お茶の水貝塚
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概要
所在地
現在の東京医科歯科大学キャンパスおよびその周辺にある当貝塚は縄文時代、小半島であった本郷台地の先端にあり、縄文海進で広がっていた古東京湾に面している。貝塚のすぐ南は神田川だが、神田川のこのあたりは江戸時代初期に人力で開墾されたものである。現在の貝塚の標高は15メートルほどだが、縄文時代は海面が高く、貝塚のすぐ近くまで海が迫っていたものと考えられている[1]。東京医科歯科大学キャンパスの南側にある地下鉄御茶ノ水駅あたりから東京医科歯科大学キャンパスの北西側の三楽病院若葉寮まで縄文時代の遺跡が広がっている[2]。一帯は江戸時代には湯島馬場大筒鋳立場や江戸幕府の役人宅などがあった場所で縄文遺跡に江戸時代の遺構が重なり合っている[1][2]。
名称
調査の経過
縄文時代の遺物
1995年(平成7年)の時点で貝塚は当地で7箇所、環状に見つかっている[4]
縄文時代の遺物としては貝殻が主体となっていてハマグリが57%、サルボウ貝14%、ハイガイが7%などとなっている。他にアカガイ、シオフキガイ、ミルクイ、オーノガイ、シジミ類、マガキ、など15種の貝が見つかっている。他に動物の遺物としてはニホンシカやキジ、鯛類などの骨も見つかっている。石器は少なく数点が見つかっているのみである。
見つかった人骨の脛骨の断面は二等辺三角形に近く、現代日本人の物より扁平である。これは現代日本人よりも現代アイヌ人に近い特徴である[1]。
縄文土器の破片は多く見つかっており、1952年の御茶ノ水駅工事の際の調査でも土器片は1300点ほど見つかり[1]、他の調査でも多くの土器片が見つかっている[2]。土器は縄文前期の関山式や黒浜式、諸磯式、縄文中期の阿玉台式、加曾利E式、縄文後期の堀の内式、加曾利B式、曾谷式、安行式など縄文の前期から晩期までの幅広い時代の土器が見つかっている。縄文中期の阿玉台式は関東東北部に分布している土器でこの地は縄文中期には関東東北部の文化圏に属していたことが推定されている。ただし、量的には縄文前期から中期の土器はわずかで、加曾利B式が49%、安行式27%、堀の内式22%とほとんどが縄文後期から晩期の土器で占められ、この地がもっとも栄えたのは縄文後期から晩期であろうと考えられている[1]。
しかし、貝塚の北西側の調査である2002年の調査では縄文時代の住居跡が2軒みつかり、住居跡から発掘された土器片は黒浜式、釈迦堂Z3式などで縄文前期の土器でありこの住居跡も縄文前期のものと推察され、本来のお茶の水貝塚を形成した集落とは別の集落があったのではないかとも推察されている[2]。
