Macintosh LCシリーズ

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Apple Macintosh LC IIに、Macintosh 12 インチ RGBディスプレイ、キーボード、マウスを組み合わせた正面写真

Macintosh LCシリーズは、1990年から1997年にかけてAppleによって設計・製造・販売されたパーソナルコンピュータの製品群である。

Macintosh IIsiMacintosh Classicとともに、より低価格のMacintoshとして市場投入されたMacintosh LCは、Macintosh IIと同等の性能を半額で提供した[1]。Appleの目標の1つは、教育市場で非常に成功していたApple IIGSと同じ価格帯で教育委員会向けに販売できる機種を作ることだった[2]。LC向けにApple IIe カードが導入された直後、Appleは公式にIIGSの製造終了を発表した。同社は販売・マーケティングの取り組みをLCに集中させるためであった[3]

初代Macintosh LCは1990年10月に発売され、その後1992年にLC II、1993年初頭にLC IIIが登場した。これら初期モデルはすべてピザボックス型の筐体デザインを共有しており、1993年半ばには一体型デスクトップ機であるMacintosh LC 500 シリーズが加わった。最終的に Appleは12種類のLCモデルを製造し、その最後の機種であるPower Macintosh 5300 LCは1997年初頭まで販売されていた。

市場

LCシリーズ (LC、II、III、475、Quadra 605) の前面

Appleの共同創業者スティーブ・ジョブズが1985 年に同社を去った後、製品開発はAppleフランスのマネージャーを務めていたジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassée)に引き継がれた。ガセーはAppleの製品ラインを一貫して次の2つの方向へ押し進めた。すなわち、拡張性や相互運用性の面でより「オープン」にすること、そしてより高価格帯へと向かわせることであった。

ガセーは、薄利のローエンド市場に向けてコンピュータを販売すべきではなく、むしろハイエンド市場と高い利益率に集中すべきだと長年主張していた。この考えを示すために彼は、性能が低く安価なコンピュータを左下、高性能・高価格のコンピュータを右上に配置した価格性能比のグラフを用いて説明した。上層経営陣の間では、この「右上(high-right)」を目指す方針が合言葉となり、「55 か死か(fifty-five or die)」という表現が使われるようになった。これはガセーが目標とした55%の利益率を指していた。

ガセーは長い間、Appleは自社のコンピュータを市場のローエンド向けに売り込むべきではなく、利益が大きいハイエンド向けに集中すべきだと主張してきた。彼は、左下に低電力、低コストのマシン、右上に高電力、高コストのマシンを備えたコンピュータの価格/性能比を示すグラフを使用して、概念を説明した。「極端な右側」の目標は、ガッセの 55% の利益率の目標に言及して、「55か死ぬか」と言った上層部のマントラとなった[4]

この方針により、Appleは次々とますます高価なコンピュータを生み出すことになった。社内では強い反対意見があったにもかかわらず、クラリスのチームが「Drama」というローエンドMacのプロジェクトを開始すると、ガセーはこれを積極的に潰した。一方その頃、Apple社内の別の場所では、H.L. チャン(H.L. Cheung)とポール・ベイカー(Paul Baker)の2人のエンジニアが、秘密裏に独自プロジェクトに取り組んでいた。彼らはそのカラーMacintosh の試作機を「Spin」と呼んでいた。この構想は、チャンがかつてApple IIの設計責任者として働いていた経験を踏まえ、Apple II の流れを汲む低価格システムを作り出そうというものだった。このマシンは、実質的にはビデオ内蔵でサイズを大幅に縮小したMacintosh IIに相当し、NuBus拡張スロットを持たず、前年に登場したApple IIGSと似たデザインの RGBモニターが付属する予定だった。開発の過程でプロジェクトは方向転換し、当時同時に開発されていたMacintosh IIciと同等のビデオ性能と処理能力を持つべきだと経営陣から指示が出された。1989年初頭にこの試作機はAppleの経営陣に披露された。経営陣はプロジェクト自体は気に入ったものの、既存モデルとの差別化が不十分であると判断し、引き続き開発する理由にはならないとして、プロジェクトは中止された[5]

同じ頃、AppleのCEOであったジョン・スカリーは、安価なMacintoshが存在しないことが主な理由とされた販売不振について世間から厳しい批判を受けていた。報道機関や投資家に対し「低価格の新しいMacintoshが登場する」と約束する中で、スカリーは最も低価格で実現可能なMacintoshを作るという目標のもと、「Spin」プロジェクトを復活させた。

ガセーはプロジェクトに対し「カラー表示機能を残すように」と強く主張し、その後この製品は社内で新たなコードネーム「Elsie」と呼ばれるようになった。これは後に販売される「LC」(= low-cost color)の同音語にちなんだものであった。当時のElsieの試作機は、キーボード一体型のApple IIcに似た外観をしており、800KBフロッピードライブを1基のみ搭載し、ハードディスクはなかった。しかしチームは重大な問題に直面していた――確かに安価ではあったものの、特にMC68000 CPUは許容できるパフォーマンスでカラー画面を表示するには性能が不足し、優れたコンピュータではなかったことだった[5]

1989年4月までに、このプロジェクトを3つの機種に分割することが決定された。より強力なMC68030 CPUを搭載するMacintosh IIsi、白黒ディスプレイを使用するMacintosh Classicと、Macintosh IIのMC68020 CPUを使用するMacintosh LCとなった。

LCシリーズ (LC、II、III、475、Quadra 605) の背面

価格を抑えるために、Appleは性能や機能の一部を削り、部品をより安価に再設計した。例えばIIsiとClassicに搭載されていた外付けフロッピーディスクドライブ用端子は、コネクタ分の数ドルを節約するためにLCでは省かれた。また、この時点で一体型キーボード案も廃止され、新たに設計された Apple Keyboard IIが採用された[5]

Macintosh LCは、 Macintosh Classic (古いMacintosh Plusの再パッケージ化) およびMacintosh IIsi ( Macintosh II シリーズの新しいエントリーレベルのマシン) とともに市場に導入された。廉価なカラー Macに対する根強い需要により、LCは売れ行きが好調で、1992年には後継としてMacintosh LC IIが登場した。更新されたマシンは、CPUのMC68020MC68030に置き換え、ハンダ付けされたメモリを4MBに増やし、漢字Talk 7により適したものにした。ただし、初代LCと同じ16 ビットシステムバスと 10 MB RAM 制限 (4 MB SIMMを2枚増設すると2 MB分のRAM にはアクセスできない)により、パフォーマンスは、初代LCとほぼ同じであった。LC IIの MC68030の主な利点は、漢字Talk 7の仮想メモリ機能を使用できることだけであった。それにも関わらず、LC IIはLCよりも売れ行きが良かった[要出典]

Computer Gaming Worldは 1990 年にLCが高すぎると批判し、消費者はカラーモニタ付きの3,000ドルのLC よりもVGAグラフィックス付きの2,000ドルのIBM PS/1を好むだろうと述べた[6]。当初はMacintosh Classicの方が人気があり、1992年5月までにLC (56万台販売) がClassic (120万台販売) を上回っていた。 出荷されたLCの半分以上が家庭や学校で使用された。 Appleは、学校のLCの約半分でIIeカードが使用され、安価なPC クローンに奪われた教育市場シェアを取り戻すのに役立ったと主張した。

1993年初頭、Apple はLC IIIを発売した。 MC68030の 25MHzバージョンであり、それまでの10MBから36MBまで最大メモリ容量は拡張された。米国では、LC IIIをベースに一連のLCシリーズが生み出された。そのほとんどは後に、LC の名前で教育界と従来のAppleディーラーを介した消費者に販売され、 Performaとして電器店やデパート(シアーズなど)で消費者市場に販売された。 (たとえば、 LC 475Performa 475としても知られた。 ) 最後の正式な「LC」は、1995年8月にリリースされ、1996年4月に廃止されたPower Macintosh 5300/100 LCだった。 LC 580は、680x0ベースの最後のデスクトップMacintoshとして注目された。

オールインワン市場への展開

LC IIの側面
LC IIの背面

1993年半ば、Apple はMacintosh LC 520を発表した。これは、コンパクトMacintoshによって普及した従来のオールインワン・フォームファクタと、LC IIIのテクノロジ プラットフォームを組み合わせたものであった。内蔵の14インチ CRTディスプレイCD-ROMドライブ、およびステレオスピーカを備え、Appleの教育市場向けMacintoshで主流となった。ケースは導入された Macintosh Color Classicと似ているが、画面が大きく、中央部が膨らんで大きな電子機器を内蔵するため、かなり大きくて重い。

次の2年間で、520、550、575、および580の4つのLC 500シリーズのモデルがリリースされた。520550は両方ともMC68030の異なる速度を使用し、575と580は33MHzのMC68LC040プロセッサ以外はハードウェアが異なる。これらのコンピュータはすべて、同様のモデル番号でMacintosh Performaブランドのデパートを通じて消費者市場にも販売された。特にLCモデルは、設置面積が小さく、ケーブルが乱雑にならず、耐久性があるため、学校で非常に人気があった。 Appleは、また、LC 520をベースとしたMacintosh TVを米国でリリースした。これはLCとしてブランド化されていかったが、LC 520のケースの黒色バージョン、LC 550に似たロジックボード、および TVチューナーカードを搭載した。コンパクトなColor Classic シリーズは、初期のLC 500シリーズと多くのコンポーネントを共有し、ロジックボードを交換することができる。

Power Macintosh 5200 LCはLC 500シリーズのPowerPCベースの代替品として、米国で1995年4月に発売され、CPUはPowerPC 603 75MHzだった。同年8月には、 Power Macintosh 5300 LCがリリースされた。これは、同じロジックボードのデザインを維持しながら、より強力なPowerPC 603eと、Macintosh TVと同様のデザインと機能を備えた「ディレクターズ エディション」とされていた。モデル番号の先頭に「LC」を付けた以前の教育モデルとは異なり、5200/5300モデルは、当時のAppleの主要上位機種のPower Macintoshを使用し、末尾に「LC」を付加した。

Power Macintosh 5300 LC は「LC」としてブランド化された最後のモデルで、1997年初頭まで販売された。これに代わるものはPower Macintosh 5500で、教育に特化したモデルを構築する慣行を続けたが、専用ブランドにはしなかった (英国のみのPower Macintosh ONE/225を除く)。Appleは、2002年のeMacまで、教育市場向けブランド名を持つモデルのMacintoshを製造していない。

モデル

参考文献

外部リンク

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