しとどの窟
神奈川県にある、源頼朝が隠れたとされる洞窟
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概要
真鶴町真鶴港の近く、及び湯河原町北西に連なる城山にそれぞれある源頼朝ゆかりの史跡である。治承4年(1180年)8月24日、石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝が、しとどの窟に身を隠し、平家方の梶原景時に見つかったものの、 景時の情けで見逃され難を逃れた。箱根権現別当のもとに逃れた後、岩海岸(現在の岩海水浴場)から安房国へと脱出したと伝えられている。治承5年(1181年)12月25日、専光房良暹の弟子僧が、しとどの窟に隠した源頼朝の守り本尊の正観音像を見つけ出し、鎌倉の頼朝に届けた。 2か所あることから、昭和時代初期には双方が真贋を争うこともあったが、現在は「頼朝は房総半島へ渡るまでに、いくつかの場所に身を隠したのではないか」ということにされている。「しとどの窟」の由来は、追手が「シトト」と言われる鳥が急に飛び出してきたので、人影がないものとして立ち去ったからと言われている。 [1] [2] 真鶴町指定文化財。
しとどの窟の変化
真鶴の三名字の由来
真鶴に古くからある名字として「青木」「五味(ごみ)」「御守(おんもり)」の3つがある。頼朝がしとどの窟に身を隠した際に手助けをした功として、手助けの内容にちなんだ姓を与えたという言い伝えがある。木の枝で入り口を隠した者には「青木」、食料の手配をした者には五つの味わいを意味する「五味」、追手から頼朝を守るための見張り役をした者に「御守」の三名字である。[3]


