からくり時計
時報と連動する機械装置を組込んだ時計
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からくり時計(からくりどけい)とは、時計(掛け時計・置時計など)に特殊な表示機能を追加したもので、その多くではからくりなど自動人形などが時報として何らかの人形劇を上演したり、音楽を奏でたりといった機能を持つものを指す。歴史的にはカリヨンをもつ時計塔から発展したが、家庭用(ホームタイプ)のからくり時計も開発されている[1]。

ストラスブールのグラン・ディルにあるノートルダム大聖堂内に設置された18世紀の作品。12使徒などをかたどった様々な人形が登場する。




歴史
欧州
6世紀にはガザに「ヘラクレス時計」と称される水力(水時計)のからくり時計があり、一定の時刻になるとヘラクレスの人形が現れて演技を行うものだった[2]。
フランス北部からイギリス、さらに北欧諸国にはカリヨンと呼ばれるメロディ中心の鐘があったが、13世紀頃には複数の鐘でメロディを奏でる時計塔が出現した[1]。また、機械式時計が発明される14世紀以降、人間が鐘を鳴らす動作を人形(ジャック)が行う時計塔が製作されるようになった[2]。この人形(ジャック)の動作が次第に複雑化し、からくり時計に発達していった[2]。そして17世紀から18世紀には時計塔の多くにからくり時計が設置された[1]。
オートマタは時計技術者がその腕(技術)を表現する対象とされた[2]。この時計機構やからくり機構は当時の最高の技術で製作され、その技術的成果は産業革命につながっていった[2]。
中国
中国では水力を利用した独特の水時計が発達し、2世紀には後漢の天文学者である張衡が水の漏出によって歯車を回転させて天球儀を実際の動きに合わせて回転させる「水力渾天儀」を製作した[2]。さらに北宋時代になると蘇頌らが「水運儀象台」を製作したが、これは水車の回転によって人形で時刻を示したり、天体の動きを表現するものだった[2]。この「水運儀象台」は北宋の滅亡によって破却されてしたが、蘇頌の書とされる「新儀象法要」を解読して、長野県下諏訪町に全高11メートル以上となる「水運儀象台」が復元された[2]。
15世紀から16世紀には宣教師の活動で東西文明の交流が盛んになったが、1601年にはイエズス会の宣教師マテオリッチが自鳴鐘を皇帝に献上した[2]。皇帝は時計の調整法を学ばせるとともに工房を設置し、からくり仕掛けを組み込んだ様々な時計を製作させた[2]。
日本
ヨーロッパの機械時計は16世紀にキリスト教とともに日本に伝来した[2]。1551年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上した品の中には自鳴鐘があったと推定されている[2]。
1600年頃には長崎、京都、堺、江戸などに時計を製造する職人が現れた[2]。
幕末のからくり師として知られる田中久重が製作した「万年時計」は日本独自の技術に西洋の技術を取り入れた傑作とされている[2]。
大型の設備時計としては、1986年に東京都千代田区に設置されたセイコーマリオンクロックが最初であり、全国にからくり時計ブームが起こった[3]。