お茶の水橋
東京都の橋
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歴史
江戸時代初期に台地が拓かれて神田川が造られ、この地に渓谷が誕生した。二代将軍の徳川秀忠は、この近くにあった高林寺の湧水で淹れた茶を気に入り、付近一帯は「お茶の水」と呼ばれるようになった。渓谷も「お茶の水谷」と呼ばれ、のちに橋名の由来となった。しかし当時の技術では深い峡谷に架橋することは困難であり、橋が建設されたのは明治に入ってからである[1]。

初代の橋は1889年(明治22年)に東京市区改正条例の発布によって計画され、1890年11月に着工。わずか1年足らずの工期で、1891年(明治24年)10月に完成した[2]。設計は原龍太が担当[3]。日本人の設計としては初[4]の鉄橋として架けられた。当時の構造は長さ38間(約69m)・幅6間(約11m)、車道幅員7.2m、歩道幅員1.8m×2の上路式ピン結合プラットトラス橋であった。1170トンの錬鉄材はベルギーから輸入し、東京石川島造船所で製作。セメントや煉瓦は日本産が調達された。路面は2層の木張りで、下層は東京近郊のケヤキ、上層は尾張のヒノキが使用された[2]。
1904年(明治37年)12月31日には橋の下に甲武鉄道(現在のJR中央本線)御茶ノ水駅が開設され、同年12月8日には橋の上を通る東京市電(のちの都電)錦町線が開通し[5]、1944年(昭和19年)まで運行していた。2020年(令和2年)に橋の路盤強化工事を行うにあたってアスファルトを剥がした所、その下から都電のレールが現れた[6]。出土したレールや敷石は全国各地の博物館・大学へ寄贈された[7]。

1923年(大正12年)の関東大震災では橋板に木材が使われていたため焼失し[1]、神田川は土砂崩れでせき止められた[9]。1931年(昭和6年)5月10日に震災復興事業として架替が完成し、新たな橋は橋桁と橋脚を一体構造にした鋼製ラーメン橋となった。総工費52万円、鋼材876トンが使用され、両岸と桁および橋脚はヒンジで連結されている。長さ80m、橋脚中心間は30.48m。車道幅員は16.6mで両側に3.2mの歩道が付く。耐震性に優れた造りとなっており、現在まで使用されている[2]。
