きおつけ!ヤスベェ

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「きおつけ!ヤスベェ」は1989年4月2日から1999年3月27日まで、FM山口(FMY)で放送されていたラジオ番組。通称『きおヤス』

副題は『ミッドナイトスクール』。メインパーソナリティの大谷泰彦(以下、ヤスベェと表記)を『主任講師』、リスナーを『生徒』に見立て、各コーナーを「●時間目」と呼び、学校の時間割に沿って番組を進めてゆく構成となっていた。

読者投稿及びパーソナリティーのトーク(下ネタもある程度含む)で構成される、いわゆる「深夜番組」である。10代〜20代の若者を主な聴取層としていた。

しばしば「きをやす」「きよやす」等と誤記されるが、正式なタイトルは表題の『きおつけ!ヤスベェ』である(「ェ」は小文字)。

スタッフ

主任講師(メインパーソナリティ)

大谷泰彦(ヤスベェ)

番頭(サブパーソナリティ)

初代:藤井 忠(1989年4月〜1990年3月)
2代:津田雅浩(1990年4月〜1991年3月)
当時山口大学の学生。2留しており、「6・3・3・6で18年の津田」の二つ名をリスナーから頂戴した。
名ゼリフ『金曜日は何曜日?』はコーナー名としても採用された。
3代:高呂則明(1991年4月〜1992年3月)
元リスナー。番頭降板後も幾度か番組に登場、頭髪の薄さをいじられる役どころだった。
4代:石丸秀樹(1992年4月〜1997年11月)
当時山口大学の学生。「自分にとっての美しさとは、風呂上りの姿」「下宿の水道を止められた」「毛じらみに感染」「留年を重ねるうちに後輩が先に就職」などネタに事欠かず、爆発的な人気を得た。
1995年夏には、番組企画でTBS系『山田邦子のしあわせにしてよ』内コーナー「いい男ベスト100」への出演に成功、ブラウン管を通し「全国区デビュー」を果たした。
5代:関谷芳治(1997年12月〜1999年3月)
元リスナー。番頭就任当初は「山口多漏」(やまぐちたろう)と名乗っていた。
シュール系&ハードな下ネタで知られる常連リスナーだったが、番頭就任後はひたすら「童貞」であることをいじられる役どころだった。

番組ディレクター

初代:パール坂本(1989年4月〜1990年3月)
2代:ホイ富岡(1990年4月〜?)
3代:ラリホー加藤(?)
4代:ルイ田川(1991年4月〜1992年3月)
5代:グリーン伊東(1992年4月〜1993年3月)
6代:レモン吉本(1993年4月〜7月頃)
初代〜6代はすべて同一人物=国広俊樹(現・ベイエフエム編成部長)。
番組人気の拡大を影でがっちり支えた、文字通りきおヤスの「育ての親」である。
7代:フィクサー清水(1993年秋〜1996年3月)
無口で謎めいたディレクター。『サタスパ』出演時は本名で登場していた。
サカサコトバをてのひらに指で書いて独りで楽しむ様をヤスベェに目撃され、『フィクサーの世界』コーナーが生まれた。
8代:ボボ亀光(1996年4月〜1998年3月)
FM山口パーソナリティ・BB金光の自称「双子の弟」。(もちろん本人である)
裏方ながら積極的にトークもこなし、明るいキャラクターでゴールデンタイム放送時の番組を支えた。
9代:自慰中村(1998年4月〜1999年3月)
ヤスベェの盟友・中村剛太郎(元・シティーケーブル周南取締役)。
髪の毛の薄さとスケベ親父的キャラで、リスナーの格好のネタの標的となった。

歴史

放映時間

1989年4月〜1992年5月:日曜深夜24:30〜25:00(30分番組)
1992年6月〜1996年3月:土曜深夜24:00〜25:00(60分番組に拡大)
1996年4月〜1996年9月:土曜深夜25:00〜26:00
1996年10月〜1998年3月:金曜夜20:00〜20:55(ニュース枠のため、5分短縮)
1998年4月〜1999年3月:土曜深夜25:00〜26:00

トピックス

  • 番組開始当初は、日曜日の放送終了(当時は午前1時)直前の30分番組だった。
  • 徐々に番組人気が高まり、1991年春にはリスナー有志が1時間枠への拡大を求める署名活動を実施し、1,243名分の署名を集めた。この結果、翌1992年春に1時間番組に昇格し、土曜日深夜0:00〜1:00に移動。番組人気はさらに高まり、近県の受信可能地域にも熱烈なファンを増やし、深夜のローカルラジオ番組としては異例の高聴取率を叩き出していた。
  • 1994年3月27日のザ・モール周南での野外公開録音では延べ800名近くを動員、同年10月のプレゼント週間には一週で963枚の投稿を集める(番組中最多記録)。この頃が番組の絶頂期だったといえる。
  • 1995年4月、それまで原則的に毎週公開していた収録見学を、毎月1回のみの公開とした。(詳細は「公開収録」の項参照この結果、放送からリスナーの笑い声が聞こえない週が増え、それまでとは番組の雰囲気が徐々に変わっていく。番組にとっては一大転機となった。(当時の古参リスナーは、これを「参加型番組から、トークを受け身で楽しむ番組への転換」と評した。)
  • 1996年4月、「オールナイトニッポンと勝負するため」(ヤスベェ談)、放送時間を一時間ずらし、土曜深夜1:00〜2:00の放映となった。しかしながら、番組の主要な聴取層である中高生にとっては酷な時間であったか、聴取率を大きく下げる結果となってしまった。それまで毎週平均20人程度で推移していた新入生(初投稿リスナー)が、時間移動後は一桁代まで落ち込んでしまった。
  • 半年後の1996年10月に再度の時間移動を行い、今度は金曜日20:00〜20:55の放送となる。待望のゴールデンタイム枠へ昇格し、明るい華のある番組に転換を図ったが、テレビ番組のゴールデンタイム枠と競合することとなり、聴取率的には苦戦を強いられる。
  • また、この頃になると、30代後半となったヤスベェが、中高生主体のリスナーに対しジェネレーションギャップを感じるようになった節がある。それまで「良き兄貴分」として比較的親近感を持って接していたリスナーに対して、番組内で突き放したように上から説教をするような場面も目立ち始めた。
  • 1998年4月、時間移動によって再度土曜深夜1:00〜2:00の時間帯に戻るが、この頃には上記の傾向が一層顕著になり、新入生が1人もいない週が生じるなど、番組の人気にも明らかに翳りが見えてきた。翌1999年3月末で番組は終了、きっかり10年の歴史に終止符を打った。

番組構成

時間割

基本的には、下記のような「時間割」が組まれていた。

1-1.オープニングトーク
1-2.『私のすばらしき一日』(後述)
1-3.タイトルコール
(ヤスベェ)『みんな起きろよ! 集まれよ! せーの、きおつけ!』
(リスナー)『ヤスベェ!』
(ヤスベェ)『Come on, in!』
この後、番組テーマ曲である大瀧詠一『ロックンロール・マーチ』が流される。
1-4.新入生紹介
前述テーマ曲に乗せて、新入生(=初投稿者)のペンネームを一人残らず紹介していた。
番組の中期頃から、下ネタを用いたペンネームが多くなると、これに対して『停学』『退学』『永久追放』の3段階の処分が設定された。もっとも、これら「退学ペンネーム」もまた番組のお楽しみの一要素であったため、最初から処分目当てでのネタ投稿も多かった。番組側もそれを重々承知しており、読み上げた端からお望み通り「退学です!」とやっていた。
1-5.スポンサー紹介
スポンサーについては別項参照。
2.フリートーク・休み時間
「ミッドナイト・スクール」らしく、『学校に来たらいきなり休み時間』という構成だった。
3.ビューティトーク(1時間目)
ビューティクイズ(後述)の出題・回答を中心とするコーナー。常に番組の「1時間目」を飾っていた。
番組初期は、毎週若い女性をゲストに招いてトークをするコーナーであり、コーナー名も『ビューティトーク・わぉーでGo!』であったが、番組中期以降、ゲストを呼ばなくなってからは『ビューティトーク・ハガキでGo!』となった。
なお、「第1回放送から最終回まで続いたコーナー」である。
4.各種コーナー(2時間目〜 )
概ね3〜4コーナーが行われていた。
最後は必ず『どんな問題・こんな宿題』で〆め、最後にヤスベェの
「そろそろ、下校準備だよ、生徒諸君!」
の決め台詞が入り、CMを挟んでエンディングに移る。

主なコーナー

以下、主要なコーナーをいくつか例示する。
なお、コーナー間のジングルとして、スターダストレビュー「今夜こ・れ・か・ら」のラストコーラスが使われていた。
私のすばらしき一日(1989年9月〜1996年11月、1998年4月〜1999年3月)
リスナーが日々雑感・森羅万象について語るショート・エッセイ風コーナー。マリーンの「レフト・アローン」をBGMに、ムード感をいっぱいに漂わせる名物コーナーだった。
「嗚呼文明開化の鐘が鳴る」「ハーイ、DJ!」など数多くの作品が生まれたが、番組後期は一発ネタも目立った。
ビューティクイズ
番組の1時間目を飾るクイズコーナー。日常目にするさまざまなものを、アダルトチックなヒントを交えて出題するという、いわゆる「エロクイズ」である。それだけに、リスナーのネタ作りの腕の試しどころでもあった。
(出題例)
Q.「ナニは、はっきり言って『穴』そのものです。ナニは、きちんと使えるようになると、お祝いをしてもらえます。やがてナニにはいろんな大きさのモノが出たり入ったりするようになります。一見綺麗に見えるナニでも、中に長時間入っていると、体調を崩すことがあります。ナニの2文字目は「ん」です。さて、ナニとは何でしょう?」
A. トンネル
ゲストがいる場合はゲストへ出題する(ゲストは若い女性の場合が多く、しばしば勘違いをして回答に詰まっていた)が、通常時はリスナーへ出題し、正解者のうち1名にミュージックカード(音楽ギフトカード)を進呈していた。
BGMは東京ホット倶楽部バンド「白い水玉」。
デカメロン劇場(1989年〜1992年)
リスナー参加型のラジオドラマ。番組黎明期の看板コーナーで、番頭の迷演技も見所だった。
BGMはダリダ&アラン・ドロンあまい囁き」。
告白コーナー(1993年〜1995年6月)
文字通り、リスナーが様々なことを告白するコーナー。傾向としては何かを「懺悔する」ネタが多かった。
一時期、特定リスナー同士が壮絶なチクり合いを繰り広げ、大いに盛り上がった。
BGMはバッハの「トッカータとフーガニ短調」。
身から出たサビ・本から出たネタ(1993年)
いろいろな本・雑誌等で見つけた面白いネタを紹介するコーナー。番組後期では、投稿が「盗作」か否かについて論議を呼ぶことがしばしばあったが、本コーナーは出典を明示したうえで他の媒体で紹介されたネタを紹介するというものであった。
BGMはビジーフォー・スペシャル「身から出たサビしさ」。
きおヤス・インフォメーション(1993年〜1999年3月)
番組orリスナーからの各種お知らせを紹介するコーナー。
当初は『お誕生日のコーナー』があり、リスナーにスタッフが「おめでとう」を言うコーナーだったが、番組中期ごろからリスナー集合(後述)が盛んになると、お知らせの大半が集合告知で埋まることも多かった。
BGMは以下のとおり。
ザ・チャンピオン(1994年4月〜1999年3月(最終回))
その回のお題となる形容詞や形容動詞に対して、リスナーがどれだけインパクトと説得力のある内容を発表できるかを競うコーナー。番組後期の看板コーナーだった。
同番組の常設コーナーとしては唯一の1ヶ月連動企画であり、最終週では各週のチャンピオン4〜5名の中から、グランドチャンピオンを決定する。
BGMはアリスの「チャンピオン」。
(例) …いずれもグランドチャンピオン。
  1. テーマ「臭い」…『藤井のスパイク』
  2. テーマ「忙しい」…『ソバ屋が毎日大晦日』
  3. テーマ「珍しい」…『古語辞典がボロボロ』
フィクサーの世界(1994年7月〜1995年5月)
第7代ディレクター・フィクサー清水の名前を冠した「サカサコトバ」コーナー。
「普通に読むと何でもないが、逆から読むと極めてアダルトチックな意味になる文章」を募集していた。回を重ねるごとにネタの精度が極めて高くなり、コーナー全体が頽廃的な雰囲気を醸し出すに至った。
(例)
「こそこそ歩く、マメな父」
「来ん?松本コンチータ犬」
「ルナ歩いて、人家が飛び、異国越しで靴箱、目を垂れぬ」
VSヤングバトル・あなたはどっち!? (1996年1月〜1997年10月)
相対する二つのものを比べて、どちらを応援するかを投稿するコーナー。
「洋式便所vs和式便所」からスタートし、「小室ファミリー vs欽ちゃんファミリー」、「マンガvsハンガ(版画)」などの迷勝負を数多く生み出した。
テーマBGMは、機動警察パトレイバーサウンドトラックより「予兆」(川井憲次作曲)。
カッコつけ!ヤスベェ(1997年7月〜1998年6月)
男女間の会話をベースに、いかにキザな殺し文句を考え付けるか、という、徹底的に「キザ」にこだわったコーナー。
女性パートは当時のFM山口の女性パーソナリティ(主に木谷美帆)が演じており、野郎だらけのスタジオに彩りを添えていた。
BGMは舘ひろし「朝まで踊ろう」。
どんな問題、こんな宿題
番組のトリを飾るコーナー。通称『どんこん』。「ビューティクイズ」同様、第1回放送から最終回まで続いたコーナーである。
前週に出題された「宿題」(テーマ)についてリスナーが回答し、最も的を射たorネタの質の高い投稿者一名に各種プレゼントが送られる。
番組からは、FM山口にアーティストの販促として提供されるノベルティ(各種グッズ)とヤスベェシール(後述)を送っていたが、リスナーからも「プレゼント用」に品物を提供されることが通例であった。これらは便箋やぬいぐるみ等のほか、自作の詩集を送って来るリスナーもいれば、天気図石炭のかけらベープマットなどの一風変わったものを送ってくる者もいた。

エピソード

オリジナルグッズ

外部リンク

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