いたち川 (富山市)
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流域の自治体
- 富山県
- 富山市
主な支流
主な分流
歴史
1571年(元亀2年)3月上旬、上杉輝虎が越中出島において、当時椎名らの拠点であった富山城を攻略する際、「越中ノ敵兵鼬川ニ発向シ大ニ挑戦ウ」と上杉年譜にあるのが初見とされている[2]。
以前は常願寺川から分流していたが、1891年(明治24年)の用水合口事業実施の結果、いたち川は常西合口用水から取水する形となった。
かつては富山市中心部(現在の今木橋下流)で神通川と合流していたが、神通川が大きく蛇行するこの付近では水害が多かった。ヨハニス・デ・レーケの案によって1901年(明治34年)から1903年(明治36年)にかけて行われた神通川の馳越工事により、神通川は市街地西側の流路に徐々に変わっていった。1914年(大正3年)の洪水により馳越線が本流となり、旧流路にはほとんど水が流れなくなった。これにより生じた廃川地は昭和初期に富岩運河を掘削した土砂で埋め立てられた。現在川幅を狭めて残った神通川の旧流路は、それまでのいたち川との合流点を境に下流をいたち川に編入し、上流は松川となった。
角川源義は富山連隊にいた1945年(昭和20年)8月1日深夜に富山大空襲に遭ったとき、いたち川の川縁で蛍の大群に出会い驚嘆したという。[3]


