒であるため、精神的な勝利や葛藤についても楽曲の中で率直に語っている[365][366]。また、熱心なメモ魔としても知られ、初期のデモ制作時に感じた「正確な感情」を呼び起こすためのキーワードやフレーズ、音を蓄積してきた[364]。Pitchfork誌からは「ラジオ向きでありながら、はっきりと政治的なラッパー」と評され[367]、ウォール・ストリート・ジャーナル紙からは「ポピュリスト(大衆主義者)」とも見なされている[368]。彼のソングライティングは、アフリカ系アメリカ人の文化をめぐる政治的批判や社会的コメントが継続的に盛り込まれている[369]。頻繁に扱われるテーマには、人種的不平等、制度的差別、ブラック・エンパワーメントが含まれる[370]。彼の社会批評は、ガーディアン紙によって一般教書演説になぞらえられ[371]、Billboard誌からは「シェイクスピア的」と表現された[372]。HuffPost誌は、彼の作品が「抑圧に直面する黒人コミュニティの立場から語り、その苦しみを生み出す制度を真正面から批判している」点で、ほとんどの記者が到達できない水準の「優れたジャーナリズム」であると評価している[373]。

彼自身、音楽の中に必ずコンセプトを込めようとしている。「それが大きなテーマであっても、20回聴くまで気づかないほど微妙なものであっても」と語っている[321]。ファンやメディアは、彼のアルバムがさまざまなマス・メディアの形式と結びついているという解釈を提示している[374]。『Section.80』は、ロナルド・レーガン大統領(1980年代~)の時代、ミレニアル世代に影響を与えた出来事を題材にした短編小説集として捉えられている[375][376]。『Good Kid, M.A.A.D City』は、故郷コンプトンでの過酷な10代の体験を描いた、非線形構成の成長物語としての短編映画のような作品として位置づけられている[377][378]。その映画的スケールは、スコセッシやタランティーノの脚本と比較されてきた[379][380]。『To Pimp a Butterfly』は、ロールモデルであることの責任を探り、バラク・オバマ政権下のアフリカ系アメリカ人の生活を記録する、詩であり宛先のない手紙として展開する[381][382]。『DAMN.』は、人間の本性や道徳における二面性を掘り下げた内省的な風刺作品とされている。『Mr. Morale & the Big Steppers』は、彼自身のセラピー体験に基づく告白的な歌詞を伴った、演劇的な構成の作品である[383][384]。

パブリック・イメージ

彼は公の場での露出を控える人物として知られており[385]、慎重で控えめな態度を貫いている。私生活について公に語ることを避け、ソーシャルメディアの利用も最小限にとどめている[386][387]。 一方で、マスメディアとの関わりを完全に拒むわけではなく、取材に応じる際には明確な基準を持って臨んでいる。ジャーナリストたちは、彼の「禅のように落ち着いた」態度や、飾らない人柄を高く評価している[388][389]。

彼自身は自分の姿勢について次のように語っている。「有名であることとは別の“自分自身”に深く向き合うようになって、時にはそれしか分からなくなることもある。もともと俺は、注目を浴びたい、必要とされたいと思って突き進むタイプじゃなかった。もちろん、誰だって注目されるのは好きだと思うけど、俺の場合、それを心から愛しているわけじゃない」[390]。

彼の歌詞は常にメディアの注目を集めており、高い評価を受ける一方で、論争の的になることも少なくない[391][392][393]。また、彼のパブリックイメージは、彼が関与してきた複数のラップ・ビーフによっても形づくられてきた[394][395]。特にドレイクとの大きく報じられたビーフでは、勝者とする記者もいたが[396]、一方で、持ち出された告発の深刻さや、オンライン上で拡散した誤情報の影響を理由に、「代償の大きすぎる勝利(ピュロスの勝利)」だったと見る声もあった[397][398]。

『Good Kid, M.A.A.D City』の発表以降、メディアは彼を「現代ヒップホップの救世主」と呼ぶようになった[399]。しかし一部の批評家は、彼の政治的メッセージが「耳障り」だと感じており[400]、その結果、彼がメサイアコンプレックスを持っていると受け取られることもある[401][402]。それでも彼は、自身を「現存する中で最も偉大なラッパー」だと公言しており、それは虚栄心などではなく、ヒップホップが自身の人生と深く結びついている、自分が最もヒップホップを体現しているという自覚からであるという[403]。DJのゼイン・ロウとのインタビューでは「いい曲を1曲作るためでも、いいラップやフック、ブリッジを作るためでもない。毎回、それをやり続けたいんだ。そのためには、自分自身に挑戦し続けなければならないし、誰かにじゃなく、自分自身に“自分が最高だ”と証明し続けなければならない。……それが俺の原動力であり、俺の飢えなんだ。これはずっと消えない」と話している[404]。

私生活

彼は高校時代からホイットニー・アルフォードと交際を始め、2015年4月に彼女との婚約を発表した[405][406]。2019年7月26日には、第一子となる娘が誕生[407][408]。その後、2022年のアルバム『Mr. Morale & the Big Steppers』のカバーアートを通じて、第二子となる息子の誕生を公表した[409][410]。

完全な禁酒家であり、[411]薬物を一切使用しないライフスタイルを送っている[412]。2012年10月の回想によれば、かつて一度だけマリファナを試した際、そのジョイントにフェンサイクリジン(PCP)が混入されていた経験があり、それ以来いかなる薬物も使用していない[411]。ドラマシリーズ『Power』に出演した際、彼は薬物中毒者の役を志願。Starzのインタビューにて、演じた「レイシス」という役について「ただのキャラクターだけど、よく知っている存在だ。コンプトンで育つ中で身近にいたタイプだからだ。奇妙な話だが、彼らに対してある種の愛情を抱くようになる。彼らに何か起きてほしくないと願う一方で、危険な存在であることも分かっているんだ」と語っている[413]。

また、彼は熱狂的なスポーツファンであり、MLBのロサンゼルス・ドジャース、[414]NBAのロサンゼルス・レイカーズ、[415]NFLのロサンゼルス・ラムズを応援している[416]。2024年には、アルバム『GNX』にて、チームカラーが街の文化に与える影響に言及した楽曲「Dodger Blue」をリリースした[417][418]。

近年は従兄弟のベイビー・キーム(アーセナルファン)の影響もあってかサッカーへの興味も膨らましており、キームと共作の「the hillbillies」ではリリックにメッシやネイマールが登場する[419][420]。GNX北中米ツアーの合間にチリで開催されたFIFA U20ワールドカップに姿を現し、U-20アルゼンチンVSU-20ナイジェリアの決勝トーナメント1回戦を観戦しているところが目撃されて話題を呼んだ[420]。

ビジネス

ビジネスとプロモーション戦略

彼は運任せにせず「自らのブランドをゼロから構築するために計算されたステップを踏む」、「オーセンティック(本物志向)」なビジネスマンであると評されている[421]。彼は伝統的なアルバムのプロモーション活動(ロールアウト)に対して、イースターエッグ(隠し要素)や不可解なメッセージを用いるといった変則的な手法でアプローチする[422]。スタジオアルバムをリリースする前には、シリーズ作であるプロモーションシングル「The Heart」を共有するのが恒例となっており、これは「自身の音楽の背後にある鼓動を観察する」ために設計されたタイムスタンプ(その時々の記録)的な楽曲群である[423]。アルバム未収録のシングルで探求されるこれら脆弱で繊細なテーマは、「Kenfolk(ケンフォーク)」として知られる彼の探究心旺盛なファン層との絆を強めてきた[421][422][423]。彼の不動産ポートフォリオには、カリフォルニア州やニューヨーク州の物件が含まれている[424]。2011年には、レコードプロデューサーのノサッジ・シングと共に、マイクロソフトのWindows Phoneを宣伝するためのオリジナル曲を制作した[425]。また2014年には、バカルディのマーケティングキャンペーンにて、DJのカルヴィン・ハリスや歌手のエリー・ゴールディングと共演した[426]。

TDE(トップ・ドッグ・エンターテインメント)の少数株主として、同レーベルの映画部門のエグゼクティブ・プロデューサーを務める予定であった[427]。彼はアメリカン・エキスプレスと提携し、アート・バーゼルやスモール・ビジネス・サタデー(中小企業振興の日)の広告キャンペーンを展開したほか[428]、音楽制作プラットフォーム「EngineEars」のエンジェル投資家でもある[429]。また、彼は複数のファッションデザイナーやショップとも提携している。ブランドアンバサダーとして、リーボックやナイキのスニーカーデザインに携わった[430][431]。グレース・ウェールズ・ボナーやマーティン・ローズとは協力関係を築いており、彼女たちはそれぞれの冠ブランドを通じて、数々の公の場で彼の衣装を手掛けている[432]。ウェールズ・ボナーの2023年秋冬コレクション「Twilight Reverie」では、サンファやデュヴァル・ティモシーと共にショーのサウンドトラックを制作した[433][434][435]。さらにpgLang(後述)を通じて、シャネルの2024年春夏オートクチュール・コレクションの音楽を作曲し、ステージを共同デザインした[436]。第68回グラミー賞ではシャネルへ特注したブランド初のタキシードスーツで登場しpgLangのスタイルディレクターを務めるカリッツァ・サンチェスはVogue誌に対して「アイデアはいつもケンドリック主導です。彼が求める“感覚”から始まることもあれば、参考画像や特定のアイテムを送ってくることもあります。グラミーでは、彼はかなり早い段階で“タキシードを着たい”と決めていました。しかも『今までで一番美しいタキシードだ』と」と話している[437]。

慈善活動とアクティビズム

ホワイトハウス独立記念日の祝賀会に出席したケンドリック・ラマー(左)、バラク・オバマ大統領(中央)、歌手のジャネール・モネイ(右)(2016年)

ブラック・ライヴズ・マター運動を支持していおり、人種平等に熱心である[438]。2012年には、フランク・オーシャンがカミングアウトしたことを称賛した[439]。また、バラク・オバマ元米大統領と強い友情を築いており、「マイ・ブラザーズ・キーパー(My Brother's Keeper)」イニシアチブのプロモーションビデオ制作にも協力した[440][441]。一方で、ドナルド・トランプの第1期政権や、ロー対ウェイド事件を覆した米連邦最高裁判所の画期的な判決に対しては批判的な姿勢を示している[442][443]。

国内外の非営利団体を支援するチャリティ・コンサートでヘッドライナーを務めてきた[444][445]。2012年11月には、ハリケーン・サンディの被災者を支援するためアメリカ赤十字社に寄付を行った[446]。2013年12月には、母校であるセンテニアル高校の音楽部門を支援するために5万ドルを寄付した[447]。2014年には小規模なコンサートツアーを敢行し、その収益のすべてを「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」および自身の故郷に寄付した[448]。2017年7月、四肢麻痺を持つファンのために、車椅子対応のバンを購入している[449][450]。また、ニッカーソン・ガーデンズで毎年開催されるTDEのクリスマス恒例のおもちゃ配布イベント(トイ・ド・ライブ)に定期的に出演しているほか[451][452]、コンプトン自らでもトイ・ド・ライブを主催している[453]。2020年6月には、ジョージ・フロイドの殺害やブリオナ・テイラーへの銃撃事件に抗議するピースウォークに参加している[454][455]。2024年6月、ロサンゼルスを拠点とする20の慈善団体やコミュニティ活動に対し、総額20万ドルの寄付を主導している[456]。

pgLang

2020年3月5日、デイブ・フリー共に、「pgLang」と名付けた多言語のアーティスト・フレンドリー・サービスを立ち上げると発表。レコード・レーベル、映画スタジオ、出版社が組み合わさった事業を行う[457]。プレスリリースで、デイブ・フリーは「レコードレーベル、映画スタジオ、出版社ではない。これは新しいことだ。この過大な刺激を受けた時代に、私たちは生の表現を育むことに焦点を当てている」とコメント。この発表では、ラマー、ベイビー・キーム、ジョルジャ・スミス、ヤラ・シャヒディが主演する4分間の短編動画も同時に公開した。 2022年3月9日、pgLangはロサンゼルス出身のアーティスト、タンナ・レオーネとのパートナーシップを発表[458]。

実績

ライブでのケンドリック・ラマー(2016年)

彼はキャリアを通じて、グラミー賞を27回受賞しており、これはラッパーとして史上最多である[459][460][461]。そのほか、プライムタイム・エミー賞を2回[462]、アメリカン・ミュージック・アワードを5回[463]、BETヒップホップ・アワードを37回(全アーティスト中最多)[464]、MTVビデオ・ミュージック・アワードを11回(年間最優秀ビデオ賞2回を含む)[465]、ビルボード・ミュージック・アワードを7回[466]、ブリット・アワードを1回を受賞している[467]。ソングライターとしては、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞にもノミネートされている[468][469]。

第58回グラミー賞では、1夜で11部門にノミネートされ、ラッパーとして史上最多のノミネーション記録を打ち立てた[470][471]。さらに第65回グラミー賞では、ビリー・ジョエル(1979〜1983年)以来となる、4作連続のスタジオ・アルバムがアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた初のアーティストとなった[472]。

彼はさまざまな「影響力ランキング」にも名を連ねている。2015年には、アフリカ系アメリカ人コミュニティの指導者を称えるEbony誌の「Power 100」に選出され[473]、2016年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた[474]。

Forbes誌の「セレブリティ100」(2019年)にもランクインし[475]、「30アンダー30」の音楽部門には2014年と2018年の2度選出されている[476][477]。

Billboard誌は、2015年と2023年の2度にわたり、ケンドリック・ラマーを「史上最高のラッパー」の一人としてリストに含めた[478][479]。Complex誌は、2013年、2017年、2024年の3度にわたり彼を「存命中で最高のラッパー」と評価し[480][481]、さらに20代のベスト・ラッパー20人のリストにも3度選出している[482]。

2015年5月には、音楽および慈善活動への貢献から、カリフォルニア州上院に「世代を象徴するアイコン」として認定された[483]。故郷コンプトンのクリスマス・パレードでグランド・マーシャルを務め[484]、街の進化を体現したとして、市の象徴である「市の鍵」を授与された[485]。2024年6月7日には、コンプトン・カレッジの卒業式でサプライズの基調講演者を務めている[486]。また、彼は『Harper’s Bazaar』の表紙を単独で飾った5人目の男性でもある[487]。

『Good Kid, M.A.A.D City』『To Pimp a Butterfly』『Damn』の3作はいずれも、Rolling Stone誌による業界関係者投票の「史上最高のアルバム500選」および「史上最高のヒップホップ・アルバム200選」に選出された[488][489]。『Good Kid, M.A.A.D City』はさらに「史上最高のデビュー・アルバム100選」にも選ばれ、史上最高のコンセプト・アルバムと評された[490][491]。2024年にはApple Musicによって、史上7番目に偉大なアルバムに選ばれている[492]。

『To Pimp a Butterfly』は、2010年代を代表する最高傑作アルバムの一つとして複数のメディアに評価され[493]、楽曲「Alright」はSpotifyによってストリーミング時代における最高のヒップホップ楽曲と認定された[494]。2023年2月時点で、『To Pimp a Butterfly』は音楽データベースRate Your Musicにおいて、史上最高評価のアルバムとなっている[495]。

『Damn』は2018年のピューリッツァー賞音楽部門を受賞しており、これはクラシックやジャズ以外のジャンルの作品が同賞を受けた初の事例である[496][497]。『Mr. Morale & the Big Steppers』ツアー『Big Steppers Tour』(2022〜2024年)は、史上最高収益を記録したヒップホップ・ツアーの一つに数えられている[498]。

レガシー

Insider Inc.およびCNNの編集者は、彼を2010年代で最も影響力のある音楽家の一人と位置づけ、現代ヒップホップおよびポップカルチャーにおけるパラダイムシフトの存在だと評している[499][500]。ブラック・ライブズ・マター運動や、2016年の米大統領選挙後の社会情勢の中で、「Alright」は抗議運動のアンセムとして用いられてきた[501]。アメリカ研究およびメディア研究者のウィリアム・ホインズによれば、ラマーの進歩的な要素は、白人主導のメディアや文化によって再生産される人種的ステレオタイプに対抗するため、主流の内外で活動してきた他のアフリカ系アメリカ人アーティストや活動家と並ぶ存在であるという[502]。Esquire誌のマット・ミラーは2017年に、ケンドリック・ラマーが社会批評としての音楽ビデオ表現を復活させたと論じている[503]。

彼の音楽は商業的成功を収め続ける一方で、批評家からの高い評価や、先達アーティストからの支持も一貫して受けてきた[504][505]。彼のピューリッツァー賞受賞は、アメリカの文化的エリート層がヒップホップを正統な芸術表現として正式に認めた象徴的出来事と見なされている[506]。ナズ[507]、ブルース・スプリングスティーン[508]、エミネム[509]、ドクター・ドレー[510]、プリンス[511]、マドンナ[512]といった重鎮アーティストたちは、ケンドリック・ラマーの音楽性を称賛している。デヴィッド・ボウイの遺作『Blackstar』(2016年)は『To Pimp a Butterfly』から影響を受けており、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは彼を音楽業界の「ルールブレイカー」と評した[513][514]。ファレル・ウィリアムスは、彼を「この時代で最も偉大な書き手の一人」と呼び、ボブ・ディランになぞらえている[515]。さらに、デュア・リパ[516]、タイラー・ザ・クリエイター[517]、ロディ・リッチ[518]、ロザリア[519]BTS[520]など、多くの現代アーティストが彼からの影響を公言している[521]。ロードは、彼を「現代音楽において最も人気があり、最も影響力のあるアーティスト」と評価している[522]。

2025年秋学期からは、テンプル大学において、ケンドリック・ラマーの人生、文化的影響、そしてレガシーを扱う講義が開講された[523][524]。

ディスコグラフィ

アルバム

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年 タイトル アルバム詳細 チャート最高位 認定
US
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FRA
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IRE
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NZ
[531]
SWI
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UK
[533]
2011 Section.80 113————————
2012 『グッド・キッド、マッド・シティー』
- Good Kid, M.A.A.D City
223462572673816
2015 『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』
- To Pimp a Butterfly
  • 発売日: 2015年3月16日
  • レーベル: Top Dawg, Aftermath, Interscope
  • フォーマット: CD, LP, digital download
1141176131
2017 『ダム』
- DAMN.
  • 発売日: 2017年4月14日[540]
  • レーベル: Top Dawg, Aftermath, Interscope
  • フォーマット: CD, LP, digital download
122132232
2022 『ミスター・モラル・アンド・ザ・ビッグ・ステッパーズ』
- Mr. Morale & the Big Steppers
  • 発売日: 2022年5月13日
  • レーベル: PGLang, Top Dawg, Aftermath, Interscope
  • フォーマット: CD, LP, digital download
111131122
2024 GNX
  • 発売日: 2024年11月22日
  • レーベル: PGLang、Interscope
  • フォーマット: CD、LP、カセット、デジタルダウンロード、ストリーミング
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コンピレーション

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年 タイトル アルバム詳細 チャート最高位 認定
US
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CAN
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FRA
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NZ
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SWI
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UK
[533]
2016 『アンタイトルド・アンマスタード』
- untitled unmastered.
  • 発売日: 2016年3月4日[541]
  • レーベル: Top Dawg, Aftermath, Interscope
  • フォーマット: CD, digital download
13111559597
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ミックステープ

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Title アルバム詳細 チャート最高位 認定
US

R&B/HH

US

Heat.

Y.H.N.I.C. (Hub City Threat: Minorof the Year)(as K-Dot)
  • 発売日: 2003 (US)
  • レーベル: Konkrete Jungle
  • フォーマット: CD
— —
Training Day(as K-Dot)
  • 発売日: 2005年6月1日 (US)
  • レーベル: Top Dawg
  • フォーマット: Digital download
— —
No Sleep 'Til NYC(as K-Dot, with Jay Rock)
  • 発売日: 2007年12月24日 (US)
  • レーベル: Top Dawg
  • フォーマット: Digital download
— —
C4(as K-Dot)
  • 発売日: 2009年1月30日 (US)
  • レーベル: Top Dawg, Intergroove
  • フォーマット: Digital download
— —
Overly Dedicated
  • 発売日: 2010年9月14日(US)
  • レーベル: Top Dawg
  • フォーマット: Digital download
72 46
                  "—"は未発売またはチャート圏外を意味する。
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サウンドトラック

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タイトル アルバム詳細 チャート最高位 認定
US US

R&B/ HH

AUS BEL (FL) CAN FRA NZ SWE SWI UK
『ブラックパンサー・ザ・アルバム』
- Black Panther: The Album
  • 発売日: 2018年2月9日
  • レーベル: Top Dawg, Aftermath, Interscope
  • フォーマット: CD, LP, digital download
1 1 2 8 1 93 2 1 7 —
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ツアー

ヘッドライナー

  • Section.80 Tour (2011)
  • good kid, m.A.A.d city World Tour (2013)
  • Kunta Groove Sessions Tour (2015)
  • The Damn Tour (2017-2018)
  • The Championship Tour (2018)
  • The Big Steppers Tour (2022–2024)
  • Grand National Tour (with SZA) (2025)

サポートメンバー

  • The Yeezus Tour (with Kanye West) (2013–14)

来日歴

関連項目

参考文献

  • 原雅明「Introduction ケンドリック・ラマーとディアンジェロが刷新したジャズとブラック・ミュージックの関係性」『Jazz The New Chapter 3』柳樂光隆編 シンコーミュージック 2015年 ISBN 978-4401642113
  • ソーレン・ベイカー『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』塚田桂子訳・解説 DU BOOKS 2019年9月 ISBN 978-4866471020

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks