でいご娘 From Wikipedia, the free encyclopedia でいご娘(でいごむすめ)は、沖縄県読谷村を拠点に活動してきた姉妹による民謡グループ。作詞・作曲家の比嘉恒敏が、自身の娘4人を中心に結成した。沖縄戦の記憶と戦後の暮らしを背景にした民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を歌い継いできたことで知られる。[1] でいご娘は、時計修理工の傍ら作詞・作曲を行っていた比嘉恒敏が、娘たちに三線や歌を教えたことをきっかけに結成された民謡グループである。1960年代から1970年代にかけて、沖縄県内外の公演や放送番組などで活動したと報じられている。[2] メンバー でいご娘は、比嘉恒敏の娘4人によって構成された姉妹民謡グループである。 比嘉艶子 比嘉綾子 比嘉千津子 ひがけい子(四女) 四女のひがけい子は、島太鼓奏者としても活動し、後年は創作太鼓「島太鼓」を主宰するなど、歌と打楽器の両面から沖縄の音楽文化の継承に携わっている。[2] 結成と活動 比嘉恒敏は沖縄戦や戦後の体験を背景に、戦争の記憶や平和への思いを民謡として表現しており、娘たちとともに舞台活動を行った。でいご娘は、テレビ番組や地域公演などに出演し、沖縄民謡の新しい表現として紹介された。[2] 比嘉の死後も、でいご娘は父の遺作である「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を中心に活動を続け、同曲は1975年にレコード化されたとする研究もある。[3] 継承と評価 でいご娘が歌い継いできた「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は、学校での平和学習や記念行事などでも披露され、地域社会において沖縄戦の記憶を伝える民謡として位置付けられている。[4] 2013年には、同曲の歌碑が読谷村楚辺に建立され、除幕式や記念行事にでいご娘が参加したと報じられている。[5] 関連項目 艦砲ぬ喰ぇー残さー 沖縄民謡 沖縄戦 三線 脚注 ↑ “「沖縄戦の生き残りは皆、艦砲射撃の喰い残し」 強烈な民謡を生んだ作曲家の壮絶な人生”. RBC NEWS Dig(TBS NEWS DIG). (2024年6月21日). https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1246747 2026年1月8日閲覧。 1 2 3 “ひがけい子 母系リズムのウチナー打ち 「でいご娘」再結成は… <新・島唄を歩く>”. 琉球新報. (2020年6月12日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1137904.html 2026年1月8日閲覧。 ↑ 山内健治 (2022). “沖縄戦・集団自決の記憶と記録に関する社会人類学的課題”. 政経論叢 (明治大学). https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/2698/files/shogakuronso_104_2_117.pdf 2026年1月8日閲覧。. ↑ “でいご娘が披露 父が作った「艦砲ぬ喰ぇー残さー」”. 琉球新報. (2014年7月23日). https://ryukyushimpo.jp/photo/prentry-228941.html 2026年1月8日閲覧。 ↑ “「艦砲ぬ喰ぇー残さー」歌碑完成 読谷村”. 琉球新報. (2013年6月22日). https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-208360.html 2026年1月8日閲覧。 Related Articles