鼉龍鏡
古墳時代の銅鏡の鏡式
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概要
成立の背景
→「漢鏡 § 日本での歴史」も参照
日本列島での銅鏡は多鈕細文鏡の流入に始まり、弥生時代中期後半ごろに中国から漢鏡が流入するようになった[6]。流入した漢鏡は威信財として珍重されたが、その供給量は漢を始めとする周辺国の情勢に左右されていたため、列島内の需要を満たせなくなると模倣した倭製鏡が生産されるようになった[7]。
日本列島内で好まれた漢鏡であったが、その一方で神獣鏡などの鏡背に表現されていた中国の神仙思想を体系的に受容しなかったと考えられている。日本列島の鏡を作った職人は神獣鏡の図像を重んじたものの、元となる思想を理解しなかったために、倭製鏡の図像は簡略化・異形化が著しいものが少なくない。その代表例が画文帯神獣鏡を模した鼉龍鏡である[1]。
元となった画文帯神獣鏡では、環状乳と呼ばれる突起を取り巻くように、巨(きょ)と呼ばれる棒を咥えた首の長い神獣が後ろを振り向く姿で表現され、その背中に跨る神仙が描かれている。初期の鼉龍鏡では画文帯神獣鏡の図像を踏襲していたものの、やがて神仙と神獣の頭が1つになり、それに神獣と神仙の体が取りつく単頭双胴に描かれるようになった[1]。