松本清張は1945年に出征先の朝鮮半島から小倉市に帰ったが、出征前に借りていた家は他人が入っていて、下宿先も間借先もなかった。出征前から勤務していた朝日新聞西部本社の寮は、出征した家族が居ついたまま塞がっていた。印刷部の男から、黒原の兵器廠の職工住宅に空きがあることを聞いた清張は、管理人に会って頼み、黒住町16番地に住むこととなり、添田線(初代)の線路沿いを歩き、朝日新聞西部本社(当時は砂津に所在)まで通勤していた[4]。黒住町居住中に、作家としての処女作『西郷札』や、芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』を発表した。黒住町での生活は1953年に上京するまで続き、小倉市内最後の住まいとなった。