かながわオープン
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1981年は全英オープンから帰国したばかりの青木功・安田春雄が出場し[2] [3]、初日は2人共に前年優勝の矢部昭と並んでの9位タイ[2]、最終日には青木がアマチュアの金子柱憲と並んでの3位タイであった[4] [5]。優勝した泉川ピートは沖縄県出身初のプロゴルファーで、2日間トーナメントながら4年目での嬉しい初優勝となった[3]。最終日は1番から4連続バーディーで好調なスタートを切り、アウト31で2位に4打差を付けた[3]。試合後に「こんなスコアは初めて。しびれもなかった。」と語った泉川であったが、前週の全英オープンで予選落ちしており、青木は「それがいい経験になった」と語っている[3]。
1982年及び1983年は日本ゴルフツアー機構(JPGA)のツアー競技に指定され[6] [7]、1982年に通算4アンダーで逆転優勝した豊田明夫[8]はツアー制100人目の優勝者となる[9]。
1983年に優勝した河野高明は9年304日ぶりの勝利となり、現在も国内男子ツアーのブランク優勝の記録で歴代5位の記録となっている[10]。
1984年は藤池昇が初日首位で[11]、最終日に尾崎将司が18番でバーディを取って優勝[12]。
1985年には石井秀夫が15番パー5、続く16番パー4で連続イーグルを記録[13]したが、尾崎が連覇している[1]。
1979年、1981年〜1985年・1989年は横浜市保土ケ谷区の横浜カントリークラブ[1] [6] [7]、1980年は川崎市多摩区の川崎国際カントリークラブで開催された[14]。
1983年にテレビ神奈川で中継された際は8月7日に再放送され、解説は土井新吉、実況は辻豊人、レポーターは元プロ野球選手の若生忠男、小早川正昭が務めた[15]。
歴代優勝者
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 歴史 | 横浜カントリークラブ
- 1 2 毎日新聞縮刷版p830 昭和56年7月26日朝刊18面「全英帰り青木は9位」
- 1 2 3 4 朝日新聞縮刷版p1047 昭和56年7月27日朝刊19面 ハーフタイム
- ↑ 毎日新聞縮刷版p858 昭和56年7月27日朝刊18面
- ↑ 朝日新聞縮刷版p1046 昭和56年7月27日朝刊18面
- 1 2 3 ツアー スケジュール 1982 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- 1 2 3 ツアー スケジュール 1983 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- 1 2 1982年07月04日 豊田が逆転優勝 かながわオープン最終日
- ↑ 第1号は青木功 ツアー制400人目の初優勝者は誰になる?【国内男子】GDOニュース
- 1 2 47歳・小林正則、史上5番目のブランクVへ 「ヘッドが走る」パターでショットも復調
- ↑ 医師と二人三脚で歩んだゴルフ人生 ― NO GOLF, NO LIFE .|九州医事新報
- 1 2 1984年07月22日 かながわオープン・ゴルフ もうOBとはサヨナラ
- ↑ 最終日に消えたキャディバッグ 〜ツアー初期の珍事〜/残したいゴルフ記録
- 1 2 第88回 川崎国際生田緑地ゴルフ場| ブログ|桜ゴルフの会員権相場情報
- ↑ 朝日新聞縮刷版p230 昭和58年8月7日朝刊12面 テレビ欄
- ↑ 豊田 明夫選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ↑ 河野 高明選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ↑ 稲垣太成プロ、逝去 - GEW ゴルフ産業専門サイト
- ↑ 真板 潔 マイタ キヨシ KIYOSHI MAITA
- ↑ 山本己沙雄 ヤマモト ミサオ MISAO YAMAMOTO
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