Prisencolinensinainciusol
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 「Prisencolinensinainciusol」 | |
|---|---|
| アドリアーノ・チェレンターノの楽曲 | |
| 初出アルバム『Nostalrock』 | |
| ジャンル | |
| 時間 | 3:54 |
| レーベル |
|
| 作詞・作曲 | アドリアーノ・チェレンターノ |
| 作曲 | アドリアーノ・チェレンターノ |
| 言語 | ジブリッシュ(アメリカ英語をヒントとする) |
|
シンガーとしてチェレンターノの妻クラウディア・モーリが参加
| |
| 音楽・音声外部リンク | |
|---|---|
| チェレンターノによる "Prisencolinensinainciusol" の音源サンプル。英語のように聞こえるが実際は意味不明であるように意図的に作詞されている。 | |
|
|
"Prisencolinensinainciusol"(シングル盤のカバーでは "PRİSENCÓLİNENSİNÁİNCIÚSOL"と表記)はイタリアの歌手アドリアーノ・チェレンターノが作曲し、自身と妻のクラウディア・モーリで歌った楽曲である。1972年にシングルとして発売された。タイトルも歌詞も意味をなさないでたらめな言葉であるが、英語を解さない人々にとってアメリカ英語がどう聞こえるか表現することを意図していた。この曲はヨーロッパの複数の国でチャートインした。
1960年代までのチェレンターノはイタリアで最も人気のあるロックミュージシャンのひとりとなっていたが、それはおおむね1960年のサンレモ音楽祭出演とそれに続く楽曲 "24.000 baci" の成功のおかげであった[1]。マルティナ・タンガによると、チェレンターノのアーティストとしてのペルソナは「うるさい歌詞と洗練されていない身体の動き」に特徴があり、これはチェレンターノが当時の他の歌手と異なっているポイントであった[2]。パオロ・プラトはチェレンターノのスタイルを「少々エルヴィス・プレスリー、少々ジェリー・ルイス、少々フォークシンガー[3]」と述べている。"Prisencolinensinainciusol" は1972年にリリースされ、1970年代の間にわたって人気を博し続けた[2]。
楽曲
スタイル
"Prisencolinensinainciusol" はユーロポップ、ハウス、ディスコ、ヒップホップ、ファンクなどを含むさまざまな音楽ジャンルの曲として記述されている[4][5]。しかしながらチェレンターノはこの曲を書いた時にこうしたスタイルのことは念頭に置いていなかった[5]。"Prisencolinensinainciusol" を4種類のドラムビートのループにあわせてレコーディングスタジオで即興で作詞しながら作った[5]。この曲はドラムとベースギターの変ホのグルーヴとホーンセクションのリフが特徴である[6]。チェレンターノはこの曲で自分がラップを発明したと主張している[7]。チェレンターノの妻であるクラウディア・モーリがシンガーとして参加している[8]。
歌詞

この楽曲はあたかもアメリカ訛りの英語で歌われているかのように聞こえるよう作られているが、歌詞は意味不明なジブリッシュである[9][10]。アンドルー・カーンは後に『ガーディアン』で、1980年代のボブ・ディランを思わせるようなサウンドだと評している[10]。
チェレンターノは以下のように述べており、その意図はユーモラスなコミックソングを作ることではなく、コミュニケーションの障壁について探求することであった。英語を解さない人々にとって英語がどのように聞こえるかを示すつもりであった。
発売
オリジナル版は1972年11月3日にシングル盤としてリリースされた[11]。翌年にはチェレンターノのアルバム Nostalrock にも収録された[12]。2008年のダンスコンピレーション・アルバムPoplife Presents: Poplife Sucks にも再収録された[13]。チェレンターノは後にこの曲をイタリア語の歌詞をつけて歌っており、このバージョンはヒップホップのパロディ "Il Seme del Rap" として1994年のアルバム Quel Punto に収録された[14][15]。2016年にチェレンターノはもとの歌詞のままの新バージョンをレコーディングしたが、この版にはベニー・ベナッシの音楽とミーナのヴォーカルも使用された[15]。
メディアでの使用
チェレンターノはイタリアのテレビでこの曲を何度か披露している。バラエティ番組 Milleluci でラファエラ・カッラとこの曲にあわせて踊った他、ロレッタ・ゴッジが司会をつとめる Formula Due のコントで教師に扮してこの曲を披露している[15][16]。こうしたテレビのクリップが2000年代末からYouTubeでシェアされるようになり、インターネットミームになった[17]。2009年に Boing Boingにこの曲のことが投稿された[18]。この後、イタリアのメディアでも再注目されるようになった[19]。2012年にNPRの All Things Considered でもとりあげられ、チェレンターノがインタビューを受けた[5]。
2017年にチェレンターノのバージョンがFXのテレビシリーズ『ファーゴ』第3シーズン第1話で使われた[20]。
2018年にこの曲はFXのテレビシリーズ『トラスト』の第2話 "Lone Star" で使用された[21]。この曲はラッシュ・リンボーのラジオ番組で定例的な穴埋めの音楽として使用されており、これはランボーがこの番組とおぼしきテレビ番組でこの曲を知ったためである[22][21]。
2023年にこの曲はApple TV+ のシリーズ『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』第3シリーズ第3話で、AFCリッチモンドが直近で獲得した選手であるザヴァをめぐるサッカーの試合のモンタージュで使用された[23]。
2025年にこの曲のアヤナ・リーによるカバー版がスパイク・リー監督の『天国と地獄 Highest 2 Lowest』で最後のクレジットに使用された[24][25]。同じく2025年にこの曲はビール会社であるアンジェロ・ポレッティの「湖へようこそ」広告キャンペーンで使用された[26][27]。さらに同年、イージージェットの広告でも使用された[27]。
トラック
- 7インチシングル – BF 70026[28]
- "Prisencolinensinainciusol"(アドリアーノ・チェレンターノ) – 3:54
- "Disc Jockey"(ルチアーノ・ベレッタ、アドリアーノ・チェレンターノ、ミキ・デル・プレテ)– 4:54
チャート
| チャート (1973–1974) | 最高位 |
|---|---|
| ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[29] | 4 |
| ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[30] | 2 |
| イタリア (Musica e dischi)[31] | 5 |
| オランダ (Dutch Top 40)[32] | 6 |
| オランダ (Single Top 100)[33] | 5 |
| 西ドイツ (GfK Entertainment charts)[34] | 46 |
売り上げ
| 地域 | 売り上げ |
|---|---|
| イタリア | 260,000[35] |