P-12 (レーダー)
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1954年から1956年にかけて開発されたP-10(ナイフ・レストB/C)早期警戒レーダーを改良したもので、1956年から実用配備が開始された[1]。設計を担当したのは、ニジニ・ノヴゴロド無線工学研究所の前身であるSKB設計局(第197設計局)で、主任設計者はE・V・ブクヴァロフ(Е. В. Буквалов)であった[1][2]。
なお、本レーダーから発展した機種として、P-18(スプーン・レストD)早期警戒レーダーが存在する[3]。
設計
S-75(SA-2)地対空ミサイルと併用する移動式の早期警戒用レーダーであり、支柱の先端に12基の八木アンテナを上下二列に6基づつ搭載した形態で、これが機械的に回転し航空目標を捜索する[1][4][5]。
初期型のP-12では2台のZIL製トラックに搭載されており、1台に発電機、もう1台にアンテナと電子機器が搭載されていたが、後期型のP-12NPでは対レーダー攻撃に備えてレーダーアンテナが別のトレーラーに搭載され、他の機材から離れて設置できるようになった[1][6]。
P-10と比べると、アンテナ数が3倍に増えている[1]。また、周波数帯域が拡大し、あらかじめ設定した4つの周波数を自動的に選択でき、微調整も可能となるなど運用の柔軟性が増えたほか、探知距離や精度が向上、さらに敵の電子戦に対する抗堪性も向上している[1][4]。探知距離は最大200ないし250キロメートルで、探知高度は最大25キロメートルであった[1][2]。運用時は、NRS-12(スコア・ボード)敵味方識別装置と併用されることが多かった[1]。
海軍型も開発され、スヴェルドロフ級巡洋艦の一部に搭載されている[7]。
サブタイプ
- P-12MP
- 1962年に登場した改良型[1]。信頼性が向上し、サイドローブ放射が低減したほか、センチ波帯を使用する捜索レーダーと連携することが可能となった[1]。1970年には対レーダーミサイルからの生存性を高めるためにフリッカー装置が装備された[1]。
- P-12NP
- ソ連におけるP-12シリーズの最終型[1]。NATOコードネームは「スプーン・レストB」[8]。P-12MPと比べ、より低い帯域の周波数を使用する[8]。また探知距離と信頼性が向上し、さらに制御室をアンテナから最大500メートルまで離して設置できるようになり、レーダーが攻撃を受けた場合における操作要員の生存性を高めた[1][6]。
- P-12NA
- P-12NPを異なるシャーシに搭載したモデル[1]。
運用

P-12は、ベトナム戦争や中東戦争などで実戦に投入された[6]。
P-12に関する著名な逸話としては、1969年にイスラエル軍が実施したエジプト軍のラスガリブ・レーダー基地への襲撃・奪取作戦(ルースター53作戦)がある[6][9]。また、1999年にユーゴスラビア軍がアメリカ軍のF-117ステルス攻撃機を地対空ミサイルにより撃墜した事件で使用されたのがP-12だとする資料があるが、これに関しては異説もある[10][11]。
ルースター53作戦
消耗戦争中の1969年12月26日に実行された作戦で、エジプト軍がソ連から入手・配備していた高性能なP-12を奪取することを目的としていた[9]。作戦は夜間に実施され、3機のシュペル・フルロン輸送ヘリコプターに乗った空挺部隊1個中隊がスエズ湾を超えてエジプト領内のレーダー基地を襲撃・制圧し、設置されていたP-12を分解したうえで、CH-53輸送ヘリコプターでイスラエルまで回収することに成功した[9]。この成功によりイスラエル軍ではP-12への対抗手法が開発されたほか、アメリカにも情報が提供されたとされる[9]。
1999年F-117撃墜事件
コソボ紛争中の1999年3月27日に発生した事件で、ユーゴスラビア防空軍の第250地対空ミサイル旅団が、改造したP-12レーダーによりアメリカ軍のF-117ステルス攻撃機を探知し、S-125(SA-3)地対空ミサイルにより撃墜に成功したとする資料がある[10]。ただしこの件については、P-12は同部隊に装備されていたものの、撃墜の際に使用されたのはP-18早期警戒レーダーおよびSNR-125射撃管制レーダーだとする資料もある[11]。

