ぐず焼き祭り
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振橋神社の伝承によれば、かつて年頃の女性を襲う大蛇が人々に恐れられており、大己貴命が、年頃の女性たちを襲う大蛇を退治し、人々がそれを感謝して祠を建てたとある[2]。『江沼郡誌』によれば、毎年8月27日より、振橋神社の氏子たちが大己貴命を称えるために、境内で薪材を焚く「屑焼祭り」を行なっていたとある[2]。この屑焼祭りに代わり、地域に伝わる毒蛇伝説にもとづき趣向を変えて、昭和初期より始まったとされる[2]。
「ぐず」とはドンコ(ハゼの一種である淡水魚)のことであり、木の枠の上に、長さ7メートルから8メートルのぐずを竹や藁で作り、これを担いで動橋駅周辺をねり歩いた後、ぐずを焼き払い五穀豊穣を願う[3]。

起源
動橋集落のお祭りがいつから始まったのかは定かではない。古来より、動橋川は幾度となく大洪水を起こし、その度に収穫前の田畑があれ、作物がとれず、飢饉に見舞われ、民家や人命も奪われていた。そのため、川が氾濫しないことを願うため、川のそばに鎮守の杜や祠を建て、稲の収穫前後に地鎮祭として神様に祈りを捧げてきた[4]。
ぐず第一号がつくられたのは昭和3年である。大正末頃までは、古来から続いてきた動橋のお祭りである「屑焼き祭り」の「かがり火」の火が大きくなりすぎたため、昭和2年に消防署から「かがり火」の禁止命令を受けた。しかし、「かがり火」を止めてしまうと、寂しいため、村の若い集が集まり話し合った結果、「屑」を燃やすのではなく「ぐず」を作り担いだら面白いのではないかと始まった。町の伝承と合わせて神社霊験談を実演するような演出を考案し、それが現在のような「ぐず焼きまつり」の基礎ができたと言われている[4]。
運営組織
町をあげてのイベントのため青年団、壮年団、婦人会、子供会、喜楽会、預金講、区長会、商工会など多くの組織が参加している。
青年団は18〜25までの男子から団員が成り立っている。昭和59年までは青年団と青年会があり、青年団は女子も参加していた。青年会は祭りの時にグズを作製や獅子舞の練習など、祭りの準備と執行のための組織として活動していた。青年団は、青年の減少・職業の多様化・意識の変化などの理由により活動不能となってしまったので、祭りのための臨時的な組織であった青年会が残り、祭りの主役を担うようになった[5]。以前は、担ぎ手が90人以上いたこともあったが、2020年頃には13人まで減少し、OBや街出身者の応援によって、祭りが維持されている[6]。このために2020年8月、祭りを盛り上げることを目的として、祭りの歴史をまとめた冊子「ぐずやきまつりのすべて」が、地元住民の手で発刊された[6]。